第95話 (5)インターハイ決勝戦

「赤、S高校三年、花岡選手。白、M学園二年、塚原選手」

 審判の声に、両陣営が一斉に応援の声を上げる。


 この試合で、すべてが終わる。

 心配なのは、左腕の怪我だ。

 あと一試合だ。頼む、持ってくれ。

 おれは自分の左腕に語り掛けながら、竹刀を持つと、試合場の中央へと進んだ。


 しんと静まり返っていた。

 もう、周りの音は何も聞こえてこない。

 試合場の中央にいるのは、おれと対戦相手のM学園の塚原だけだ。


 神崎よりも強いという実力、見せてもらおうじゃないか。


「はじめっ」

 審判の声。

 

 おれは蹲踞の姿勢から立ち上がると、ゆっくりと上段に構えた。

 対する塚原の構えは正眼だった。


 おれが上段に構えたのを意外と思ったらしく、警戒した様子を見せている。

 それもそのはずだ、おれはこのインターハイではすべて中段で構え、そのほとんどを正眼に構えていた。

 それが突然、上段で構えてきたのだから、困惑をするだろう。


 上段の構えは自然と出たものだった。

 腕が痛くて上がらないんじゃないか。

 そう思っていたが、痛みが抜け落ちたかのように、腕はすっと上がった。


 先に攻撃を仕掛けたのは、塚原の方からだった。

 踏み込んでくると、剣先をおれの小手に向けて振ってくる。


 おれは自分の竹刀をぶつけて、その剣先を弾くと、お返しとばかりに面を狙って打ち込む。

 塚原はその面打ちを嫌がり、竹刀を横にしながら受けると、間合いを取る。


 弱くはない。

 だが、強いとも感じない。

 本当にこの男が神崎よりも強いのだろうか。

 おれは疑問を抱いていた。


 神崎であれば、もっとヒリヒリとした試合を展開する。

 ひと振り、ひと振りに殺気が込められていて、一歩間違えばやられるという感覚を覚えさせられるほどだった。


 いや、いま戦っているのは、神崎ではない。

 神崎に捕らわれれるな。

 おれは自分に言い聞かせると、構えを正眼に変えた。


 塚原は先ほどと同じように、正眼に構えている。


 なにか違和感があった。

 その違和感がどこから来るのか、おれは慎重に見極めようとした。


 再び塚原が踏み込んできた。

 先ほどと、同じ。

 そう思っていたが、剣先が見えなかった。


 おれは慌てて身体を寄せた。

 竹刀と竹刀がぶつかる。

 鍔迫り合い。

 一体、何が起きたというのだろうか。

 おれは塚原の竹刀を抑え込みながら、考えていた。


 塚原が飛び込んできたところまでは、見えていた。

 そこまでは問題はない。

 問題はその先だ。

 塚原が打ち込んできた。

 おれがその竹刀を受けようとした時、塚原の剣先が消えていた。

 おれはとっさの判断で、自分の身体を寄せた。


 鍔迫り合いの状態での膠着が続いた。

 面越しに見える塚原の顔には、まだ余裕があった。


 力を抜き、塚原の動きを制しながら、おれは間合いを取った。

 塚原も同じように、下がって間合いを取る。


 再び正眼に構える。

 塚原も同じように正眼だ。


 睨み合い。

 おそらく、試合時間はもうすぐ、終わる。

 そうなれば、先に一本を取った方が勝ちとなる。


 塚原が再び打ち込んで来ようとする。


 その瞬間、全身が粟立った。

 おれは咄嗟に剣先を擦り上げていた。


 竹刀からおれの腕に衝撃が伝わって来た。

 左腕に痛みが走る。


「やめっ」

 審判の声。


 まさか、一本取られたのか。

 おれは焦って、審判の方へと視線をやる。


「時間切れのため、延長戦に入ります」

 審判は宣言した。


 腕はしびれていた。

 竹刀の柄を握っているが、感覚はあまりない。


