10話 静かな怒り
「これ以上、私の友達を侮辱するのは止めてもらってもいいですか?」
「……は?」
リチャードに支配されていたと思われた空間。
そこに、彼の行ないを真正面から否定する声が響いた。
声に振り返り、リチャードが向ける鋭い視線の先にいたのは、この場に置いて一番小柄な少女だった。
しかし、その目は強い意志が感じられ、リチャードの気持ちを逆撫でするのに申し分なかった。
「だから、私の友達を侮辱しないで、と言ったんです。ここはあなただけの場所じゃないし、私たちがこの場を退く理由にならないですよね。もし、私の言ってることが気に食わないなら、私が相手をします。今ここで」
肝の据わったシェリルの態度が気に入ったのか、リチャードが不気味な笑みを浮かべる。
その表情は、なにかいいことでも思いついたように見える。
「わかった。それなら、君と僕、一対一で勝負をしよう。負けた者が勝った者の言うことを聞く。これでどうだい?」
その言葉に静かに頷くシェリル。
トントンと話が進んでしまうが、相手はリチャード。
彼の実力を知るクレインは、シェリルがどれだけ無謀な戦いに挑もうとしているのかわかっていた。
なんとしても、止めなくてはならない。
「シェ、シェリル……」
だというのに、クレインの喉からは情けなく声をしか出てかなった。
だが、そんなクレインに対しても、シェリルはとても穏やかな笑みを浮かべる。
「クレイン、大丈夫だよ」
それだけ言うと、シェリルはリチャードの元へと歩いていく。
すると、リチャードはシェリルの持つ剣へと視線を移す。
「へえ、良い物を持ってるね。じゃあ、僕も対等にいかせてもらおうかな」
その言葉と共に、リチャードは武器召喚の動作に入る。
現れたのは、派手な装飾の施されたレイピアだった。
戦闘用というよりいかにも儀式や、鑑賞目的で使用されそうな品だったが、相手はリチャード。
それに今回はヴァンと手を合わせたときのように木剣でなく、真剣。
油断ならない状況だ、というのは確かだ。
「もちろん、剣だけじゃなくて魔法も使うんですよね? この制服も着ているんだし」
「ああ、もちろんさ。そうでなくてはおもしろくないからね」
言いながら、ゆらりとレイピアを構えるリチャード。
シェリルの言う通り、この魔法学園の制服は特別製だ。
剣や魔法での戦闘を想定され、魔力の込められた特殊な糸で編み込まれているため、丈夫な造りとなっている。
しかしこの制服が、どの程度威力を軽減できるのか把握していない。
シェリルにとって、無謀な提案であることには変わりはない。
とはいえ、今のシェリルになにを言っても耳には入らないだろう。
シェリルが青い剣を構えると、リチャードがブレザーの内ポケットから一枚のコインを取り出した。
「じゃあ、このコインを弾いて地面に落ちたら開始の合図だ。いいね?」
その言葉にシェリルは小さく頷く。
リチャードは手の上に乗せたコインを親指で弾いた。
それと同時に、リチャードの後ろにいた三人の生徒たちも距離を置き、一対一の状況を作っていく。
どうやら、先ほどのやりとりで修練場にいた生徒たちも興味を持ったのだろう。
今はシェリルとリチャードの対決を見ようと集まっていた。
歓声が響く中、シェリルは自分でも驚くほどに集中していた。
周りには一切耳を傾けず、ただ真っ直ぐにリチャードを見据える。
相変わらずリチャードが嫌味たらしい笑みを浮かべている中、コインは地面に落下した。
その瞬間、リチャードは一気に間合いを詰めて刺突を繰り出した。
しかし、シェリルはその勢いを利用して受け流し、捌いていく。
リチャードの剣は確かに素早かったが、直線ゆえに軌道が読みやすい。
突き独特の構えに注視していれば、回避するには問題はない。
なによりシェリルにとって、彼よりも剣に優れたヴァンと打ち合った経験がある、というのが大きいのだろう。
(確かに速いけど、これぐらいなら……!)
