一 千世ヶ辻

1

 お忍びとは言っていたものの、お金持ちのやることはいちいち派手である。家の前に馬車が停まるという体験をした朱華は、つくづくそう思い知らされた。

 馬車に乗っていたのは四人。いずれも、まだ若く青臭さの残る若者たちだ。


「これがお前の知り合いか、平太へいた? 無駄に洒落っ気を振り撒いている素振りをして、いかにも自分はハイカラなのだと言わんばかりの、生意気なこの男が?」


 一人は、つんと棘のある美貌を有した若者。身なりからして、支配する側の人間であろう。赤みを帯びた茶髪がよく目立つ。欧州の人間の血でも入っているのだろうか。日本人が着れば滑稽に見えることもある洋装も、彼は何食わぬ顔で着こなしている。

 そんな彼にへこへこと頭を下げているのが、平太と呼ばれている若者。此方は凡庸な見た目をしており、着ているものも庶民のそれと大差ない。宗一郎の家の常連というのは、平太のことで間違いないようだ。


「俺がこういった、口先だけの人間が大嫌いなことはお前もわかっているはずだろう? だというのに、何故お前は適当な人材を選んで来なかった? この俺を見くびっているのか?」

「ひっ、も、申し訳ございません、旦那様……」

「謝るだけなら農民にも出来る。お前には富ノとみのもり家に仕える使用人としての礼儀作法を叩き込んだはずだろう? このような体たらく、単なる謝罪だけで済むと思ってはいないよなぁ?」


 どうやら平太の主人は、嫌になる程高圧的らしい。銭湯の番頭にすがりたくなる気持ちもわかる気がする。

 朱華はやれやれ、と肩を竦める。

 大方、この平太という使用人は屋敷の風呂にも入れてもらえないのだろう。恐らくこのお坊っちゃんは下人が自分と同じ湯に浸かることすら嫌っているに違いない。そうでなければ、残り湯くらい使わせてやるはずだ。わざわざ平太が銭湯に行く必要などない。

 助け船を出してやりたい気持ちも山々だが、下手に口出しをしようものなら此方に矛先が向きかねない。残念だが、朱華は黙って二人のやり取りを聞いているしかなかった。


「ええい、やかましいわ!」


 此処で苛立たしげに発せられた声がひとつ。朱華から一番離れた、端の席からである。

 其処に座っているのは、立派な眉をつり上げている古風な出で立ちの若者である。ザンギリ頭が増えたこのご時世に、髪の毛を長く伸ばしてひとつに括っていた。服装も洋装ではなく袴姿だ。書生風の朱華とは違い、元号が変わる前でも通用しそうな、謂わば武士のような風采をしていた。


「せっかくの休暇だというのに、出発して間もない時点から言い争うとは何事か! 貴様らは場をわきまえんか!」

「まあまあ、雪乃丞ゆきのじょう。気持ちはわかるけれど、落ち着いて」

「しかし、真幌まほろ様!」

「ボクは大丈夫だから、ね? ……和比古かずひこ、そういうことだからあまり使用人の子をいじめないでやってくれないか。その気になれば、お前だけをこの馬車から降ろすことも出来るのだよ」


 古風な若者──雪乃丞を宥め、高圧的な平太の主人──和比古を諌めたのは、雪乃丞と和比古に挟まれる形で座っていた、真幌と呼ばれた若者だった。

 さらりと揺れる黒髪に、透き通りそうな程に白い肌。儚げな印象を与える美少年だが、不思議とその声には芯がある。外柔内剛とは、まさに彼のような人間のことを言うのだろう。