 あと少しだけだ。持ってくれ。

 おれは自分の左腕に語り掛けていた。


 延長戦がはじまった。

 先ほどの塚原の打ち込み、あれは何だったのだろうか。

 竹刀でなんとか受け止めることが出来たが、物凄い衝撃だった。

 最初の打ち込みとは、まるで別人だった。

 あの打ち込みは、神崎よりも上だったかもしれない。


 再び、塚原は正眼に構えていた。

 その構えには、どこか見覚えがあった。


 記憶がつながる。

 現代の武蔵。そうだ、この構え方は、高瀬晴彦のものだ。

 高瀬兄は、東京M学園で指導をしていると話していた。

 だから、塚原が教わっていても、別に不思議はない。

 いままでM学園の選手たちは、神崎というひとりの男の影に隠れていたが、塚原のような剣士もいたのだ。


 面白いじゃないか。高瀬兄の弟子め。


 おれはゆっくりと正眼に構えると、剣先に気合を乗せた。

 先に仕掛けたのは、おれの方だった。


 正眼でどっしりと構えた塚原の小手を狙って、剣先を振り下ろす。

 塚原は自分の竹刀をぶつけて、おれの小手打ちを受け流すと、そのまま胴打ちを狙って来た。

 おれは弾かれた竹刀の軌道を変えて、その胴打ちを止める。


 一進一退の攻防。

 一瞬でも気を抜くことの出来ない状態が続く。


 鍔迫り合い。

 塚原は、一瞬間をおいて、引き面を狙ってくる。

 竹刀と竹刀が何度もぶつかり合う。


 勝負を決めるのは、一瞬の判断力だ。


 横面打ち。

 おれの面金に塚原の剣先がぶつかる。

 入りは浅い。これでは一本にはならない。


 だが、首が持っていかれそうに鳴るほどの衝撃はあった。


 おれは返す刀で、小手打ちを狙う。

 電光石火。

 一瞬、塚原の反応が遅れて、剣先が当たる。

 しかし、こちらも入りは浅く、一本にはならない。


 左腕に力が入らなかった。

 そのため、小手打ちもしっかりとは打てなかった。


 もう、竹刀を握っている感覚はほとんどなかった。


 再び、塚原が仕掛けてくる。

 面打ちから、軌道を変えて胴に向けて剣先が襲いかかってくる。


 おれはなんとか竹刀で塚原の打ち込みを弾くが、明らかに力負けをしてきていた。

 このままの状態が続けば、いずれ一本を取られてしまう可能性が高い。


 塚原もそのことに気づいているのか、猛攻を仕掛けてくる。

 おれは何とか塚原の攻撃を凌ぎながら、一瞬の隙が出来るのを待っていた。


 しかし、チャンスというのは待っているとなかなか来ないものである。

 鋭い打ち込みをほぼ右手だけの力で受け止めながら、なんとか鍔迫り合いに持ち込む。


 鍔迫り合いとなると顔と顔が近くなり、相手の表情がよく見える。

 二人とも限界は突破している。

 だが、お互いに疲れを見せるようなことはしない。


 塚原の目は血走っていた。

 あと一勝。ここで勝てば、インターハイ優勝となるのだ。


 お互い、考えていることは同じだ。

 相手を倒して、優勝する。


 離れ際、塚原が引き胴を狙って来た。

 おれはその引き胴に対して、前に出る。


 間合いが詰まったことによって、塚原は胴打ちが出来なくなり、距離をさらに取ることを選ぶしかなかった。


 そこに、一瞬の隙が生まれた。


 面越しに見える塚原の顔は、己の失敗を悟った顔だった。


 おれは上段に振りかぶると、そのまま竹刀を一直線に振り下ろした。

 確かな感覚が手に伝わってきた。


「面あり、一本っ」

 審判が赤の旗を揚げて宣言した。


 勝った。

 おれは、勝ったのだ。


 その実感と同時に、おれの左腕は機能することをやめた。

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