現代版-WARASHIBE長者

大谷本直毅

一つの落とし物

 8月に入ってから、連日40度近い猛暑が続き、日本中どこに行っても、外に出る事さえ危険になってきている。

 さらに単身赴任先のここ名古屋といえば、全国的にみても湿度も高く蒸し暑さを感じる土地柄でもある。

 私といえば、借りている2LDKアパートの2階の畳の部屋で、エアコンは使わず、窓を開け、全身にうっすらと汗をかきながら、扇風機を回して大の字になって仰向けに寝転んでいる。久しぶりにお盆を挟んだ10日ほどの休みをもらい、どう過ごそうか思案の真っ最中である。

 山之内崇、47歳。地元の北九州に本社を置く中堅事務機器メーカーで一営業として20年ほど務めたあと、マネジャー昇進と共に4年ほど前に、名古屋に支店を出すと言うことで単身赴任でこの街にやってきたのである。ようやく名古屋の雰囲気にも慣れたのだが、出不精で仕事以外に、これと言って趣味もない私にとって、長期休暇は意外と苦痛でもある。

 地元の北九州に戻ることも、頭をよぎるが、二人の娘も大学を卒業と共に就職し、一人になった妻は、さぞ寂しい思いをしてるかと思いきや、最近復帰した保母さんの仕事が楽しいらしく、私が帰郷すると言うと、あからさまに怪訝そうな声で、そちらでのんびりしてればと、交わされてしまう。子供の世話はできても、旦那の世話は面倒だと言うことか。今の私にとっては定年後が恐怖でしかない。 

 とにかく、何をすれば良いのか、パチンコ、競馬、嫌々、食費込みで5万円のお小遣い制の私にとって、そんな冒険して負けでもすれば、休日何もできずに終わってしまう。ふと壁にかけてある時計を見ると午前11時。朝早く起きて、軽食とったまでは良いが、その後は寝転んだまま、2時間が過ぎようとしている事に気付く。

「よし、とりあえず近くの図書館にでも行って、本でも涼しいところで読むとするか」自分に言い聞かせるように、腰を上げ白の半袖シャツとベージュの半ズボンに着替え、ショルダーバックを斜めがけに肩に掛かると、携帯を手に持ち、玄関のシューズに片足を入れた時だった。

「ぶるるるっ…ぶるるるっ!」手に持っていた携帯が震え、着信があるのがわかる。見慣れない外線の番号であるが、シューズに足をねじ込みながら、電話に出てみる。

「山之内崇さんの携帯で間違いありませんか?私、駅前交番の交通課の白川と申します。」

 交番からの電話で、少し困惑したが、よく考えると、私にも心当たりがあった。

「はい、山之内ですが、何か?」

「確か、3日前に、駅を出たトイレの洗面台に置いてあった傘をこちらの交番にと届けていただいたかと思うんですが、落とし主だ見たかったんです。」

「そうですか、それは良かったです。わざわざ連絡してもらいありがとうございます。」

「実は、落とし主さんが今、交番に来ておりまして、山之内さんに一言お礼を言いたいとのことなんですよ。お手数ですが、交番まで今、来ていただく事出来ます?」

 私は、当然、お礼など拒んでは見たのだが、何せ、その交番は今から向かおうとしている、図書館の途中にあり、5分もあれば着いてしまう。結局は、あまり強く拒むこともできず、顔を出すことになってしまったのである。

「あっ、暑っい!今日も予報では38度とか言ってたな」思わず独り言が飛び出す。外の直射日光を浴びると、思わず、部屋に戻ろうかと身体が動かなくなる。早めに交番での用を済ませて、クーラーの効いた図書館で涼みたく、歩く速度も自然と早くなる。

