6話 女の子の朝は忙しい


「ん……」


 カーテンの隙間から朝日が差し込むなか、シェリルは起床した。

 昨夜は、少年と長時間打ち合った疲れが作用し、良質な睡眠をとれたのだろう。

 頭が覚醒するまで、そこまで時間がかからなかった。


 日頃の鍛錬のおかげか、昨日の少年との打ち合いで筋肉痛になっていなかったのも幸いと言えるだろう。


 ベッドから降り、固まっていた体を伸ばしながら時計に目をやれば、現在時刻は七時半。

 今から準備をくれば、アリサと約束をしていた八時半には、問題なく間に合うだろう。


 シェリルはふと、昨日の夜にやり残したことを思い出す。

 昨日出会った少年のことを確認するんだった、と慌てて枕元に置いた生徒手帳に手を伸ばし、操作する。

 しかし、手を動かすごとにシェリルの表情は曇ってゆく。


 確認できるのは、あくまでも自分の情報か連絡先を交換した生徒のみ。

 必要な情報が詰まっている生徒手帳とはいえ、ほかの生徒についての情報は載っていないようだ。


 やはり、少年とはまた直接会わなければならない、と思考を切り替えるシェリル。

 彼のことは新入生ということ以外不明だったが、シェリルなりに考えがあった。


 少年は剣を振るうことを、日課と言っていた。

 ならば、最悪クラスが違ったとしても、あの修練場へ行けば会える可能性が高いのだ。


「よし!」


 先ほどまで曇っていた表情とは一転し、両の拳を自身の前で握る。


 少し先の目標が決まったところで、シェリルはもうひとつの課題に意識を向ける。


 シェリルは昨日、集合時間を指定したにも関わらず、アリサを待たせてしまったことを気にしていた。

 なので、今日は早めに到着しアリサを驚かせようとシェリルは考えていた。


 再び「よし」と小さく呟き、シェリルは軽い足取りで洗面所を目指した。


◇ ◇ ◇


 あれから準備を済ませたシェリルは、一階のエントランスまで到着していた。

 壁にかけられた時計に目をやれば、現在時刻は八時一五分。

 人がポツリポツリといるなかで、ふかふかのソファに腰をかける人物がシェリルに手を振ってきた。


「よう、おはようさん」

「おはよ〜」


 この早い時間だが、金髪の少年──クレインは昨日と変わらない屈託のない爽やかな笑みを向けてきた。

 朝に相当強いのだろうか、その振る舞いからは眠気や気だるさは一切感じられなかった。


 しかし、シェリルの中では一点気になることがあった。


「クレイン、お風呂に入ったの?」


 クレインがシェリルの向かいの椅子に座るべく移動した際、ほんのりとシャンプーの香りが鼻に届いた。

 それによく見れば、クレインの髪は僅かだが濡れていたのだ。


「ああ、さっきまで鍛錬しててな。流石に汗びっしょりのまま、ってのは気持ち悪いしよ」

「朝から熱心だね、ずっと続けてるの?」


 想像していたよりもずっとフカフカしていたソファの感覚を全身で確かめつつ、シェリルが問う。


「んおー……まあな。ガキの頃からずっとやってるぜ。環境が変わったからって、やめるのもなんだかムズムズすんだ」


 昨夜の少年といい、クレインといい、同級生たちが重ねてきた努力と、自身が行なってきた努力の差をシェリルは実感していた。


 それはそれとして、若干、クレインの歯切れが悪いのは気のせいだろうか。

 彼としてもなるべく早く切り替えたい話題だったのか、慌てたように周囲を見渡した。


「……い、言い出しっぺのアリサは、まだ来てないみたいだな」

「うん。アリサが誘ってくれたから、遅れることはないと思うけどね」


 そしてふたりが談笑して待つこと一〇分ほど。

 今度はクレインとは対照的に、間の抜けた声が聞こえてくる。


「おはよ〜……」


 声の主は見当がついていたが、その姿にふたりは驚愕した。

 ボサボサの髪に、だらしなく着崩した制服姿の彼女。


 とても、これから入学式へ向かう者の姿には見えなかった。

