118話 The Primordial Sea


 雷鳴が轟き、氷晶とぶつかる。

 本来であれば穏やかな光景を彩る木々が、今宵は激しく揺れていた。

 群と群。およそ個人では出せぬであろう轟音が、メントの森に響き渡っていた。


「少しは腕を上げたか? まさか、お前ひとりでこれほどに戦えるとはな」

「っせ……! どっかの誰かさんを潰すために鍛えたんだわ!」


 レイフの渾身の一撃を、ゼロは余裕をもって回避してみせた。

 ただ避けただけではない。大口径の銃身をレイフの額へと向けていた。

 まるでレイフの頭部がこの位置にやってくるのがわかっていたかのように、ただ優美に添える。


「ほう? お前にそこまで想われちゃあ、そいつはずいぶん幸せもんだな?」

「ンな呑気なこと言ってられんのも今の内だ……!」


 カウンターに見舞った、魔法銃による連射。

 一撃でももらえばただでは済まないが、レイフはこれを全て回避する。

 紙一重。雷属性特有の急加速がなければ、どうなっていただろうか。


(きっちー……)


 レイフの頬を、紅と透明の雫が伝う。


 状況は劣勢。

 明らかに、余裕が違う。


 これまで、レイフは渾身の連撃を叩き込んだ。

 それでもなお、決め手にはならなかった。

 回避され、氷魔法で妨害され、攻撃が届かないのだ。


 なんとしても、この状況を打破しなくてはならない。

 魔力に余裕があるとはいえ、相手はゼロだ。

 底が知れず、魔力も無尽蔵と言っていい。

 彼が魔力を浪費するぶんには問題はないが、レイフはそうもいかない。

 消耗戦になれば、魔力に限りがあるぶん不利なのはこちら。


(だったらこいつで……!)

 