 それにしても、傘ごときでお礼を言いたいだなんて。確かに私の使うビニール傘ではなく、高価そうな傘である事は、一目見ればわかったので届けた次第ではあるが…

 近くの駅の階段を登り、通路を使って反対側の階段を降りれば、駅に隣接するように小さな交番が建てられている。

 交番の前に立つと、中で待っていた30過ぎのスーツを着た男性と目が合い、ドアを開けてもらい招き入れられるように中に入る。

 カウンターの向こうに座っている警官も、私を見るなり、にこやかに微笑みながら立ち上がる。

「お待ちしておりました。山之内さんですね。お電話した白井です」

 小太りで、黒眼鏡をかけ愛想の良さそうな警官に、私も会釈をする。

「こちらが、落とし主の方です。座っていただいてお話しください。」

「この度は、本当に傘を届けていただいてありがとうございます。私、この町に住んでいる、平野と言います。実はこの傘、お恥ずかしながら、妻に先日、私の誕生日に買ってもらった物でして…」

「そうなんですか。それは、私もお届けして良かったです」

 傘をトイレの洗面台に置いてきてしまった理由を、彼は自ら話し始めた。

「実は、夜、会社の飲み会で酔っていまして、この駅の改札を出たあと、あのトイレで用を足したんですが…。あの夜のことはあまり覚えてなかったんです。次の日、嫁が傘立てに、傘がないのを見つけ顔面蒼白になった次第です…」

 彼は、少し顔を赤らめながら、再度、頭を下げお礼を言う。

「そんな、ご丁寧に頭を下げていただかなくても、私も忘れ物はしょっちゅうです。僕もいい気分になりましたし」

「妻にたいそう、怒られまして、指輪を交換してから一週間で無くしましたので…」

「僕も、酔った時はいろいろと、大事なもの無くしたしてきました。お互い気をつけましょうね。」

 少し微笑みながら、一言返し、

「では、私、少し急ぎますので、これで失礼します」

 あまり、かしこまったことが好きでは無い、足早にそこを立ち去ろうとした。

「待ってください。謝礼をお渡ししたいのですが」

「えっ、謝礼ですか。そんな、受け取れませんよ。十分に感謝のお言葉も頂きましたから」

「お金であれば、謝礼金の額もわかりやすいんですが、お気に召すかわかりませんが、これを受け取ってください」

 彼は白い包装紙に包んだハガキ大の物を差し出す。

「受け取れませんよ。本当にお気になさらず」

 と言うと、そこで会話を聞いていた警官が割って入り、

「私が言うのもなんですが、落とし主さんの届けていただいた感謝の気持ちなんで、お受け取りになられたらどうですか?」

 警官は、この手の会話に手慣れた感じで、受け取りを進める。

「わかりました。では、ありがたく頂戴いたします。なんか、逆に申し訳ないです、気をつけてわせてしまって」

「たいそうなものでは無いので、ほんのお気持ちですから」

 私は、それを受け取ると、改めて、会釈をして、交番の外に出た。


 図書館に着くと、エアコンの影響で全身の汗が引いていくのがわかる。

 賑わう館内の2階まで階段で上がり、歴史小説を二冊ほど選び、誰も座っていない丸テーブルに腰を下す。

 本と肩から掛けているバックを机の上に置くと、そのバックの中に入れた、先ほどいただいた封筒が気になり、開けてみることにする。

 紙包を綺麗に取ると、白いケースが現れる。開ける前から、ギフトカードか何かとも思ったが、少し重さも感じられ、色々と想像しながら開けてると、そこには意外なものが入っていた。

「ん…誰かの絵?…」

 ハガキ大の透明なカードケースの中に、名刺サイズの色彩豊かな現代アート作品が挟まれている。絵にそれほど興味ない私でも、なんとなく引き込まれる作品であり、まじまじと見入ってしまう。

「素晴らしい、横山富生の若い頃の作品ですね」

 背後から、声をかけられ、振り向くと40前後のスーツを着た、品のいい女性が脇に雑誌を挟み、絵を覗き込んでいる。

「はぁ…いただいた物ですが、この絵のことご存じなんですね」

 彼女は我に帰ったかのように、私の顔を見て

「すいません、いきなり声を出してしまい。あまりにも興味本位深い絵でしたので。私、この近くで古美術商を営んでます、酒井和恵と申します」

 静けさの漂う図書館の一室で、和恵が興奮気味に発した自己紹介の一言は、近くの人が振り返るほどの声の張りであった。






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現代版-WARASHIBE長者 大谷本直毅 @naoki19670814

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