2

 富ノ森主従のいるであろう部屋は、ぼんやりと灯りが灯っていたので、朱華はすぐに其処を見つけることが出来た。


「お邪魔するよ」


 この際遠慮も何もないだろう、と思い、朱華は障子を開ける。

 中では、和比古が布団の上に寝転がり、平太が部屋の隅で相変わらず居心地悪そうに正座していた。どちらが点けたのかわからないが、置いてある行灯がうっすらと灯っている。

 この二人は大丈夫そうだ、と判断して、朱華はほっと安堵する。富ノ森主従まで真幌のようになっていたら、その時はもうどうしようもない。

 突然入ってきた朱華に、和比古は眉を潜めた。まだ朝のことを根に持っているのだろうか。一気にその美貌が不機嫌そうな色を帯びる。


「……何故此処に俺がいるとわかった? 平太が告げ口でもしたのか」

「いいや、平太君は関係ないよ。美代──彼を助けた女の子がいただろう。彼女が、君たちは此処にいるかもしれないと教えてくれたんだ」

「……あの女が……」


 和比古は忌々しそうに舌打ちをしてから、もぞもぞと起き上がった。とりあえず、出て行けと言うつもりはないようだ。


「……座って良いかい」

「勝手にしろ」


 一先ず確認を取ってから、朱華は履き物を脱いで布団の上に座る。正面に座られた和比古はぴくりと眉根を寄せたが、文句を言うことはなかった。

 聞かなくてはならないこと、話さなくてはならないことはたくさんある。どれから和比古に伝えれば良いものか、朱華は悩んだ。

 少しでも情報の共有はしておきたいし、何よりも真幌の様子が可笑しくなってしまったことは学友の和比古に言っておかなければならないだろう。

 朱華は言葉を選びながら、和比古に切り出した。


「その……和比古君。君は、真幌君とはご学友なのだと聞いているのだけれど……」

「……あいつの様子が可笑しいということか?」

「……察しが早くて助かるよ」


 態度の問題はあるが、さすが名家の子息ということもあってか和比古は聡い。これで愛想も良ければ尚良しである。

 何はともあれ、和比古も真幌に関しては思うところがあったようだ。彼ははあぁぁ、とわかりやすく溜め息を吐いた。そして、髪の毛を指先で弄びながら口を開く。


「……白木院のああいった顔を見たのは、これが初めてだ。あいつは文武両道にして眉目秀麗、非の打ち所がない優等生だったからな。学内でも常に周りに人がいて、気に食わないが頼りにされているようだった」

「……そうかい。では、ひとつ質問だ。彼の家は、変な宗教に傾倒していたりするかい?」

「何を言っているんだ、お前は。白木院家は、もとを辿れば神社の宮司に通ずるんだぞ。少なくとも、家ごと邪教の類いに傾く……などということはないだろうさ。何だってそのようなことを聞く?」

「いや、実はね──」


 訝しげな顔をした和比古に、朱華はぽつりぽつりとこれまでの経緯を話した。あの大部屋での一件は、思い出すだけでも寒気がする。

 朱華の話を、和比古──そして、彼の後方に控えている平太は黙って聞いていた。和比古は途中で溜め息を吐いたり眉間を揉んだりと気が落ち着かない様子だったが、一応最後まで話を聞こうという気持ちはあったらしい。朱華が口を閉じるまで、彼は一言も発しなかった。


「……つまり、何だ。白木院は救世主にでもなろうというのか?」


 朱華の唇が閉じたと同時に、和比古は至極苛立たしげに言葉を発した。後ろにいる平太がびくりと身を竦ませる。

 真幌が何故彼処まで情緒不安定なのか──と問われれば、朱華とてはっきりと断言は出来ない。真幌とは出会って間もないし、彼のことなら学友である和比古の方が知っているはずである。朱華から真幌について伝えられることはほとんどないようなものだ。

 だが、ひとつだけ。ひとつだけ、朱華にもわかることはある。


「……確証は、持てないけれど。真幌君は、救世主の地位にやたらと固執しているように見えたよ」

「……そうか」


 あの馬鹿、と和比古は小声で真幌を罵る。そして、乱暴にがしがしと頭を掻いた。名家の子息らしからぬ所作である。


「とにもかくにも、だ。多分この廃墟の物品整理というのは白木院の口実だろう。あいつは救世主やら何やらになるために、此処まで俺たちを誘った。俺たちに与えられる地位というのも、白木院が救世主になることに関係しているのだろうよ」

「……と、なると?」

「力ずくでも白木院と、その従者の堅物を連れて下山する。これしかないだろうが」


 和比古は苛立ちを隠そうともせずに断言した。現在の状況に参っているのは朱華も同じだが、和比古は相当のようだ。

 たしかに、いつまでも熾野宮邸に居座っている道理はない。謎の少女──美代の忠告を受け入れるつもりはないが、此処に長居してはいけないような気がする。書庫の整理の時のように、何者かから狙われる場など安息とは程遠い。

