110話 A speck of brilliance
燃え盛る炎が支配していた空間に、僅かな静寂が訪れた。
それは空気として伝播し、もうひとつの戦場へと届いていた。
「ふたりとも、すげえな……」
金髪の少年──クレイン=カイザーが顎を伝う汗を拭う。
眼前の戦いには集中していたつもりだった。
しかし、先ほどまで間近で行なわていた轟音が突如収まれば、自然と意識が向くというもの。
視線を向けると、膝を折りながらも大地に伏したラルグを見つめるヴァンとシェリルの姿が目に入った。
自然、笑みが零れた。
仲間であり、友であるふたりは成すべきことを成した。
あのとき決着をつけられなかった相手に、真正面から打ち勝ったのだ。
先ほど対峙したとき、ラルグの圧倒的な力を実感した。
ならば、自分も後れをとってはいられない。
視線を、再び正面へと戻す。
「ぶ……っ」
直後、クレインの首が跳ねた。
彼の顎が強烈な力で叩かれたのだ。脳が揺れ、視界が歪む。
意識の外からもたらされた衝撃は、クレインの体勢を崩すにはじゅうぶんだった。
「余所見するなんて随分余裕だね。私に半殺しにされたの、もう忘れたわけ?」
歪む視線を向け、視界に映るのは蹴り抜いた姿勢で氷のような紫の瞳を向ける少女。
絹のように綺麗な紫の長髪を後ろでひとつに束ね、その冷徹ともいえる表情がよくわかった。
身に纏った汚れひとつない白い装束は、彼女の空虚な心を現しているようだった。
アリサ=フロリア。
今宵は、彼女と対話をするための戦いだ。
冷たく放たれた言葉に一瞬表情を歪めるが、クレインは口元を緩めた。
かつて仲間だった彼女が、なぜあの日自分たちへ銃口を向けたのか。
彼女が、その華奢な双肩にどれほどの重荷を背負っているのか。
真相を、彼女の口から聞くためにこの場に立っているのだ。
「忘れるわけねえだろ? つか、隙だらけの俺相手に止めを刺さないなんて、お前の方こそ偉く余裕じゃねえか」
「……その減らず口、いつまで続くんだろうね」
雷鳴。
耳に音が届いた時には、クレインの腹にアリサの強烈な膝蹴りが突き刺さっていた。
「っ……ぁ!」
一瞬、クレインの呼吸が詰まる。
真正面からの打撃だったが、雷に匹敵する速度の前では認識することすらできない。
実質的に無意識化でぶつけられた一撃は、防御も回避も間に合わない。
さらに、足へと弾丸が撃ち込まれた。
「う、ああああああああぁぁぁあああ!!」
痛みが、遅れてやってくる。
視認し、意識し、感覚が研ぎ澄まされる。
「さっきまでの威勢はどうしたの?」
「うっ……せ」
意識を手放すまいと、出せる限りの声で抵抗したつもりだった。
しかし、喉から出た音のなんと弱々しいことか。
汗を流し、金髪の少年が拳を突き出した。
不完全な体勢ながら、放たれた一撃は腰の入ったいい拳だ。
しかし、拳がアリサに届くことはなかった。
直後、クレインの腹を鈍痛が襲う。
アリサが、カウンターの蹴りを叩き込んだのだ。
「ご……はっ」
クリーンヒット。
鈍く、重い一撃にクレインの表情が歪んだ。一瞬、呼吸が止まる。
最初の一撃はインパクトの瞬間に、地の属性付与を合わせることで防いだのだろう。
だが、常に死角から目にも止まらぬ速度で攻撃をされては、防御が間に合わないはず。
クレインの体は大きく吹き飛び、大の字になって地に伏した。
やはり、クレインとアリサは戦闘において相性が悪い。一対一であればなおさらだ。
「ふー……。いい一撃もらっちまったな。もう少しで、意識がぶっ飛ぶところだった」
しかし、おそらくクレインもそのことは承知の上。
相性が悪かったとしても、彼はこの対面を、自らの意志で選んだだろう。
「アリサ、俺はまだやれるぜ」
だからこそ、どれだけ打たれたとしても、何度でも立ち上がる。
だからこそ、翠の輝きを放つ目が曇らない。
撃ち抜かれた足も、何度も打撃を受けた体も。
いつ限界が来ても、なんら不思議ではないというのに。
力を失う気配すらない声音を耳にし、アリサにはあの日の光景がよぎった。
どんなに絶望的な実力差を前に、何度倒れても立ち上がる少年の姿が。