そして、数回の剣の打ち合いで隙を見つけたシェリルは、リチャードのレイピアを弾き、剣を振り下ろす。
しかし、これで大人しく攻撃を受けるリチャードではなかった。
「──
紡がれたのは風の下級魔法。
各属性の下級魔法の中でも、威力が低いとされている風属性魔法。
その強さは、発生の速さにある。
一瞬反応が遅れてしまったが、シェリルは咄嗟に後ろへ下がり、直撃は避けた。
しかし、制服で守られた部分は無傷だったが、頬には小さな切り傷がついていた。
若干シェリルが優勢に思われたが、これで距離も空いてしまい、ふりだしに戻ってしまった。
やはり、リチャードの余裕さえ感じられる表情は崩れる様子がない。
「流石にアレはかわしてくれるよね。だけど、これならどうかな?」
そう言うと、リチャードはレイピアに指を添える。
すると今度はレイピアから風が溢れ出し、それを纏い始めた。
「
リチャードが紡いだのは風属性が中級魔法、属性付与魔法として分類されるものだ。
文字通り、この魔法は武器や肉体に己の魔力を流し属性を纏わせる魔法だ。
剣の切れ味を増したり、炎を纏わせて火力を増したりと属性によって特性がある魔法だ。
しかし、この魔法は習得する難易度もそれなりに高く、一年生の入学段階で使える者はまずいない。
クレインに対して魔法のことを自慢していた実力は伊達ではない、と言ったところか。
今まで平静を装っていたシェリルにも、焦りが浮かび始める。
再び、リチャードが距離を詰める。
まだ属性付与を扱えないシェリルにとって、彼との接近戦は圧倒的に不利だ。
「
近づけまい、とシェリルが放ったのは水属性が下級魔法だ。
水でできた球体がリチャードを襲う。
しかしそれはリチャードの脅威にはならず、走りながらもレイピアを横に振るうと、水の球体は風によって引き裂かれ消滅してしまった。
レイピアを振るった勢いで発生した
「うっ……!」
剣を正面に構え、受け止めようとするも気休めにもならず、先ほどと同様に切り傷がついてしまう。
痛みで一瞬怯んだ隙に、リチャードの接近を許してしまった。
リチャードは属性付与によって強化された刺突を放つ。
シェリルはそれをギリギリで受け流す。
しかし、レイピアの軌道は反らせても同時に発生した鎌鼬がシェリルを襲いかかる。
下級魔法を食らった時から、少しずつであるが傷口が増えていく。
シェリルが苦痛に顔を歪めている間にも、リチャードの手は止まない。
だが、不幸中の幸いと言うべきか。鎌鼬ひとつひとつのダメージは小さく、決定力に欠ける。
とはいえ、このまま持久戦になってしまえばリチャードの優勢は変わらない。
シェリルはなにか手を打たなければ、とレイピアを受け流しながら思考を巡らせる。
すると、ほんの一瞬。リチャードの視線が逸れた。
ほんの僅かであるが、彼が見せた隙。
(今だっ!)
シェリルは深く、一歩踏み込んだ。
しかし、だ。リチャードへ向けて剣を振り下ろす体勢を作った直後。
背後から、バチッと一瞬放電音が耳に響く。
リチャードが目を逸らした理由はこれか──!
だが、理解したところでもう遅い。
頭では避けなければ、と思っても体が追いつかない。
シェリルは直撃を覚悟した。
(……?)
しかし、一向に痛みを感じない。
目を開けると、なぜかリチャードが手を止めて顔を歪めている。
シェリルが振り返ると、そこにはいたのはヴァンだった。
彼が持っていたのは、身の丈ほどの大きさの、無骨な片刃の大剣だった。
片手で持っているが、かなりの重量であろうことは理解できた。
まるで受け止めたように立つその体勢に、シェリルは不思議に思ってしまう。
その間にもヴァンはリチャードの正面に移動し、大剣を持っていない手で腹を殴りつける。
リチャードは情けない声とともにごろごろと転がっていった。
「ヴァン、どうし……」
シェリルはなにが起きたのか、わからずヴァンの顔を覗き込むが、その表情は恐ろしいほどに怒気を孕んでいた。
「シェリル、下がっていてくれ。あいつは、お前の気持ちを裏切った。許すわけにはいかない」
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