5話  厚い壁


 少年と打ち合いはじめて、どれ程の時間が経っただろうか。

 小気味いい乾いた木の音とともに、一振りの木剣が中空へと舞い上がる。

 そのまま重力に従い二転、三転と規則正しく回転する木剣はシェリルの遥か後方に落下した。


「ダメだったか〜……」


 緊迫した空気から一転、緊張の糸が切れたシェリルは尻餅をついてしまった。


 結局、シェリルは少年に一撃を見舞うことすら叶わなかった。

 全力で振るい続けた剣も先ほど同様全て受け止められ、少年の剣から放たれる反撃の刃はシェリルの手に負える代物ではなかった。


 シェリルは肩で息をするほどに疲労していたが、少年は呼吸ひとつ乱さず、依然として無表情を貫いていた。


 両者の様子を見比べれば、この打ち合いの勝者は一目瞭然だ。


 ここまで完膚無きまでに敗北してしまっては、むしろ気持ちがいいというもの。

 技術を盗むというより圧倒的な実力の差を思い知らされる結果となってしまったのは、不甲斐ないというほかないわけだが。


「すまない、せっかく付き合ってもらったのに熱くなってしまった。 立てるか?」

「はい、ありがとうございます。全く歯が立ちませんでした」


 少年は差し出した手をシェリルが握ったのを確認し、彼女の体を軽々と引き起こす。


「これでも剣には自信があってな。 そう簡単には負けられない」


 少年の言葉になるほど、と頷くシェリル。

 確かに少年は剣の鍛錬を日課、と言っていた。

 日常的に磨かれてきた腕前は本物。

 それは、先ほどまで刃を交えていたシェリルがよく理解していた。


「私もまだまだです、もっと先輩みたいに腕を磨かないとですね」


 両の拳を握り、これからの目標を笑顔で語る。

 その言葉に、無感情な少年は何故か目を丸めて不思議そうな表情でシェリルの顔を見つめる。


 再び訪れる、沈黙の時間。


 数秒ではあったが、シェリルにとっては何分にも感じられた。

 今度は、少年が沈黙を破ることとなった。


「俺は、一年生なんだが……」


 その言葉を聞いてもやはり固まったままだ。

 そんな状態でも、思考は巡り脳内はクリアだった。


 少年の落ち着き、淡々とした話し方。そして巻かれていないネクタイや剣の腕前。


 判断材料は多々あったものの、全てはシェリルの勘違いという結果に行き着く。

 思考が纏まったところで、ようやく口が動いた。


「──え、ええええ!? 本当の本当に、一年生!?」

「あ、ああ。 証拠といってはなんだが。剣の鍛錬中は巻いていると邪魔でな、ずっと外していたんだ」


 突然発せられた声に驚きつつ、少年が取り出したものは新入生の証でもある青いネクタイだった。

 理由はどうあれ、シェリルの羞恥心を煽るにはじゅうぶんな代物だった。

 シェリルの顔は赤くなり、握っていた拳を解き赤面した顔を覆った。


「やっちゃった〜……。ごめんなさい……」

「いや、少し驚いたが問題ない。老け顔だった俺に非があるんだ。勘違いさせてすまなかったな」

「老け……え?」


 少年の言葉を聞き、首を傾げるシェリル。

 彼はとてもじゃないが、老けているようには見えない。むしろ、若干のあどけなさすら残る端正な顔立ちをしている。


 だが、彼は至って真剣。とても冗談を言っているようには聞こえない。

 だからこそ、シェリルのリアクションに明らかな戸惑いを見せていた。

 なにか余計なことを言ってしまったのではないか、と。

 無表情だというのに、彼の感情が伝わってきた。

 

(なんだか……)

  

 とても、不思議な感覚だった。

 眼前の少年を見ていると、胸がぎゅっと締めつけられる。

 修練場を訪れたときもそうだが、この場所に、というより彼に吸い寄せられるように足を踏み込んだように思う。

 シェリルにとって、初めて味わう感覚だった。


 なにかこの気持ちに答えが出るのかもしれない、という思いでシェリルは少年を見つめてみた。


 しかし、なにも発さずに視線だけ送るシェリルの行動は少年に追い討ちをかけた。

 やはり自分の言動に何かあったのだ、と結論づけてしまいオロオロしだす。

 剣の腕は一流だというのに、こういった対応には滅法弱いらしい。

 少年が困り果てていたそんな時、神の声とも呼べる声がかかった。


「おーい、君たち! 遅くまで頑張ってるところ申し訳ないけど、そろそろ時間だぞ〜」


 いまだ気持ちが落ち着かないシェリルが声の方向を見れば、修練場を閉めにきたのだろう鍵を持った男性教員の姿があった。

 修練場に備え付けられた時計に目をやると、九時に迫る時刻となっていた。


 どうやら、随分長い時間打ち合っていたらしい。


「も、もうこんな時間だったのか」

「みたいだねー……」


 少年はこの場の空気が変わったことにほっと胸を撫で下ろす。

 シェリルは、若干名残惜しそうだったが。


 もう少し、彼との時間を過ごしてみたかったな、と思いつつ視線を横へとやる。

 すると、修練場の壁が広範囲で斬り刻まれ、大きく損傷していた。

 修練場に組み込まれた術式のおかげで修復を始めていたものの、それは目を引くにはじゅうぶんだった。


(もしかして……)


