109話 Power of the mind
莫大な規模の熱が、大気を焦がす。
絶大な威力を誇る紅蓮の剣。
あの日、竜さえも断った斬撃。
制限時間は残り、あとわずか。
あと一分と経たずに、この光景が恐怖一色に塗り変えられる。
肺に籠る熱が。肌を焦がす炎が。
武器として、守るために振るう力が失われてしまう。
それでは、この場に立つ意味がない。
なんのための鍛錬だ。なんのための気持ちだ。
全てを乗せ、大敵を穿つべく炎剣がラルグと衝突した。
魔力はじゅうぶん、込めた思いも。
両脚で大地を踏みしめ、両腕で握った炎剣を支える。
一度目の発動を上回る、万全の状態で振るわれた最強の一撃。
今、衝突の時を迎える。
これまで、渾身の魔法であれど通用しなかった。
幾度となく必殺に匹敵する一撃を叩き込んだ。
だが、これは紛れもなく必殺。
全身全霊。これならば、或いは──
「ぐ、ああああああっぁぁぁあああああ!!」
しかし、ラルグは耐える。
腕を交差し、赤銅色の炎を最大出力で噴出する。
互角にぶつかるどころか、押し返してくる。
腕を交差したまま、僅かに、しかし確実に距離を詰めてくる。
「この程度で……俺を仕留められると思ってんのか!!」
破壊の力で、真正面から叩き、ねじ伏せてみせたのだ。
「
再度、かき消された魔法を装填する。
渾身の力で、ラルグへと炎剣を叩きつける。
しかし、ラルグは接近しながらも弾き、火力を上げている。
更に、ヴァンが築いたものは急造の剣。
先ほど全力の炎剣では、ラルグの拳には到底届かなかった。
ぶつかり、実感する手応えはとても良いと言えるものではなかった。
紅蓮が押し負けている。赤銅色に飲み込まれている。
直感で理解した。
このままでは、足止めどころか完全に敗北してしまう。
(こんな、ところで……!)
思いが足りないか。
経験が足りていないのか。
そもそも、実力が足りていないのか。
鍛錬を重ねてもなお、届かないというのか。
……もはや、ここまでなのか。
獣の如く猛威を振るう男に屈し、このまま斃されてしまうのだろうか。
「負けて、たまるか……!!」
諦めたくない。諦めたくない。
振り絞るように出した声とともに、炎剣をラルグへ向けて叩き下ろす。
敵わないとしても、なにもしないよりはずっといい。
なにより、ここで自身が倒れてしまえば、己を信じてくれたシェリルに合わせる顔がない。
「ヴァン、大丈夫だよ! 私がついてるから!」
茶髪の少女がヴァンの手を握り、炎剣の柄を確かに支えてくれた。
背中で感じていた守るべき存在が今、ヴァンの隣にいる。
なぜ、という疑問よりも先に安心感が勝った。
心が不安定になるとき、いつもそばにいてくれる存在。
なによりも暖かな手が、灼熱をも彷彿とさせる赤髪を思い起こさせた。
◇ ◇ ◇
時間にして、数週間前。
ヴァンがソフィアのもとで鍛錬を重ね、ようやく炎が扱えるようになり、ヴァンの戦い方にも幅が広がった頃合いだ。
「そうね。制限はあるけど、炎に対する恐怖は薄れてきたんじゃない?」
師匠である、ソフィア=グラデルが告げた。
高い位置で束ねた赤い髪に、赤い瞳は夏場の陽光にも負けない輝きを放っていた。
炎は、ヴァンが発揮する本来の力だ。
攻撃力は格段に向上した。扱っていない期間こそそれなりにあるが、自分の体に備わった属性。
時間を重ねるごとに馴染み、確かな力として振るわれるはずだったが──
「はい、それでもまだソフィアさんには勝てませんが……」
いまだ、ソフィアを相手に手応えを掴めていなかった。
善戦はできているが、それでも決定打には至らない。
「ふふ、私はあなたの先輩だもの。そう簡単に負けるわけにはいかないわ」
あともう一歩。
僅かな差で彼女に届かないような気はするのだが、実際のところは相当な距離があるのだろう。
その証拠に、ヴァンは息が上がっているがソフィアは比較的涼しい顔をしている。
まだ、本気出していない証拠だ。
一歩が、やけに遠く感じた。ヴァンとソフィアの差を広げている決定的ななにか。
その正体がわからず、ヴァンのなかで澱のようなものが残っていた。
「どうしたら、ソフィアさんのように炎を扱えるようになりますか?」
とはいえ、これはあくまでも鍛錬。
考えて、実践して。わからないのなら、直接聞けばいい。
なにより、考えることが苦手なのがヴァンという少年だった。
「そうね……。本当は自分の力で気づいてほしいところだけれど、ヒントくらいなら出してもいいかな」
そのことはソフィアも理解していたのだろう。困ったように表情を緩め、顎に手を添える。
そして次の瞬間には僅かに頬を赤らめるが、その視線には確かな炎が灯った。
剣を交えているときと同じ目だ。
「頭のなかに、大切なものを思い描くの。それを全力で守るために、心の炎を燃やすのよ」
「それだけ、ですか?」
「ええ、それだけよ。でも、あなたはその力の強さにもう気づいているんじゃないかしら?」
「強さ、ですか……」