 だが、朱華はすぐにうなずくことが出来なかった。彼は形の良い眉を潜めて、和比古に問う。


「……出来るのかい? そのようなことが」

「やらねば何も始まらなんだろう。それに、お前のような馬鹿力であれば、俺を守りながら男二人を伸すくらい容易いんじゃないのか?」

「……君ねぇ、僕だって人間なんだよ。君にも手伝ってもらわなければ、あの二人をどうにかするなんて無理だと思うんだが」

「は、ならば平太を使えば良いだろう。あれは富ノ森の従者だが、今回は特別に貸してやらんこともない。俺の守護をお前が、白木院たちの相手を平太に任せると良い」

「何から何まで他人任せかね、君は!」


 あっけらかんとして告げる和比古を、朱華は衝動に任せて殴りたくなった。……が、此処は平太もいるので我慢する。

 和比古にしては積極性のある提案ではないか、と思っていた矢先にこれである。しかも自分は一切手を出さない算段のようだ。良い歳をした若者が守られる気満々というのは、なかなかに情けなかった。

 もう一回失禁させてやろうか、と握り拳を作る朱華に、和比古の顔は青くなる。しかし、彼は怖じ気付きながらも強気な態度を崩さない。


「な、何だ、文句があるのか⁉ 俺は名家の跡取りになるべき存在なのだぞ⁉ 表立って気狂いを相手取るような、危険な行動に及べるはずがないだろう!」

「君は本当に自己中心的だね! 君のお家柄はともかく、お友達を気狂い呼ばわりはあんまりではないかい⁉ こうやって共に休暇を過ごすような仲なのだから、少しは真幌君を思いやっても良いと思うがね!」

「はっ、お友達なんて反吐が出る! そもそも、俺と白木院は面識こそあれどいっしょにつるむような仲ではなかったんだ! 休暇に入る直前になって、あいつがいきなり俺を誘ってきただけだ!」


 和比古は口こそ達者だったが、山中での一件が尾を引いているのか腰は引けていた。朱華があと一歩でも近付こうものなら、そのまま立ち上がって逃げ出してしまいかねない雰囲気だ。

 和比古の姿勢はどうかと思うが、いつまでも怖がらせてばかりでは埒が明かない。朱華は腕組みをして、語気をやや弱める。


「……それじゃあ、君はそれまで真幌君との直接的な交流はあまりなかった……と言いたいのかい?」

「そ、そうだ。白木院はいつも人の輪の中心にいて、俺なぞには目もくれなかった。それなのに、休暇は共に過ごさないかと言う。きっとあいつは、俺のことを御しやすく思い通りに動く男だと思ったに違いない。だからこのような山奥に連れ込み、良いように使い走ろうとしているのだ!」


 ぎりぎりと歯軋りをしながら、和比古は全てわかったように吐き捨てる。

 自己中心的な癖に、被害妄想まで激しいのか。これでは人間関係に苦労する、と朱華は内心で嘆息する。

 自分も人見知りな節があるので和比古のことを言えた義理ではないが、何ともまあ面倒な人間性の持ち主である。


「……君の言いたいことはわかった。だが、今日はもう遅い。何かしらの行動を起こすのだとしたら、日が昇っているうちにした方が得策だと思うよ」


 頭を抱えてわなわなと震える和比古を横目で見遣りながら、朱華は彼に告げる。

 何を言おうと、彼は一人の人間だ。加えて、その精神はかなり参っていると見た。この真っ暗な中を無理に行動するのは危険極まりない。

 いくら和比古に悪印象があると言っても、彼がどうなっても良い……と朱華は思えない。和比古もまた真幌に巻き込まれた側の人間であり、誘われなければ平穏に暮らせていたはずなのだ。

 そんな和比古を、こんなところで見捨ててはいけない。朱華は状況を飲み込めず震えている和比古のことを、純粋に可哀想だと思った。


「あ、あの……」


 ずっと和比古の側にいるのも可哀想なので離れようと思った矢先、朱華に声をかける者があった。朱華はこれ幸いとばかりに、もう一人の少年の方へ向かう。


「どうしたのだい、平太君?」

「こ、これ……よろしければ、召し上がってください。私たちは此処に来てから、まともにお食事をしていませんでしたから。私と旦那様は先に食べましたので……」


 平太がおずおずと差し出したのは、幾つかの饅頭が詰まった箱だった。それを見た瞬間、朱華の腹の虫が元気良く鳴く。

 平太の言う通り、朱華たちは熾野宮邸に来てからというもの、食事らしい食事をしてこなかった。井戸水は使えるようだったのでこまめに水分補給はしていたが、固形のものは口にしていない。菓子とは言え、饅頭をもらえるのはありがたかった。

 朱華は丁寧にいただきます、と口にしてから、饅頭をひとつ頬張る。餡の上品な甘みが口の中に広がり、朱華は蕩けんばかりの笑顔を浮かべた。


「嗚呼、何と美味しいのだろう! これほど滑らかで品のある味わいの餡を食べたのは初めてだよ。それに皮もふわふわとしていて良い。本当に美味しいものをありがとう、平太君」