 ──あの傷は、少年がつけたものなのか。


 確かに少年の実力は自身を圧倒的に上回るが、木剣であそこまで壁を損傷させられるのだろうか。

 それとも、シェリルが修練場に入る前に魔法を放っていたのだろうか。


 とはいえ、少年の手の内を全て理解しているわけではないので、考えてみても答えが出るはずもないのだが。


 思考を切り替えるべく、せめて片付けぐらいは自分がしようとシェリルが周囲を見渡すと、先ほど吹き飛ばされたはずの木剣はなかった。


 考えごとをしている間に、少年が一緒に持って行ってくれたようだ。

 最初と同じように、奥のドアでゴソゴソと物音を立てていた。


 そのことにすら気がつかなかった自分に、再び赤面していると少年はなにも言わず涼しい顔で帰ってきた。


 結局片づけをしている間、待たせてしまった男性教員にふたりで会釈をし、その場を後にした。


「……ありがとね。剣、片づけてくれて」

「ああ、気にすることはない。元々俺が用意したものだからな」


 先ほど、木剣を片づけてもらった礼が言えていなかった、とシェリルが話題を作ってみるがそれを淡々と返す少年。


 話し方は淡々としているものの、決して冷たいという印象はなかった。

 表情もほとんど変化はないが、気を使ってくれたり、感情は割と表面に出ている。

 それに、明らかに実力に差があったのに、最後まで剣の打ち合いに付き合ってくれた。


 シェリルは、気になっていた疑問をぶつけてみる。


「日課って言ってたけど、剣は小さい頃から振るってるの?」

「そうだな、物心がついた頃には剣を握っていたはずだ」


 なるほど、と頷くシェリル。

 幼少の頃から剣を振るっているのなら少年の実力も納得だった。


「私も、もっと早くに剣を握ってたら良かったな〜」

「今日打ち合ってわかったが、お前は筋がいい。このまま腕を磨けば、いい剣士になるだろう」

「ほんと? えへへ、ありがとう。私もいつか、追いつけるかな」


 シェリルの言葉に、少年は少し困ったように答えた。


「……俺を目標にするのは、あまり勧められないな」

「なんで?」


 何気なく発せられたシェリルの疑問に、少年は顔を曇らせる。

 それは、注視しなければわからないほどだった。

 だが、確かに彼に起きた変化だった。


「俺は、強くなるしかなかったんだ。それだけが俺の全てだったから。そんながむしゃらなもの、好き好んで目指すべきじゃない」


 雰囲気だけでなく、声も僅かだが沈んだように聞こえる。

 その少年の変化に、シェリルはなにも言えなくなってしまった。

 ただの一言ではあったが、少年の言葉には計り知れない重みを感じたから。


◇ ◇ ◇


 それからというもの、結局その後はほとんど会話を交わすことなくシェリルと少年は学生寮まで到着していた。

 どうやら少年も六階の部屋であったが、流石に都合よく隣や向かいの部屋というわけにもいかずエレベーターから、一番近い六〇一が少年の部屋らしい。

 ふたりは簡単な言葉だけを交わし、お互いの部屋へと入っていった。


 その後シェリルは、汗を流すべく本日二度目の入浴を済ませた。


「はー……」


 簡単にシャワーを浴び、髪を乾かし終えたシェリルの口からため息が漏れた。


 先ほどの少年、確かに変化こそ少なかったものの落ち込んでいるように見えた。

 何かフォローを入れるべきだったのだろうが、自分が入る余地がないように感じられたシェリルは、結局かける言葉が見つからなかった。


「それでも、なにか言うべきだったよなあ……」


 自分の行動に激しく後悔し、蹲ってしまう。

 しかし自分が声をかけたところで、何か変わるのだろうか。

 疑問に思うところはあるが、考えていても仕方がない。


「よし、明日謝ろう! そうしよう!」


 悩みこそすれど、シェリルは立ち直るのが割と早めだった。

 決意を新たに立ち上がるが、しかしまた新たに問題が発生していた。


「あ」


 そこで大事なことに気がつく。

 先ほど一緒にいて、打ち合いまでしたというのに連絡先はおろか名前すら聞くのを忘れてしまっていた。

 しかし、シェリルはふと思い出す。


 生徒手帳には、学園で生活する上で必要な情報が全て詰まっている。


 ならば、クラスに在籍している生徒の情報も載っているかもしれない。

 少年が同じクラスとは限らないが、確認してみる価値はあるだろう。


 シェリルは、枕元の生徒手帳を手に取る。

 映し出された液晶の上部には、最初確認したときにはついていなかった、手紙のようなアイコンが浮かび上がっていた。


 この生徒手帳はお互いにIDさえ交換していれば、声による通信はもちろんメールのように文章による連絡も可能となっている。

 そのことを思い出しシェリルが生徒手帳に指を走らせると、どうやらメールの差出人はアリサのようだった。


『シェリル、今日はありがとね。

入学式、クレインも誘って会場まで一緒に行こうよ。 明日の朝にエントランスに八時半集合でどう?』


 それは、明日の入学式への誘いの内容だった。

 アリサとは出会い方こそ不思議だったが、クレインと揃ってふたりとも気さくでとてもいい人物だとシェリルは認識していた。

 なので、シェリルもこの誘いを断る理由もなく。


『いいよ。じゃあ、また明日ね』


 シェリルは慣れない手つきで簡素なメールを返し終えると、生徒手帳を枕元に置き横になる。

 先ほどは眠気をほとんど感じていなかったものの、修練場での打ち合いのこともあり無事に体力を消耗し今なら気持ちよく眠れそうだった。


 少年のことを生徒手帳で確認しようと考えていたものの、横になってしまうと睡魔が襲ってきて行動に移す気力をどんどん奪っていく。


(明日でいい……かな……)


 消えゆく意識の中、残された体力で部屋の電気を消し再びベッドの中へと潜っていく。

 そこからシェリルが眠りの世界へ旅立つまでそう時間はかからなかった。

 こうして、シェリルの学園生活は始まった。

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