己の原動力は、仲間を守るという意思だと思っていた。
今回も、アリサを連れ帰るべくこうして鍛錬を重ねている。
なによりも大切な存在。それが、ヴァンにとっての仲間だ。
だがきっと、ソフィアが伝えたいことの本質はそこではないのだろう。
……やはり、答えは出ない。
あくまでも伝えてくれたのはヒント。答えにたどり着ける日は、まだ遠いのかもしれない。
「まあ、いつかわかる日がくるわよ。きっとね」
どこまでも澄んだソフィアの瞳。
あまりにも綺麗な目が、ただ羨ましかった。
◇ ◇ ◇
ソフィアからもらった言葉の意味。
初めて耳にしたときは、彼女の言葉の真意を読み取ることができなかった。
だが、今ならわかる。
ソフィアが、魔法学園が学園長──レナート=ミュラーに向ける感情のことか。
自室で倒れたレナートを見る彼女の表情、そして彼の話題が出たときに浮かべる異変の数々。
一見不安定な要素に見えたが、確かにソフィアの力の根源を見た気がした。
この気持ちを言語化できない。だが、確かに理解した。
純粋な実力だけではない。
彼女が強い理由。そして、どこまでも高みを目指してゆける魔法。
いつか、自分にも答えを出せる日が来るのだろうか。
「……!」
シェリルの手から感じるものは、温もりだけではなかった。魔力の供給を実感した。
彼女の手から流れる力を、確かに受け取る。
魔力以上に、言葉にできない力を感じる。
──彼女からもらう力には、いつも助けてもらっているな。
ひとりだけで成しえないのなら、ふたりで。
折れかけた心に勇気が注がれ、思いも、炎剣を支える力も強固なものになる。
「う、おおおおおおおおおおおお!!」
父と母から授かり、師匠が昇華してくれた力がこんなところで押し負けるはずがない。
もし屈する理由があるとすれば、ヴァン自身の心だ。
今気がついた。
仲間を守るために強くなる。なにも失わないために力をつける。
それもまた己を磨いてきた理由のひとつだ。
しかし、本質的なものはもっと先にある。
仲間とともに歩いた先にある、彼女と在る未来。
朧気だったが、しかし明確に彩られた光景。
紅蓮の炎が、この日一番の輝きを放つ。
強烈なまでに眩い光は、見る者を魅了する。
あの日の師匠が輝かせた瞳に匹敵する。
ふたりの思いが重なり、積み上げたものは決して揺るがない。
先ほどまで圧倒されていたラルグの炎にも、真正面からぶつかる。
ぶつかったうえで、越えていく。
「
だからこそ、もう一度唱える。
言葉にも、最大限の思いを乗せる。
負けてたまるか。退いてたまるか。
目の前にいる強敵がどうした。
最強の一撃が破られたからどうした。
気持ちが屈さない限り、何度でも立ち向かえる。
振り絞った力に、シェリルの力も上乗せする。
先ほどは耐えられた。しかし、もうそんなことはさせない。
ならば、こんなところで幕を引くわけにはいかない。
この場で、確実に仕留めてみせる。
縦一文字に降り抜かれた。
炎剣の発動、そして魔法は確実に成功した。
紅蓮の炎が大気を埋め尽くした。
破壊と衝撃。守りの一切を捨てた、攻撃同士。
戦場の熱が最高潮に達したとき、最大級の爆発が空間を支配した。
土煙が晴れる。
地には、巨躯が伏していた。
破壊の象徴として周囲を焼いていた赤銅色は風と共に流されていく。
先ほどまで耳を
違和感を抱くほどの静寂。
「斃したな、今度こそ」
地に腰を下ろし、ヴァンが告げた。
そこでようやく、戦闘の終わりを実感した。
先ほど数度渾身の斬撃、魔法を何度も叩き込んだ。
それでもなお、立ちはだかってきた。
前例があるからこそ油断はできないが、今のところ再び体を起こす気配はなさそうだ。
「お疲れ様」
「ありがとう、シェリルのおかげだ」
「ううん、私はなにも。頑張ったのはヴァンじゃん」
思わず、笑みが零れた。
だが、安心する。ヴァンは、僅かに震える自身の手に視線を落とす。
「……もう、しばらく炎は使えないな」
「そう、だね。でも、私たちにできることは全部やったよ」
ラルグとの戦闘が決したのは、刻限が訪れる瀬戸際。
あと数瞬でも決着が遅れたら、今頃地に伏していたのはヴァンだったかもしれない。
炎の再使用は不可能。
厳密にいえば、ある程度時間が経過すれば再使用は可能だ。
彼と対峙するにあたって、圧倒的な攻撃力を司る火属性の力を欠くわけにはいかない。
だからこそ、全力を出せる状況のまま決着をつけられた事実に安堵する。
だが、まだ完全には気を抜くわけにはいかない。
ラルグを倒すのは、あくまでも作戦の第一段階を達成したに過ぎない。
むしろ、本番はここからだ。
『彼女と一緒に、魔法学園へ帰る』
その目的がまだ達成されていないのだから。
いまだ闘いを続けているのは、この作戦に対して最も熱い思いをもって臨んでいた少年。
彼がまだ闘い続けている。
ふたりは、そんな仲間たちのもとへと視線を向けた。
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