 木々に身を隠しながら、高速で移動する。常に視界から外れ、位置を特定させない。

 そして、意識外の一撃。完全にがら空きになった背後からゼロに接近するも──


降落撃グレイシアフォール


 ──上空より、氷塊が落とされる。

 まるで初めからタイミングを理解していたかのように。

 視線を合わせずとも、魔法を行使してみせた。


 しかし、ここまでは予想済み。

 落下よりも速く、鋭く、ゼロの懐へと潜り込む。

 レイフが腰を引いて溜めていた剣から一際激しい煌めきが放たれ、雷鳴が轟いた。


雷裁槌トールハンマー!!」


 気合一閃。

 力の奔流、高濃度に練り上げた雷の塊がゼロの体を直撃した。

 回避、防御など完全に無視している。ただ、破壊に特化した魔法だ。

 黒き鎧を紫電とともに吹き飛ばすが、これで倒しきれるとは思っていなかった。

 あくまでもトリガー、本番はここからだ。


 レイフが、静かに目を閉じる。

 これより、何人をも屠る絶対の力を行使する。


 求めるは最速。魔力の温存は考えない。

 ただ、眼前の仇敵を討つだけの力を用意する。

 容赦も情けも必要ない。


雷激衝インディグネイション……!」


 唱えたと同時。色を捨て、白き輝きを放つ。

 レイフが纏っていた紫電が、より暴力的なものに変質した。

 それはまるで、雷鳴のひとつ、輝きのひとつをとっても触れるだけで焼ききれてしまいそうなほどに。


 僅かな煌めきの後、ゼロのもとへと接近。

 レイフの姿を認識するよりも先に、黒き鎧に衝撃が走る。

 遅れて雷鳴が響く頃には、次なる一撃を受けていた。

 自身の鎧を叩いた物質の正体が、白く激しい輝きを放った剣だと視認する頃には数え切れぬほどの斬撃を浴びていた。


 音を断ち、姿を消し、雷そのものに成る。

 属性付与を極限まで鍛えた者のみが扱える、サンダードライブの究極系。


 剣の冴えは先ほどと比較にならないほどに研ぎ澄まされ、回避も防御も、動作の一切が間に合わない。

 そもそも、目で追うことすら不可能。反応をすることなどもってのほかだった。


「ほう。こんな力、いつの間に身につけたんだ?」


 ゼロの声は雷鳴に溶け、届きはしない。


 氷の生成は間に合わず、白雷はゼロを捉え続ける。

 黒鎧を掠め、反撃の隙を与えていない。

 防御魔法を展開するも、それすら追いつかせない連撃の嵐。

 一手一手が、確実に必殺へと近づいている。


「このままだと少しまずいが──レイフ。その力、長く続かねえんじゃないのか?」


 ゼロの言葉通り、レイフの雷は次第に色を取り戻していく。

 白から青に。赤から紫に。


 レイフが解放した魔法、インディグネイション。

 最大の弱点は、持続時間の短さにあった。

 超短期決戦を覚悟したからこそ成せたことだった。


「まだ、まだ……!」


 決死の覚悟で一撃を放つが、悲しきかな。

 刃がゼロの首へと届く寸前で、レイフの雷が消失した。


 絶大な効果をもたらす魔法を行使した反動なのか、レイフ自身も微動だにしない。


「お前とそれなりにやり合えて、結構楽しかったぞ。もう少し長ければ満点だったんだがな?」


 ゼロが氷の剣を作り、レイフへと迫る。

 この絶好の機会を、確実にものとする。

 油断も慢心もない。ここで仕留めるつもりだ。

 例え、魔力を全て失ったレイフだったとしても関係ない。

 それこそが、礼儀だと言わんばかりに。


「じゃあな、レイフ」


 氷の刃が、光を失ったレイフの瞳へと迫る。


 もはや全力でも届かないというのか。

 こんなところで、敗れるのか。

 せめて現実を見ないようにするためか、レイフが目を閉じた。


「ここまでか──」








「──とでも言うと思ったかよ、バーカ」


 レイフが目を開いたとき、再び白が舞い戻った。

 ゼロの虚をつくために仕掛けたブラフ。

 一度完全に動きが停止したからこそ生まれた、この日最大の緩急。


 放つ一撃は必殺。必中。

 レイフの剣が、再び黒い鎧を捉えた。


 狙い、研ぎ澄ませた一太刀は、頭部に命中。

 黒い破片を撒き散らしながらゼロの体を吹き飛ばした。


 大の字で倒れ、動く気配はない。

 だというのに、レイフの胸騒ぎがおさまることはなかった。

 確かにダメージを与えたというのに、油断する暇さえ与えてくれないのがゼロという存在だった。


「少しはやるようになったじゃないか、レイフ。今のは流石に死ぬかと思った」


 やはり、とも言うべきか。

 その声音には異質な強さが残っていた。


「……流石に倒れろよな、バケモンが。何遍斬られりゃ気が済むんだ」

「まあ、俺は特別だからな。そう簡単にはやられはしない」


 ふわり、と体が浮きゼロが再び立ち上がる。


 砕けた左頭部から覗くのは、黄金の眼光だった。

