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 その週の日曜のミサの説教はこんなふうになった。

 クリスはいつもより長めに信徒席を見回して、小さく咳払いして始めた。

「ええと、今日私は皆さんの前で告白することがあります。実は、数日前、私と、ここにいるブレナン助祭はケンカをしまして――」クリスの目線がジェレミーに向けられると、やつはちょっと戸惑ったように一瞬目を伏せた。みんなの視線もつられて一斉にジェレミーに集中し、それからまたクリスに戻った。

「と、いうより、彼のせいではないことについて私が八つ当たりをしたのですが。それで、さきほどの回心のときに、そのことについて赦されるよう祈っていました」

 こらえきれないくすくす笑いで聖堂内が騒がしくなる。

 そりゃそうだよな。クリスが教会にやってくる連中に怒った顔なんてみせたことないし、おまけに相手は見るからに品行方正なスポーツマンタイプの神父見習いなんだから、このふたりのあいだになにがあったか知りたいに決まってる。

「どうしてそんなことになったかというと、あるご家族を襲った不幸なできごとについて、誰にもどうにもできないにもかかわらず、私が動揺して、ブレナン助祭を責めてしまったのです。まるで彼が神で、不幸の原因が神にあると――それこそヨブみたいに」

 俺の中では、ヨブってのは、自分の信じてる神様にひどい目に遭わされたからキレて文句を言ったら逆ギレされた哀れなやつって認識なんだが、真面目な信者の連中は細かいとこまでわかっているのか、うなずいているのが大半だ。

「罪のない人に不幸がふりかかるとき、私たちはつい、主が私たちを愛されているという意味を忘れがちです。もし神ご自身が望んで私たちに災いをもたらされるのではないとすれば、反対に、すべての人に正義と公平をもたらすこともまた難しいと考えざるを得ません」

 ジェレミーがはっとしたように、クリスに鋭い視線を投げる。

 それに気づいているのかいないのか、クリスはやさしい声で続ける。

「それでは、神はなんの力ももたないといえるのでしょうか――そうではありません。神は真実なかたですから、この世に正義と平和がもたらされることを望んで、ご自身に似せて私たちをお創りになり、さらに、愛するひとり子を、私たちとともに苦しむことで私たちの救いになるようにとこの地上にお遣わしになりました。

 大切なのは、ともに苦しむということです。自分だけにこんな不幸が訪れるのだと思うとき、また世界中で起きている理不尽な事件や事故に対し、なにもできないのだと無力感を覚えるとき、私たちの目は見えておらず、耳も聞こえていません。そう感じている人は私やあなたひとりだけではなく、まわりの人たちもまた同じであるのに、そしてあなたを大切に思うあまりなんとかして助けたいと苦しんでいるのに、それに気づかないのです。

 誰かを助けたい、力になりたいと私たちが願うとき、主イエス・キリストもまたそう願って、私たちの内におられるのです」

 信徒席のひとりひとりを順に辿っていたクリスの視線が、いつもの最前列右端に座っている俺のところでちょっぴり長くとどまったように感じたのは気のせいだろうか? 

 なんだよ、俺は今日はちゃんと起きてるぞ。

 たいてい、クリスの説教は子守唄みたいに聞こえてつい居眠りしちまうんだよな。クリスの説教がマズいからって意味じゃなくて、だ。これがジェレミーのだったら、枕元でされても寝る自信がある。

「私たちは主の御力で、自動的に正義や平和が降ってくるように思ってしまいがちですが、私たちの中にもそれをもたらす力はちゃんとあるのです、どうかそのことを忘れないで、いつか来るかもしれない逆境に備えてください。そしてそのときには、あなたを大切に思う人がいることを思い出してください。今、順境にある人は、苦しみ悩んでいる人がいたら、どうぞ声をかけてあげてください。自分の愉しみだけに溺れず、苦しむ人たちに寄り添いたいと思う心もまた私たちの中にたしかにあるのですから」


「クリスってすげーな」俺はすっかり感心して言った。

「いつも自分が説教する立場なのに、ああやってみんなの前で自分のへまを暴露してジェレミーに謝るなんてさ。人狼おれたちだったら絶対にしないよ」

「あの場で初めて謝ったわけじゃないよ。彼にはちゃんと、ミサの中で話をしてもいいか聞いているさ。それに、ディーンだって、私やほかの人に謝ることはあるじゃないか」

「俺は群れのトップアルファじゃないからいいんだよ。でも俺の親父はなにかマズっても、俺たちの前でゴメンなんて言ったことは一回もなかったね。もしほかの群れにそんなとこを見られたら殺し合いだよ」

「……それはずいぶん物騒な話だね」

 クリスは顔をしかめた。

「べつに、ふつうさ。今は一番上の兄貴がボスアルファだけど、兄貴も昔は親父に謝ってたけど俺たちにはしなくなったから。まあでも俺はさ、できればクリスには教会のトップでいてほしいんだよね。俺のαアルファがほかの誰かに頭を下げてるとこを見るなんて示しがつかないからさ」

 クリスは笑い出した。

「教会のトップは教皇だよ。そこまでたどり着くには長い梯子はしごがある。それに、その上には神様がいる」

「ああ、そうだった。すごくでかい群れなんだっけ。それでも、トップがガンコだからほかの群れと殺し合いしたりするのは一緒だもんね」

 ちょっとのあいだクリスは俺の顔をまじまじと見て――なんていうか、自分が今食ったチーズが実は豆腐トーフだった、みたいな表情で――

「……それについてはいろいろ話したいことはあるけど、説明すると長くなるからやめておくよ。でも、私がなにかへまをしても、教区のみなさんは許してくれると思うし……たとえそのときは自分がとんでもないまぬけに思えたとしてもね。もし人間では簡単に赦すことのできない重荷を抱えてしまったとしても、私たちのトップはそれでも赦すと言ってくれているからね」

「それってなんか矛盾してると思うけどな。自分のとこは許すのに、他人のとこはダメだなんてさ」

「ハードディスクは同じだけどOSが異なっているみたいなものかな。統一されれば便利なんだろうけど、もし人狼のシステムのほうだったら今以上に大変だろうし――それまでは業界内で調整しながらやっていくしかないだろうね」

 時々、シレっとした顔でこういうことを言うから、俺はつい聞いてみたくなるんだよな――なあ、クリス、あんたは本当に神様ってのを信じてるのかよ? 少なくとも、ジェレミーが信じてるのと同じ意味と熱量カロリーで?

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