 和比古はすっかり真幌に圧倒されたようで、何も言えぬまま悔しげに唇を噛み締めた。お呼ばれされた身では、言い返すことも出来ないのだろう。

 一先ず、当分は平太が理不尽に叱責されることはなさそうだ。これ以上胸糞悪いものを見なくて良くなったことに関しては、朱華もほっと胸を撫で下ろす。


「ところで、其処の……和比古のところの使用人にお呼ばれしたという、お前。名前は何というの?」


 そんな矢先に、真幌の視線は朱華のもとへと移った。自分に向けられた笑みに、朱華は一瞬言葉を失う。

 柔らかな口調であるが、其処には妙な威圧感があった。これは下手に嘘でも吐こうものなら、そのまま馬車から降ろされてしまいかねない。


「……僕は斯波しば朱華はねず。平太君の知り合いには良くしていただいていてね。彼がどうしても行けないと言うから、同伴させてもらうことにしたのさ」

「へぇ……。珍しい名前をしているんだね。ボクは白木院しらきいん真幌まほろ。こっちの古風なのは、ボクの従者のかけい雪乃丞ゆきのじょう。雪乃丞共々、よろしく頼むよ」


 真幌は雪乃丞の紹介も済ませてから、たおやかな微笑みを浮かべて見せる。髪の毛を伸ばして女物の着物を着てしまえば、きっと可憐な美少女に変わるだろうと思わせるような美貌であった。

 硬派な雪乃丞と、柔和な真幌。なるほど、これはなかなかに均衡の取れた主従である。


(此方の主従とは大違いだな)


 ちら、と朱華は和比古と平太を盗み見る。

 和比古は機嫌を損ねてしまったのか、むすっとしてひとつも口を利こうとしない。俺に話しかけるな、と全身が物語っているかのようだ。

 平太の方も、そんな和比古の雰囲気に圧されてすっかり縮こまっている。まるで蛇に睨まれた蛙だ。彼の普段の振る舞いや事情を何も知らない朱華でさえも、憐れに思う程の怯えぶりであった。


「ああ、其処の仏頂面は、富ノ森和比古。ボクの学友でね、暇そうだったから連れてきたんだよ」


 にこにことしながら真幌は言うが、和比古の眉間の皺は深まるばかりだった。暇人扱いされたことが気に食わなかったのだろう。

 朱華はそうかい、とだけ返事をするに止めておいた。

 真幌はともかく、和比古は話がわかる類いの人間とは思えない。突っ掛かられるのも面倒だが、何よりも平太が巻き込まれるのは可哀想だ。此処は大人の余裕なるものを見せなければ。


「ところで、えー……白木院氏」

「真幌で良いよ。そんなに畏まらないで」

「……では、真幌君。これから千世ヶ辻に向かうそうだが、其処には知り合いとか、頼れる人物がいるのかな?」

「……どうして、そんなことを聞くの?」


 朱華が投げ掛けた問いかけに、真幌は僅かに目を細める。探るような目付きだった。

 彼の後ろでは、雪乃丞が警戒心丸出しの表情で朱華を睨み付けている。ずっと静かだと思っていたら、真幌と朱華の会話を漏らさず聞いていたようだ。朱華が真幌君、と呼んだ時に殺気のようなものを感じたのは、決して気のせいではないのだろう。

 朱華は溜め息を吐きたくなる気持ちを必死で抑える。ふとした行動で無礼だと殴りかかられても可笑しくはない。行動には逐一注意するべきだ。


「いや、これほど年若い、この国の将来を担った子たちが集まっているんだ。保護者がいなくてはいけないと思ってね」

「ふふ、そういうことか。その点については、心配しなくても良いよ。千世ヶ辻には叔父の家があるんだ。別邸は少し離れたところにあるけれど、何かあったら親戚の家を頼るつもりでいるからね。それほど気負う必要はないよ」


 朱華の杞憂も、真幌によってすぐに退けられる。彼の後ろでは、雪乃丞が至極当然だろう、とでも言いたげな顔でふんぞり返っていた。何に対して威張っているのだろうか。

 とにもかくにも、今のところこの中で一番年長だからと朱華が保護責任を押し付けられることはなさそうだ。むしろ朱華は巻き込まれた側だし、何かあれば一人で逃げることも吝かではない。見知らぬ若者たちにまで気を配っている余裕などないのである。


(まあ、何も起こらないのが一番だがね)


 平穏無事に時が過ぎること程望ましいことはない。朱華は改めてそう思いながら、なるべく話を振られないようにと窓の外に視線を向けた。

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