Winter

第74話 (1)放課後1

 雪が降っていた。

 校庭のど真ん中にぽつんと存在する誰かが作った雪だるまを眺めながら、おれは眠気と戦っていた。


 教壇に立つ古典の老教師は、日本語とは思えない言葉をなにやら読み上げていたが、おれの耳には念仏にしか聞こえなかった。

 この時期になると大学受験を考えている生徒も少なくなく、みんな授業に集中していたけれども、おれはどうも勉強が嫌いな性分らしく、授業を聞く気持ちがちっとも湧いてこなかった。


「花岡は剣道で体育推薦をもらえるから受験はしないんだろ。しかも奨学生だろうし。いいよなあ」

 そんなことを誰かにいわれた。誰がいっていたのかは忘れたけれども。

 剣道で推薦を貰って大学へ行く。そんなことは考えもしないことだった。

 というよりも、そんな仕組みがあったなんて、おれは知らなかった。


「大学か……」

 おれは思わず声に出して呟いてしまった。

 隣の席に座っている石倉さなえが怪訝な顔をして、おれを見る。


 いま授業中なんだから静かにしてよね。

 声に出さなくても、石倉が心の中で発した言葉はすぐにわかった。


 おれは「ごめん」と口パクで石倉に伝える。

 石倉は口もとに笑みを浮かべて、教壇に立つ老教師へと視線を戻した。


 進路なんて、いままで一度も考えたことはなかった。そもそもこの高校に入ったときも、ただ家から近いからという理由だけで入学を決めたのだった。


 明日の自分でさえ想像をすることができないっていうのに、どうして一年も先の話をいまから考えなければならないっていうんだ。

 おれは苛立ちを覚えながら、校庭にたたずむ雪だるまを睨みつけた。


 放課後、おれは掃除当番だったため、教室の掃き掃除を行っていた。

 きょうは体育館の使用ができないため、剣道部の練習は休みだった。


 久しぶりの休みに何をすればいいのかわからず、家に帰ったら何をしようかなどと考えながら、おれはホウキで床に溜まったゴミをかき集めていた。


「花岡、きょう暇でしょ?」

 教室の入り口からひょこっと顔を覗かせた高瀬が笑みを浮かべながらおれに問いかけてきた。


「なんだよ、そのおれが暇で当たり前みたいないい方は」

 そう反論しながらも、確かに暇だと心の中で呟いていた。


「帰りにうちに寄っていかない。きょうは両親とも出かけちゃってるんだよねえ。夜ごはん付き合ってよ」

「まだおれは、ひと言も暇だとはいった覚えがないんだが」

「でも暇なんでしょ」

「まあ、否定はしないけど」

「じゃあ、決定ね。さっさと掃除を終わらせて、帰るよ」

 高瀬はそういうと教室から顔を引っ込めた。


 両親が出かけちゃってるから、夜ごはんに付き合えか。

 まったく、なんだよ、あいつは。

 おれは心の中で独り言を呟きながら、ゴミをチリトリで集める。


 両親が出かけちゃっているから……。

 えっ、それって……どういうことだ。

 おれは妙にそわそわし始めてしまった。

 余計な想像が、頭の中を駆け巡る。

 落ち着け、落ち着くんだ。

 おれと高瀬は付き合っているわけじゃないんだぞ。

 ただの友だちだ。そう、剣道部の仲間だ。

 放課後とか部活の後に一緒に帰ることはあるけれど、それは友達としてだ。そうだ、そうだろ。


「ねえ、花岡。まだ終わんないの?」

 廊下から高瀬の声が聞こえてくる。


「あ、ああ、いま、いま終わる」

 声が妙に高くなってしまっていた。

 変な想像ばかり膨らませて、なにやっているんだろ、おれ。


 掃除道具を片付けると、おれは自分の鞄を手にとって高瀬の待つ廊下へと出た。


「遅いよ。何分待たせるつもり」

「悪い、悪い」

 おれと高瀬は校門を抜け、いつもと同じ道をいつもと同じように、どうでもいいくだらない話をしながら帰った。


 インターハイの日、高瀬は神崎から告白された。

 もし、インターハイで優勝したら付き合って欲しい、と。

 しかし、神崎は決勝戦を棄権し、優勝することは出来なかった。

 本来ならば、おれが神崎に勝って神崎の優勝を阻止しているはずだった。

 だけど、おれは神崎に準決勝で負けた。

 おれと高瀬と神崎の関係は何も変わらず平行線というわけだ。


 途中、コンビニエンスストアに寄って、おれと高瀬は飲み物とお菓子を買い求めた。

「――なんだってさ。笑っちゃうでしょ」

「それは馬鹿だな」

 会話をしながら横に並んで歩いていると、時おりおれの左手と高瀬の右手が触れてしまう。

 一瞬、そのまま手を握り締めてしまいたいという衝動に駆られる。

 だけど、おれの理性はそれをストップさせる。

 おれたちの関係は、まだ友だちなのだと。


 高瀬の家は、学校から歩いて二十分ほどのところにあった。

 家の前に庭とガレージのある大きな家だ。

 いつもは門の前で別れるのだが、きょうは違う。


 鞄から家の鍵を取り出して高瀬がドアに差し込むと、一瞬、高瀬の表情が曇った。


「あれ?」

「どうかしたのか」

「鍵が……開いている」

「閉め忘れて出かけたとかじゃないのか」

「ううん。確かに閉めて出た。きょう最後に家を出たのはわたしだから覚えているし」

「じゃあ?」

 おれと高瀬は顔を見合わせた。

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