「い、いえっ……。喜んでいただけて、私も何よりです。持ってきたお菓子はまだたくさんありますから、どうぞ遠慮なく召し上がってください……!」


 朱華が饅頭ひとつでこれほど喜ぶとは思っていなかったのだろう。平太は驚いた様子を見せてから、嬉しそうに表情を綻ばせた。

 こうして見ると、平太もまた年相応の少年である。朱華は何だか和やかな気分になりながら、もうひとつ饅頭を失敬する。

 真幌はあのような様子だし、雪乃丞も何を仕出かすかわからない状態だが、少なくともこの二人は変わりないようで安心した。どうか富ノ森主従には、何事もなく下山して欲しいものだ。

 朱華は口の中のものを飲み込んでから、平太に尋ねる。


「そういえば、この部屋の布団は君たちが敷いたのかい? 行灯も点いているようだし、随分と手際が良いじゃないか」

「いえ、行灯を点けたのは私ですが……。旦那様いわく、もともとお布団は敷かれていたらしいんです。他のお部屋と違って、このお部屋にはあまり汚れがないから、今日は此処で休もうって……。い、一応お布団は叩いてみましたから、虫とかは大丈夫だと思いますっ。でも、そもそもこのお屋敷、あんまり虫とかいませんよね。蜘蛛の巣も全然ないし……」


 平太はこの部屋に来た時のこと、そしてこれまで回ってきた部屋を思い出しながら話しているようだった。目線が徐々に上を向いていくのが何とも微笑ましい。

 熾野宮邸に虫がいないことは、朱華も気になっているところだった。

 この季節の山中であれば、虫が少なからず生息しているはずである。熾野宮邸に到着するまでは蝉がこれでもかとばかりに鳴いていたし、虫刺されにも遭遇した。


(だというのに、此処に来てから虫……いや、生き物の気配が消えた)


 熾野宮邸で出会ったものと言えば、美代くらいである。

 美代は何か知っているような素振りだったが、教えてはくれなさそうだ。彼女はまず熾野宮邸を探索されること自体を快く思っていないような節がある。熾野宮邸のことも、よく知り尽くしているようだった。

 何はともあれ、まず初めに対処すべきは白木院主従だ、と朱華は思う。

 あの二人をどうにかしないことには、この屋敷から脱出することも叶わないだろう。千世ヶ辻村から熾野宮邸までの地図を持っているのはあの二人なので、下手すれば山中を延々とさ迷わなくてはならなくなる可能性だってあり得る。それだけは絶対に避けたい。


「……まあ、とりあえず今は休息が必要だ。どうせ日が昇らなければどうにもならないのだし、今はゆっくりと休んだ方が良いと思う。平太君も、ずっと歩きっぱなしで疲れただろう?」


 朱華はまだ幼さの残る平太を穏和な目で見る。

 気丈に振る舞っているようだが、平太の顔にも疲労の色が見える。慣れない山道を歩いてきただけではなく、この不気味な屋敷の探索までさせられているのだ。精神的にもきついところだろう。

 平太はそうですね、と相槌を打つ。しかし、次いで彼は不安そうに朱華を見上げた。


「あ……で、でも、また矢とか飛んで来たら、どうしましょう? それに、私たちの他に誰かいたら……」

「そればかりは、運に任せる他なさそうだけれど……。念のため、出入口に用心棒をつっかえさせておこう。何か棒状のものはあるかい?」

「はい、このお部屋に箒があったので、それでよろしければ」

「ありがとう。これをこうして……っと」


 万が一に備えて、防犯をしっかりしておくのは悪いことではない。平太と共に用心棒代わりの箒を立て掛けた朱華は、ふぅと軽く息を吐いた。

 和比古はどうしているか、と朱華は視線を移動させてみる。彼は此方に背を向けて横になっていた。寝ているのかそうでないかはわからないが、少なくとも朱華たちに干渉する気は皆無のようだ。

 朱華は平太の方へと振り返る。そして、彼に至極穏やかな笑みを向けた。


「平太君、君は此方の布団を使いたまえ。疲れているだろう」

「え……でも、それではあなたの寝る場所が」

「良いんだ。こういうのは若い人に譲るのが礼儀というものさ。此方には座布団があるようだし、僕のことは気にせずに休んで欲しいな」


 平太は心身共に疲れている、と判断した朱華は彼に布団を譲った。

 この部屋にはもともと二つしか布団が敷かれていなかったため、どうしても一人余る形になってしまう。朱華も疲れていないという訳ではなかったが、だからといって平太を気遣えない程狭量ではない。

 平太は申し訳なさそうな顔をしていたが、厚意を無下にするのは失礼と考えたらしい。ありがとうございます、とふにゃりとした笑みを浮かべてから、彼は遠慮がちに布団へ潜り込んだ。

 朱華は座布団を何枚か用意してから、行灯の火を消す。そして、無事に明日の朝が来ることを祈りながら目を閉じた。

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