 当の本人は自覚がないのか、眠たそうに目を擦っているが。


「アリサ!? どうしたの、その格好⁉︎」

「どうもしないよー。 さ、入学式行こ〜」

「そんな格好じゃ行けないってば! ここ座って!」


 シェリルは、ふにゃふにゃ状態のアリサを、自分が座っていたソファへと強制的に座らせる。

 アリサ本人はこのままで大丈夫、とは言っていたが頭の回っていない彼女の意見はシェリルに届くことはなかった。


「クレインごめんね、ちょっと待っててもらっていい?」

「おう。時間にもまだ余裕あるしな」

「ありがとね」


 了承を得たところでシェリルはアリサの後ろに立ち、目を閉じて両手を構える。

 すると、シェリルの手が青い光を放った。

 それはまさに魔法使いである彼女たちに許された特権、魔法を行使する予兆だった。

 

 彼女の放つ光が青であることから、水の魔法であることが予想される。

 そのまま、水をかけてアリサを起こすのだろうか。


 クレインがまじまじと見つめていると、シェリルはそのままアリサの頭頂部に手を添えて流れるように下へと滑らせた。


 先ほどまでボサボサだったアリサの髪はみるみる潤っていき、昨日と変わらない艶を取り戻した。


「おお……」


 一瞬の出来事に、クレインが感嘆の声を漏らす。


 シェリルの行動はそれで止まらず、乱れた制服も手際よく正していく。

 寝ぼけた顔以外、ものの数十秒で身嗜みを整えてしまった。

 最後の仕上げとして、青い光を纏った両手でアリサの顔を挟む。


「アリサ、朝だよ!」

「ひゃっ!」


 気合の一言と共に、喝を入れたのだ。

 アリサの情けない声とともに、全ての行程を終えたシェリルはどこか満足そうだった。


「わ、シェリル。 おはよ」

「おはよう。 目、覚めた?」


 先ほどの一撃をもらって、アリサの寝ぼけ眼がしっかり開かれている。

 完全に目が覚めたようだ。シェリルの言葉に、コクコクと頷いていた。

 

 その様子を見て、クレインはただただ驚愕していた。


「すっげえな。そんな魔法の使い方、初めて見たわ」


 基本的に魔法は、攻撃を目的に行使されることが多い。

 魔法使いが軍事方面で活躍しているため、当然と言えば当然なのだが。

 

 その中でも水の魔法は無形であるが故に、自由度が高い。

 反面、扱いが難しい属性でもあるため、術者の技量に大きく左右されやすいのも確かだった。

 それを目の前の少女は、寝癖直しと眠気覚まし用に使用したのだ。


 手際の良さ、アリサの髪も顔も水の魔法の効果を受けたにも関わらず、水浸しということもない。

 しっかりと髪に潤いのみを与えているように見える。


 これらのことは非常に細かいコントロールが必要とされ、一朝一夕というわけではなく日頃から行なっていることが感じられた。


 当のシェリルは嬉しそうにふにゃりと表情を崩して笑っている。


「えへへ、たくさん練習したからね。 もちろん、やり始めたときは何回もずぶ濡れになったよ」

「それでもできるだけでじゅうぶんすげえっての」

「本当にね。私朝弱いし助かったよ、毎朝お願いしたいぐらい」

「毎朝!?」


 アリサの言葉は、本気なのだろうか。

 それとも単純にシェリルの反応が見たかったが故の冗談なのか。

 真相は定かではないが、今は楽しそうに笑っている。

 それを見ていたクレインも、ふたりのやりとりが気に入っているのかどこか楽しそうだ。


「うし。アリサの準備もできたみたいだし、そろそろ会場に行くか? 今から行けば、時間もちょうどいいだろ」


 アリサは笑顔のまま、シェリルは先ほどのやりとりを引きずってか少し不安そうな表情でそれぞれクレインの言葉に頷く。

 こうして、三人は無事に入学式の会場を目指すことになった。

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