111話 Night walk


 リチャードと対峙し、クレインは返り討ちにあうと思っていた。

 ふたりの実力差は一目瞭然だったから。しかし、アリサの予想に反して、クレインは宣言通りの結果を出した。

 仇敵であるリチャードに一矢報い、自身の力を証明したうえで関係修復までしてみせた。


 あくまでも、メインで与えられた任務の不随物。

 決して無視できない案件、そして人物であることに間違いはない。

 それでもなお、任務以上に気になっている気がした。


 諦めず、最後まで食らいついた。

 傷つきながらも、真っすぐに。


 そんな彼の姿が、やけにアリサの気を引いた。

 理由がわからないこと、そして少年本人に対しての感情だった。


 そんな気持ちを抱いたまま、新入生クエストが始まった。

 ライオアクティス王国北部に位置する森にてフラブ草なるものを回収する、というもの。


「魔物と戦うなんて、なかなか経験できねえことだよな。ヴァンは戦ったことがあるんだっけか?」

「そうだな、レナートさんとの鍛錬で何度かある。この辺りで出る魔物相手なら遅れを取ることはないはずだ」

「そいつは頼もしいな。でも、俺だって負けねえからな?」


 御者の男性が操る馬車に揺られ、クレインとヴァンが言葉を交わす。

 フラブ草が採れるメントの森には、大気中のマナの影響を受けた生物──魔物が出現するという。

 戦闘の心得がない一般人にとっては脅威だが、アリサがこれまで戦ってきた相手と比べれば大したことはないだろう。


 揺れる馬車が止まり、たどり着いたのはカイザー家の別宅があるホルムの街。

 馬車を降り、レンガで敷き詰められた地に足をつけた瞬間、四人の周りには大勢の人が集まった。


「おー、アベルさんとこのせがれか! またでかくなったもんだなあ!」

「クレイン坊、またウチの店に寄りなよ。サービスするからさ」

「アベルさんとモーリスさんによろしく伝えといてくれよな、あの人らのおかげで俺らこうして商売やれてんだからよ」


 クレインの頭に伸びる、大小それぞれの手。

 その全てが、温かみに満ちていた。


 クレインは、アリサにないものを持っている。

 それも、ひとつやふたつではない。


「はいはいわかったから! みんな困ってんじゃねえか!」


 クレインを包む歓声が、やけに耳障りに聞こえた。


◇ ◇ ◇


 本番は翌日。

 この日は、カイザー家の別宅で体を休めることとなった。


「そろそろ、かな」


 しかし、アリサの活動はここから開始する。

 カイザー家の別宅へなんの警戒もなく潜入できたのは、願ってもいない好機。

 魔法学園同様、間取りや内部の仕組みを頭に入れて損をすることはないだろう。


 やけにふかふかしたベッドから身を起こす。

 魔法学園に備え付けられていたベッドも相当いい品を使っているようだが、カイザー家のものは更に上質なものだった。

 体に吸い付くようでいて、それでいて滑らかな肌触り。


 常人ならばすぐに眠りへ落ちてしまうようなベッドだったが、アリサにはあてはまらなかった。

 普段彼女が寝ていたのは、冷たく固い、眠ることだけを目的とした寝具だった。


 戦場に出れば、眠りにつけない日も少なくはなかった。

 いつ命が狙われるかわからない状況下では、心を落ち着けて休むことすらできなかったのだ。


「まあ、どうでもいいことだけど」


 小さく声を漏らし、慎重にドアを開ける。

 周囲を見渡し、人気のないことを確認。そのまま、音を殺して歩を進める。


 クレインいわく、当主であるアベルが豪奢な家が苦手とのこと。

 それゆえに家の内装はシンプルにしている、とのことだったがそれでもじゅうぶん過ぎるほどに広い。

 最初に足を踏み入れたときに軽く見渡したが、これは実に骨が折れそうだ。


 そんな折。

 ひとつだけ明かりのついている部屋が目に留まった。

 別宅とはいえ、広大な面積と多めに用意された部屋数を誇るカイザー家で、ひとつだけ明るい部屋であれば嫌でも目につくというもの。

 光に誘われるようにアリサが歩を進めると、そこはカイザー家の道場だった。

 