◇ ◇ ◇
北の国、ベルシオン帝国で生まれたアリサが思い出せる記憶は、全て白銀と赫に塗り潰されていた。
子どもの頃から、戦うことしか知らなかった。
視界を埋め尽くすのは、全てを埋め尽くすような白。飛び散った赫。
そして、耳にこびりついて離れない
最初は目障りで、耳障りな事柄が不快で仕方がなかった。
しかし、嫌悪感を示していたのは、最初のうちだけ。
数をこなすうちに、慣れてしまったのだ。
実の父親である、ハロルド=ルーサーとの唯一の繋がり。
物心がつく前から戦争の道具としてアリサを見ていた彼に対して、父親としての認識は薄かった。
母は生まれて間もなく亡くなったと聞かされた。兄弟は……果たして、どうなのだろう。
任務として、人の命を奪う。
自分が生きるために、ただ戦い続ける。無感情に。機械的に。
他の生き方を知らないがゆえに、提示された現実を受け入れるのみ。
それがアリサ=フロリアにとっての日常だった。
そんな彼女のもとへ与えられた任務。
それが『魔法学園への入学』だった。
今まで与えられた、ただ戦闘を行うだけではない内容に最初は疑問を抱いた。
だが、そんなものはすぐに消失した。
のちに詳細が語られ、納得できた。
これが自分に与えられた仕事。任務。
最初に出会った少女とは、無事に仲良くなれた。
造作もないことだ。対人に必要なスキルは叩き込んだ。
対象となっていた三人と仲間になり、パーティーを組むところまではこぎつけた。
「……無駄に広すぎでしょ、ここ」
ライオアクティス王国に
今宵、アリサが任務として訪れた学び舎。
歩けど歩けど、果てなく広がる景色。
自身が今まで過ごしてきた白一色の世界とは違う、色鮮やかな世界。
見慣れない光景に気が引かれるも、それはほんの一瞬だった。
余計な感情は消す。
今まで、幾度となく繰り返したことだ。
ただ、目の前の任務にのみ集中し、達成することだけ考えていればいい。
この建造物にしても、いずれ潜入するために情報を仕入れておく必要がある。
頭に間取りを入れつつ足を進めていると、見慣れた人影が目に入る。
「──だー、くそ! また負けちまったかあ」
調査のため校舎を散策していたアリサの耳に、そんな声が飛び込んできた。
気がつかれないよう様子を確認すると、銀髪の少年と金髪の少年ふたりの姿があった。
状況は火を見るよりも明らかだった。
大の字で地に倒れる金髪の少年──クレイン=カイザーはやられてもなお笑顔だった。
そういえば。
最初に魔法学園で顔を合わせたのが彼だった。
無理して笑わなくてもいい、と言った。
まるで全てを見透かしたような笑みが、アリサの中で不快感として残っていた。
「うし、次こそは負けねえぞ! ヴァン!」
「クレイン。そろそろやめにしないか」
銀髪の少年、ヴァン=ギルバートが告げる。
傷つくクレインとは対照的に、無傷で涼しい顔をしている。
彼の実力は、魔法学園に在籍する一年生の誰よりも上回っている。教師と比肩する、と言っても過言ではないだろう。
とある事情で実力を出し切れずにいるが、それでもクレインでは到底敵う相手ではなかった。
事実、ヴァンは自身の武器である大剣を手にしていない。素手で戦っているのだから。
「わりい、頼むわ」
止めようとしたヴァンの言葉を遮り、クレインが言う。
体はボロボロ。だが、その目の輝きだけは失っていなかった。
この状態の彼にはなにを言っても無駄だと判断したのだろう。
ヴァンが、ため息をひとつ漏らした。
「……わかった。だが、これで最後だ。それ以上はトーナメントに差し支える可能性がある」
「恩に着るぜ」
クレインには、諦められない理由があった。
学園内トーナメントにて、仇敵との決着をつける。
その目的を達成するための鍛錬だ。
努力など重ねたとしても、あまり意味は成さないのだろうと考えていた。
クレインの実力はおおよそ理解している。伸びしろも。
──諦めの悪い、馬鹿な奴。
彼に対するアリサの評価は、そんなものだった。
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