七 再会
1
平太を追わなければならないと言いつつも、和比古をこのままにしておくのはさすがに気が引ける。そのため、朱華は少し離れた場所にある部屋へと足を踏み入れた。
「……此処、は……」
「君たちが見つけた部屋だよ。……荷物は、そのままにしてあるみたいだね」
其処は昨日朱華たちが睡眠時に利用した部屋だった。相変わらず、布団はそのまま敷かれている。
ずっと突っ立っている訳にもいかないので、朱華は和比古に腰を下ろすように促した。念のため、襖に箒を立て掛けておくことも忘れない。
和比古がおとなしく座ったのを確認してから、朱華も腰を下ろす。そして、ちらと和比古の顔を見た。
和比古はこれまでの出来事を受けて、すっかり弱ってしまっているようだった。顔色は少しましになったが、表情は微塵も変わらない。ただただ神経衰弱しているといった風で、見ていても痛ましいだけだ。
つい先日にこの青年を叱り付けて失禁させたのが嘘のようだ、と朱華は思う。あの時は、和比古が悪辣な人物に見えていたというのに、今では彼を何とかして守らなければとすら思っているのだから。
「……平太は、本当に白木院を傷付けたのだろうか」
ぽつり。
和比古が溢した言葉を、朱華は聞き漏らさなかった。
「……それは僕にもわからない。もしかしたら、平太君はただ真幌君の血を浴びただけで、真幌君を傷付けたのは別の者かもしれない」
「…………」
「──まあ、そうだね。自分で言っておいて何だけど、僕もそうとは考えられないよ。あの状況を前にして、平太君を疑うなという方が難しい」
押し黙ってしまった和比古に──というよりかは、自分を納得させるように朱華は告げる。
平太とは、朱華もそれなりに関わりを持った身である。彼を疑いたいか疑いたくないかと問われれば、朱華は否と答えるだろう。和比古からは手酷い扱いを受け、白木院主従からも見放される。そんな平太を、朱華は放っておけなかった。
しかし、朱華は確信してしまったのだ。平太の手は、既に血で汚れていると。
「……平太の起こしたことの責任は、俺が取らねばならないのだろうか」
膝に顔を埋めながら、和比古が誰にでもなく問いかける。それは、自分に対する問いかけだったのかもしれない。
朱華は数秒間思案して、初日に自分が和比古へぶつけた言葉を思い出す。確か、和比古が平太を置いていくことに何の躊躇いも見せず、結果として彼が粗相をしてしまった時のことだ。
平太がこの山で命を落としたのなら、それは平太の主人たる和比古の責任である。人の上に立つとは何たるかを知らぬままに、主人の位に座していられると思うな──と。
和比古が自分の言葉を思った以上に深く受け止めていたという事実に、朱華は暫し沈黙した。
──この青年のことを、自分は少々見誤っていたのかもしれない。
膝を抱え、苦悩する和比古に、朱華は幾分か柔らかな視線を送る。そして、彼から目線を外してから口を開いた。
「そうだね。しかし、何にせよ理由を問い詰めなければ意味がない。このままただ平太君を捕まえるだけでは、彼の真意を読み取ることは出来ないだろうからね」
「……彼奴は、何を以てあのようなことを」
「それは僕らにわかることではないさ。だが、あまり深く物事を考えるのも良くないとは思うよ。和比古君、君は平太君が真幌君を傷付けただけでなく、雪乃丞君を殺めたのではないかと考えているだろう? さすがにその辺りは僕からどうこう言えないが、疑惑を増やしたところで苦しむのは君だけだよ」
「……っ」
和比古の真意はわからない。他人である朱華にわかるはずもない。
だが、和比古はわかりやすい。それゆえに、憶測することは容易だった。憶測だけで物事を考えるのはよろしくないとわかってはいるが、今は出来る限り口に出していった方が良い。
和比古は息を飲んだ。そして、顔を上げぬまま溜め息を吐く。
「……すまん。主人たる俺が従者を疑うのは、恥ずべき行為だというのに……。少し怪しいと思ったら、平太の全てを疑いたくなってしまう」
「良いんだ、このような状況に置かれていたら誰だってそうだろうさ。此処には僕と君しかいない。そういちいち気にしていては、君の身が持たないよ」
背負うものを落とすかのように、朱華は和比古の肩を軽く叩いた。
「とにかく、僕は平太君を追わなければならない。このまま彼を放っておいたら、何を仕出かすかわからないからね。下手をすれば、平太君の矛先は僕たちに向くかもしれない」
「で、では」
「うん、平太君を見つけ、彼の真意を探る。人を殺めるためのものではないにしろ、彼は刃物を持っている。あまり使いたくはないが、しばらくはこいつの世話になりそうだな」
朱華が手にしていた太刀を掲げると、それは僅かな音を立てた。決して大きな音とは言えなかったが、和比古はどういった訳か伏せていた顔を上げる。
「……平太を、斬るつもりなのか?」
「……まあ、時と場合によってはね。でも、端から殺めるつもりは更々ないよ。死人に口なしと言うからね。あくまでもこれは護身用だ」
「……そうか」
朱華の言葉を聞くと、和比古の言葉尻は幾らか安堵の色を宿した。あのような扱いをしていたとはいえ、平太が無意味に傷付けられることには抵抗があるのだろう。
さて、と呟いてから朱華は立ち上がる。彼の身動きする音に、和比古が釣られるように目線を上へ持ち上げた。
「僕はそろそろ移動したい。平太君を捜さなくてはいけないからね。彼が何処に向かい、何をするつもりなのかはわからないが……。とにかく会って話をしないことには変わらないよ」
「それなら、俺は」
「君は無理して付いてこなくとも良い。……いや、個人的な意見を言わせてもらうとすれば、和比古君、君はすぐに荷物をまとめて村へ下りるべきだ。きっと此処には、君が想像しているもの以上の因縁と妄執が渦巻いている。人を斬ってしまった僕はともかく、誰も何も物理的に傷付けていない君がそれに触れるべきじゃない」
和比古が自分に付いてこようとしていることを感じ取ったのだろう。彼が全ての言葉を口にし終える前に、朱華はやんわりと、然れどしっかと己が意見を突き付けた。
平太が和比古の従者であることは、朱華とて承知の上だ。彼が関わろうとする姿勢はむしろ好意的に見ることが出来る。
しかし、それでも身の安全に勝るものはない。朱華はともかく、和比古は今のところ誰も傷付けてはおらず、熾野宮家に因縁がある訳でもない。これ以上首を突っ込めば、和比古に及ぶ危険は増すばかりだろう。朱華としては、和比古が危険な目に見舞われることを避けたいところだ。
和比古自身も、朱華の言葉に異論はなかったらしい。こくり、と小さくうなずいてから、おずおずといった様子で唇を動かす。
「……わかった。俺は下山し、村へ戻ろう。お前の立場が悪くならないように、村人たちには説明をしておいてやる。──ただ、その前にお前に伝えておきたいことがある。良いか?」
「伝えて、おきたいこと──?」
「ああ、そうだとも。何、そう時間は取らせない。お前が黙って静かに聞いていれば、すぐに終わる話だよ」
朱華と話しているうちに、和比古はそこそここれまでの調子を取り戻せたようだ。
まだ以前のように高圧的ではないものの、和比古の顔色は芳しく、声にも気力が戻っているように思える。むしろ態度としてはこの程度が丁度良い。
「……良いよ。聞こう」
和比古の頼みを断る理由はない。情報の共有が出来るのなら幸いである。
聞き役の姿勢に入った朱華に、和比古は満足そうな色をその目に宿す。そして、彼に向かって口を開いた。
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