第4話

 役所での説明を受け、外に出た頃には、まあまあの時間が経っていた。朝っぱらから役所に来たにも関わらず、時刻は昼をとうに過ぎていた。そろそろおやつ食べても良いかな、くらいに思える時間帯である。

 恐ろしく膨大な数の書類を書かされて、恐ろしく膨大な量のレジュメを渡された。その上で、今日絶対に覚えて帰ってほしいことだと異世界生物に関する講義めいた説明を受けた。ずっと座っていたのもあって、体がちょっとだけかたくなっている気がする。ぐっと伸びをすると、少年が軽く首を傾げた。そうしてから、同じように手を伸ばしてみせる。ぐうっと手を回してから、彼はこれでいいのか、とでも言うように私を見た。輝かんばかりの瞳に、少しだけ笑う。


「疲れちゃったね」

「つかれ……。えと、うん。ずーっと、はなし、きいてた……から、ちょっとだけ」


 少年は小さく頷くと、照れたように笑った。フードはかぶったままだ。『扉』から落ちてくる異世界生物が多くなったとは言え、ドラゴンはどうしても希少な存在であるから、あまり目立つようなことは控えた方が良い、とはルーティオさんから何度も言われたことである。ネット上に写真をあげたり、ドラゴンを拾ったと書き込みをしたり、そういうこともやめておいたほうが良い、とのことだ。

 確かに、私がうかつな行動をして、そのせいで少年を危ない目に遭わせるのは本意ではない。三ヶ月後に待つ、異世界への帰還日まで、少年が楽しく過ごせるように。それまで、彼の安全を守るのは、私の役目だ。

 ルーティオさんから、とりあえず必要になるだろうという、衣類や生活用品の詰まった紙袋を貰っている。ただ、靴だけは、どうしても役所に備えがなかったので、購入しておいてください、とのことだ。

 今、少年は私が購入したものの、あまり使っていなかったサンダルを履いている。少年の足の大きさには合っていないので、少しでも足を速めれば、すぐに脱げてしまいそうだ。

 本当なら、あんまりお出かけとかもしてはいけないかもしれない――けれど、三ヶ月ずっと家の中、というのも、なんだか寂しいだろうし。


「ね、一緒にご飯食べに行こうか」

「ごはん……」

「そうそう。確か、何でも食べれるんだよね。でも、何か食べたいものとか、ある?」

「たべたいもの」


 初めて聞いた言葉、とでも言うように少年は舌足らずに繰り返す。フードの下で青色の瞳を瞬かせて、少年は口の開閉を繰り返した。


「た、たべたいもの……。あの。えと。えとね」

「うん」

「えと……その」


 少しためらうような間を置いて、少年はフードの裾を軽く握るように指先を動かした。少しだけ体をかがめて、視線が合うようにする。少年は微かに息を呑むと、それから「ユズハの」と声を震わせた。


「ユズハの……すきなもの。たべたい」

「私の?」

「うん。ユズハの、すきなもの、しりたい……。えと、だめ?」

「駄目じゃないよ。でも、そっか、私の好きなものかぁ……」


 色々あるからどれにしよう、なんてぼんやりと思考を動かす。好きなもの、そして、少年も美味しく食べられるもの。私が好きであっても、少年の口に合わなかったら、折角の初めてのお出かけが悲しい思い出になってしまう可能性もある。

 専門店はやめておこう。色んな料理が食べられるような、レストランが一番問題ないだろう。

 うん、と頷いてから携帯でレストランの場所を検索する。少し歩くが、近場にあるようだ。


「よし、行こうか!」


 手を差し出すと、少年は微かに息を零した。そうして、照れたように頬を緩め、「うん」と頷く。幼い指先がそっと手のひらに触れるのを感じながら、私はナビに従って、ゆっくりと歩き始めた。



 昼過ぎということもあってか、レストラン内の混雑はゆるやかなものになっていた。店員に案内

された席に腰を下ろす。空いているのもあってか、ボックス席に座ることが出来た。四人用の大きな席だ。


「あの、えと、ユズハ……よこ、すわっても、いい?」

「もちろん。いいよ」


 頷いて返すと、少年は小さく頷いた。そうして、すぐ私の横に腰を下ろすと、楽しげに表情を緩ませる。フードの下に覗く表情が、緊張とはほど遠いもので、それに少しだけほっとした。


「何食べようか」


 机に備え付けのタブレットを手に取る。画面を指先でタップすると、すぐにメニュー画面が開いた。少年が一瞬息を呑んで、「たくさん……」と驚いたような声を上げる。


「たくさん、ごはん、あるね……」

「そうだね。なにか気になるものはある?」

「えと、ゆずはの、すきなもの、きになる」


 問いかけると、すぐに答えが返ってくる。たどたどしい口調で紡がれた言葉が、少し、微笑ましい。

 私の好きなものが知りたい、食べたい。最初から提示されていた問いかけに答えるように、私はメニュー表をめくる。


「これとか。あと、これも美味しいし、これも好き」


 ゆっくり、一つずつ食べ物を指さしながら答えると、少年は小さく頷いた。そうして、「おいしそうだね」とふくふくと笑いながら答える。


「私の好きなもの、君の口にも合うと良いな」

「うん。えと、たぶん。ぜんぶ、すきだと、思う。いままで、ずっと、うらやましくて……」


 少年が小さく、囁くように言葉を口にする。うらやましくて。――何が、うらやましかったのだろう。少し気になるが、少年はメニュー表に夢中のようだし、声をかけて意識を逸らすのもなんだろう。私は口を閉ざして、少年の指先が動くのを見守った。

