第73話 (9)インターハイ準決勝3

 延長戦は一本先取で勝者が決まる。

 あの小手打ちは、しっかりと入っていた。

 いままでにないぐらいに完璧な小手打ちだった。

 それなのに、なぜだ。なんで、時間外なんだ。

 くそ、あと数秒、いやあと一秒あれば、おれは神崎に勝っていたのに。時間も神崎の味方というわけか。くそ。

 おれは心の中で、ありとあらゆる呪詛を呟いていた。


 延長戦が始まった。

 神崎は構えを下段に変えて、おれのことを見据えている。

 もう、同じ手は使えない。あの踏み込みが通用するのは一度きりだ。

 その一度をおれは使ってしまった。

 巻き上げ打ちのフェイントも使ってしまったし、おれはすべてを本戦で出し尽くしてしまっていた。もう、おれには何もない。


 いや、ひとつだけある。

 いままで毎日繰り返してきた素振りや打ち込み。

 基本中の基本。おれに残されたのはそれだけだ。


 おれはそれに全てを賭けて、大きく前に踏み出した。

 教科書どおりの面打ちだった。

 踏み込み方も基本どおりで、しっかりと足が床を蹴っていた。

 剣先を持ち上げ、神崎の面を目掛けて振り下ろす。

 おれはこの一撃に全てを賭けた。


 神崎は下段から剣先を上げると、おれの打ち込もうとしていた竹刀に、自分の竹刀をぶつけて勢いを止めた。

 鍔迫り合いになる。

 そう思ったのもつかの間、神崎の手が動き、竹刀が半円を描いた。

 擦り上げ面。

 気づいた時には、神崎の竹刀がおれの面を叩いていた。


「面あり、一本」

 主審の声が試合場に響き渡り、神崎を示す赤い旗が高々と掲げられた。

 文句のつけようもない、見事な一本だった。




 気がつくと、おれはロッカールームのベンチにひとり座っていた。

 神崎の擦り上げ面を喰らった。

 そこまでの記憶はあるのだけれども、そこから先が思い出せなかった。

 どうやってここまで来たのだろうか。

 ここに来るまでの間、誰かと言葉を交わしただろうか。

 思い出そうとしても、なにも思い出すことは出来なかった。


「おれは負けたのか」

 声に出して呟いていた。

 先ほどまで竹刀を握っていた両掌を見つめながら。

 袴に小さな染みが浮かび上がった。

 その染みがひとつ、またひとつと増えていった。


 この一年間をおれは神崎に勝つためだけに捧げてきた。

 他の連中が遊んだり、バイトをしたりしている間も、おれは竹刀を振り続けてきた。睡眠時間を削ってまで剣道に打ち込んできた一年間。

 その集大成であった神崎との試合。

 だが、おれは神崎に負けた。こんどは言い訳なんかできない。

 おれは全てを出し尽くして負けたのだから。


 おれは歯を食いしばって泣いた。

 届かなかった。

 おれの一年では神崎には届かなかった。




 気持ちの整理を終えて、ロッカールームから出れたのは、それから十五分後のことだった。


 洗面所で顔を洗い、さっぱりしたおれを最初に出迎えたのは、心配そうな顔をした高瀬だった。


「花岡……」

「なんだよ、らしくない顔しちゃってさ」

 おれは無理な笑顔ではなく、自然と笑って見せた。


「負けちまったな。あいつは強かったよ」

 おれの言葉に高瀬は何もいわず、おれの顔をじっと見つめていた。


「去年のインターハイから、おれはずっと神崎のことを追いかけ続けてきたけれども、勝てなかったな。もう少しだったんだけどなあ、悔しいな」

 なんだか知らないけれど、また涙が込み上げてきそうになっていた。

 ロッカールームでさんざん泣いたっていうのに、まだ泣き足りないのかおれは。

 だけれども、おれは喋るのをやめなかった。


「でもさ、ここまでがんばれたのも、お前のお陰だよ。ありがとうな、高瀬」

 高瀬の両目が潤み始め、瞬きをすると同時に大粒の涙が零れ落ちてくる。


「馬鹿だなあ、なんでお前が泣くんだよ、高瀬。戦ったのは、おれと神崎だぜ。それで負けたのは、おれ。お前が泣くことないじゃんか」

「馬鹿……」

 高瀬はそうひと言だけいうと、おれの胸に向かってパンチを当ててきた。

 弱々しいパンチだったけれども、そのパンチをおれの胸に物凄く響いていた。



 おれと高瀬がそんなやり取りをしているころ、会場では予想外なことが起きていた。


 インターハイ決勝戦。

 なんと、神崎が決勝戦を棄権したのだ。

 詳しい理由は明らかにされなかったが、どこかを怪我しているらしく、竹刀を握ることも出来ないらしいという話を小野先生が大会本部から聞きつけて来た。


 それにより、インターハイ優勝はおれたちとは別ブロックの勝者だった北海道代表の選手となった。


 なんだか拍子抜けした終わり方ではあったが、これでインターハイの幕は閉じた。

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