 こんな時間でも、起きている人間がいるのか。

 足を進めたのは警戒、という意味合いもあったが歩を進めるごとにその気持ちは薄れていった。

 明かりに近づいていくにつれて、不思議な興味が勝っていたのだ。


「あれは……」


 僅かに空いていたドアの隙間から部屋の中を見やると、必死に汗を流し、鍛錬に励むクレインの姿があった。


 おそらく彼がこの場で鍛錬をしているのは、今日に限った話なのではないのだろう。

 数えきれないほど、莫大な時間を己を体を鍛えるために費やしたはず。

 クレインが鍛錬に励む姿をそう何度も見かけたわけではない。

 しかし、彼の動きを見ていればわかる。これは、一朝一夕でこなせることではない。


 自分とは違う。

 確かな熱量を以って、己を鍛えているのだと感じさせられた。

 どこまでも真っすぐな姿勢に、目を奪われた。

 これまで過ごしてきた時間との差が、妙にアリサの気を引いた。

 

「──っ」


 ふと、我に返る。

 自分としたことが、なにをしているのか。

 ただクレインの姿を見ているだけでは、なにも収穫を得られないというのに。

 本当に自分はなにをしているのか。魔法学園に入学して、クレインと会ってからというものなにかがおかしい。

 ため息をもらし、その場をあとにしようとしたときだった。


「おはようございます。朝がお早いのですね」

「──ッ!!」


 気配を察知し、後ろへ跳んだ。

 アリサの背後に立っていたのは、カイザー家の執事、モーリス=バスラーだった。

 白髪の紳士は時間帯に問わず整った身なりで、老紳士ではあるが、背はそれなりに高く姿勢も良い。

 流石は己の肉体でカイザー家に仕える者。年齢、立場に関係なく鍛錬を惜しまないということだろうか。


「お散歩ですか?」

「ま、まあね。昼間ゆっくり見られなかったし」

「そうですか。クレイン坊っちゃんから、アリサ様は早起きが苦手と窺っていたものですから」


 警戒はしていたはず。気は緩んでいなかった……といえば嘘になるが。

 だとしても、ここまで容易に背後をとられるとは思っていなかった。


 まさか、バレたのか。

 だとしたら流石に間抜けすぎる。

 この老紳士のことだ。そこまで感づいていたとしても不思議ではない。


「それは?」


 なんとかして話を逸らさなければ。

 アリサは視線を巡らせ、モーリスが持っていた布に意識を向ける。


「クレイン坊っちゃんはいつもタオルを忘れてしまうんです。この場所で鍛錬を始めてからずっとでしたが……なんだか懐かしいですね」


 カイザー家を離れ、魔法学園での生活を始めてから一週間ほど。

 一瞬にも感じられる時間だったが、モーリスの表情には懐かしさが滲んでいた。

 しばしクレインの様子を見ていた彼だったが、そうだ、アリサへ視線を戻す。


「せっかくです。アリサ様、こちらをクレイン坊っちゃんに渡していただけませんか?」

「え。なんで私が……。わざわざ用意したんだから、自分で渡せばいいんじゃないの?」


 アリサの言葉ももっともだ。

 それに、なにが〝せっかく〟なのか理解できない。


「あなたにしかお願いできないことです」


 彼らふたり、積もる話もあるだろうに、彼がクレインと会うのが良いはず。

 しかし、この老紳士はあくまでもアリサにタオルを届ける職務を任せたいようだ。


「いや、でも」

「お願いしてもよろしいですか?」

「だから」

「お願いしてもよろしいですか?」


 だめだ、なにを言っても同じ言葉しか返ってこない。

 物腰は柔らかいのに、やたらと押しが強いと感じるのは気のせいだろうか。


「……わかったよ」


 ここは、アリサが折れるほかなかった。

 渡されたタオルはよく冷えていた。ひんやりと心地よい。

 しかしなぜだろう、確かな温かみが感じられた。


 歩みを進め、アリサは道場の方へ足を進める。

 なぜか老紳士がどんな表情をしているのか気になった。

 振り返り表情を見つめる。


 おそらくアリサは酷く疑いの目を向けていただろうが、それでもモーリスはただ穏やかな笑みを浮かべていた。

 いったいどこまで考えているのかわからないが、害はなさそうだ。

 再び彼に背を向け、アリサは一歩前進した。


 それからのやりとりは、記憶の通り。


 ──そこまで努力できるんだから、全然ださくないでしょ。少なくとも、私にはできないからさ。


 なぜ、自分の口からこのような言葉が出てきたのか。

 あの老紳士のせいなのか。それとも──


 この少年と一緒にいると、いつも調子を狂わされる。

 しかし、決して嫌なものではない……とは思っている。

 ただ、体感したことのない気持ちに違和感があるのだ。


 正体がわからない、これまでに味わったことのない感情が湧いてくる。

 しかし、不思議と嫌なものではない。

 だが、過去の自分が問うてくる。


 〝このままでいいのか〟と。

 おそらくこの答えを出すことは今の自分には叶わないのだろう。

 今はただ、正体のわからない胸の痛みを抱えるだけだった。

 

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