 少年はほどなくして、私の好きなものの中から食べたいものを選びだした。私も今食べたいものをタブレットに入力し、そのまま注文を行う。

 これで程なくしたら、店員が食事を運んでくるだろう。


「ご飯の後は靴買いに行こうね」

「くつ」

「そう。足に履いてる……」

「えと、これで、いいよ。あたらしいもの、いらないよ」

「それはサイズがあってないからなぁ」

「さいず……」


 少年はぱちくりと瞬いて、それから視線を落とした。靴を確認するように、足をぐっと伸ばす様子が見える。それだけの動作で、少年の履いた靴がぶらぶらと揺れているのが見えた。


「えと、あの……あのね」


 少年はゆっくりと足を下ろすと、それからぐっと拳を握ってみせた。私よりも一回り以上小さな手の平が、きゅうっと丸まっている。


「だ、だいじょうぶ、だよ」

「うーん。でも多分脱げちゃうと思うんだよね。……あ、もしかして、その形気に入ったの?」

「かたち……えと、うん、そう、です」

「多分小さいのもあると思うよ」

「えっ」


 少年がまるで慌てたように首を振った。「あの、か、かたち、ちがう」と小さく言葉を繰り返して、それから眉根をきゅうっと寄せる。なんだか泣き出しそうな顔だった。

 どうしたのだろう。靴自体が必要無い、というわけでもないと思うのだけれども。形が気に入っているのなら、同じものを探せば……、と思うが、そういうことでもないらしい。

 どうしようか、と考えて居ると、少年がくい、と私を引っ張った。虹彩が微かに揺れながら、私を見る。


「えと、あのね……め、めいわく。かけてる」

「迷惑?」

「そう。あの、たくさん。……おちてきて、助けてもらって、いっしょに、くらそうって、いってくれたのに。それに、くつも、かってもらったら。ほじょひが出るっていってたけど、でも、たいへんでしょう。だから……」


 だから、大丈夫、と少年は続ける。もじもじと、微かに言いにくそうに紡がれた言葉に、なんとも言えない、いじらしさのようなものを覚える。

 私は少年をじっと見つめた。


「大丈夫、大変じゃないよ」

「……ほんとう?」


 返した言葉は、月並みなものだった。けれど、それでも、私なりに必死に考えた結果の、言葉だ。

 少年は微かに瞬くと、私の服をもう一度だけ軽く引っ張った。問いかける声が、微かに震えている。


「もちろん、本当だよ。実は今も楽しくて胸がドキドキしてるくらい」

「どきどき……」

「そう。胸がわーって騒いでるかんじ。これからの三ヶ月も、すごく楽しみ。君が帰るまで、楽しんで貰えたら嬉しいなあって思ってる」


 本心からの言葉だ。――そう、せっかく、異世界からこちらの世界へ落ちてきたのだから、沢山楽しんで帰ってほしいものである。

 様々な場所へ行って、色んなことを体験して、地球も悪くないな、なんて思ってくれたら。落ちてきて不安だった時のことを、面白おかしく語ることが出来るようになったら。

 そうなったら、きっと、素敵だ。


「だから、迷惑じゃないし、大変じゃないよ。むしろ私が迷惑かけていたらごめんね」

「……ううん。あのね、めいわく、じゃないよ。あの、あのね、おれね……」


 少年はそっと自身の胸元に手のひらを寄せた。そうして、私をじっと見上げる。柔らかな感情を宿した瞳が、楽しげに揺れるのが見えた。


「おれも、どきどき、してる……」

「一緒だね」

「うん。えとね、一緒」


 いっしょ、ともう一度言葉を続けて、少年はくふくふと笑みを零した。見ていると邪気が抜けそうなくらい、柔らかくて、優しい笑顔だ。

 可愛いな、なんて思って、思わず頬が緩む。お互い笑い合っている内に、店員が食事を運んできた。


 食事を終え、外に出る。少年の、カトラリーの取り扱いが、ものすごく上手になっていた。先日夕飯を食べる際にも使ったものの、目を見張るような上達具合である。先日のフォークづかいをレベル1としたら、今日のフォークづかいはレベル50くらいに達しているようにも見えた。

 ルーティオさんは「ドラゴンは何でも出来る」と言っていたが、ここにもそれが発揮されているのだろうか、なんて少しだけ思ったものである。

 携帯でショッピングモールの場所を探りながら、それにしても、なんて私はぼんやりと少年へ視線を向けた。

 少年は、少年ではない。ルーティオさん曰く、大人であるとのことである。ただどうしても、見た目に引っ張られてしまうので、もしかしたら散々失礼な行動をしているかもしれない。自分の今までの行動を省みると、なんとも言えない気分になる。

 少年――彼に、名前はない。ルーティオさんにも確認してもらったから、そこのところは定かだろう。

 これから三ヶ月共に過ごすのに、少年、だとか、君、だとか言い続けるのも、なんだか――なんだか、もったいない気がした。


「ねえ、名前、決めようか」

「なまえ?」

「そうそう。君呼びもなんだし……、この地球でのみ使う名前というか。私と君の間だけで、使う名前を、決めない?」

「なまえ……。ゆずはと、おれの、あいだだけで、つかうなまえ……」


 少年は私の言葉を口内で転がすように発する。そうしてから、小さく息を零すようにころころと笑い出した。


「なまえ。うん。なまえ、きめたい。なまえ、ユズハに呼んでほしい」

「良かった。それじゃ、候補とか考えよう。希望はある?」

「えとね。ユズハの……すきな、もの。さっきたべたやつ! のなまえ……えと、パスタ! とか」

「それはやめよう……」


 そっと手を差し出すと、少年は眦を緩めながら私の手を取る。ぎゅう、と握りしめてきたそれを離さないように、同じように握り返す。

 私たちは名前候補をそれぞれ口にしつつ、ゆっくりと歩を進めた。

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