 これまで頭部の隙間から見えていたのは紅色だったはずだ。


「て、めえ……! ありえねえだろ、おい……!」


 ゼロの鎧の隙間から覗いた容姿に、レイフが動揺を見せた。

 全てを見透かしたようなその眼差しは。

 見た者を魅了さえするその輝きは。

 紛れもなく、あの人物・・・・しか持ちえない代物だ。


「……ああ、そうか。壊れてたのか」


 己の顔に触れ、仮面が砕けていたことを知る。

 自身の正体を隠し続けていたゼロだったが、さして驚いた様子を見せない。

 むしろ、気持ちが乱れているのは彼の正体に一歩前進したレイフの方だった。


「もう、隠す理由もないか。……そうさ。今、お前の目で見えてるものが真実だ」

「ざけんな。だとしたら、とっくに死んでるはずだろうが。この場にいるはずがねえ」

「おかしなことを言う奴だな。俺はこうして生きてる。それとも、今の俺は精霊かなにかとでも言いたいのか?」


 ゆらゆらと体を揺らし、ゼロが楽しそうに笑う。

 真剣に問うレイフを茶化すような態度は相変わらずだ。


「てめえの言葉が本当だとして、なんで今更正体なんざ明かしやがった。そんな大層な鎧まで着て身ぃ隠してた奴がよ」

「ほんの気まぐれさ。お前がどんな反応を見せてくれるのか、ってな。くく、しかし、いい顔が見られた」


 先ほどのレイフのリアクションがよほど嬉しかったのか、ゼロが肩を震わせる。


「それに、こいつは身を隠すために着てるんじゃない。ちょいと訳ありさ」

「……なに?」

「ヒントはここまでだ、あとは自分で考えるんだな。それにお前は、俺よりも自分の友だちを気にした方がいいんじゃないのか?」


 友、といった。

 その言葉は、レナートのことを指しているのだろう。

 レイフの眉根が、ぴくりと動く。

 

「お前だって気がついてんだろ。もう、時間ないぞ?」


 手を広げ、早く自分を倒せと言わんばかりに。

 ゼロが、レイフを向けて言葉を送る。


 わかりやすい挑発だ。

 それでも、レイフの怒りを刺激するにはじゅうぶん過ぎた。


「言われなくてもわかってんだよ、ンなことは……!」


 甲高い金属音とともに、ゼロの鎧に剣撃が叩き落された。

 あまりにも直線的。あまりにも情を乗せた一撃だ。

 挑発されているとわかっていても、レイフは乗らずにいられなかった。


 親友──レナート=ミュラーの体は崩壊に向かっている。

 そんなことはとうにわかっている。

 血を吐き、精一杯命の炎を燃やす姿をこの目で見た。

 

「戦争の情報を流したせいで、なにが起きてるのかわかってんのか……!」

「なにをそんなに怒る必要がある? お前の生徒たちはアリサに会いたがっていた。俺はその手助けをしてやったんだから、お互い万々歳じゃないのか?」

「ンなわけあるか!」


 結果的に、アリサと会えるきっかけはできた。

 それは確かにゼロの言う通りだ。

 だが、この戦争のせいで、本来流れないはずの血が流れた。

 自分のことなど度外視で誰かのために動く親友が、傷つけられた。

 ただ、その事実が許せなかったのだ。


 全てが、目の前にいる男の手のひらの上で踊らされた結果。

 その事実が、レイフの怒りを加速させる。


「お前は本当に面倒な奴だな。まあ、お前の友だちはいずれ俺の隣に立ってるはずだ。自分の意思で、自分の足でな?」

「させてたまるか……! なにがなんでも止めてやる!!」

「させる、させないの問題じゃねえんだよ。俺がやると言ったらやる。もう、決まったことなんだよ」


 レイフが一歩踏み込んだと同時。ゼロの体が、氷となり砕け散った。


「じゃあな、レイフ。また会える日を楽しみにしてるぞ」


 再びゼロの姿を認識したとき、彼の姿は木の上にあった。


「待ちやがれ!」


 出しうる限りの最速、最強の一撃を見舞う。

 しかし、最後に振った剣は虚しく空を切った。


「ったく……いったいどうなってやがんだ」


 解決していないことがまだ残っているというのに、さらなる謎が提示された。

 彼はレナートを狙っているということ。

 そして、彼の正体。空想上のお伽話ではなく、事実だというのなら。

 紛れもなく、こちら側の勝ち目は薄くなる。

 なにを成そうとしているのか、なにを壊そうとしているのか。


「こりゃ、忙しくなりそうだな……」


 先を見据え、レイフがため息を漏らす。

 結局、レナートの力を借りずに出張った結果がこれだ。

 

 情報は手に入れたが、結局ゼロを仕留めることができなかった。

 しかし、悲観している場合ではない。

 行動を止めるな。思考を続けろ。


 まだ終わったわけではない。

 零地点。ここから始まるのだから。




 


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