第51話 (6)夏休みの出稽古5

 さっきはよくわからない技を喰らったけれども、今度は大丈夫だ。一度喰らった技は二度と喰らわない。その自信はある。


 おれは試合コートの中央に立って、ゆっくりと竹刀を構えた。


 岡田さんは先ほどと同じく下段構えだった。面はやはりつけていない。

 もしかして、岡田さんが面を着けていないのは、面を誘っている罠なのかもしれない。そんな考えが脳裏を過ぎる。

 わざと相手を逆上させて面を打たせようとする。そこを狙って、あの技を出すんじゃないか、と。もし、そうだとしたら、さっきのおれはまんまと岡田さんの術中にはまってしまったことになる。それじゃあ、勝てるわけがない。


 どうやって、攻めれば勝てるだろうか。

 おれは岡田さんのことをじっと見据えながら暗中模索していた。


 ゆっくりと時間が経過していた。

 おそらくまだ試合稽古がはじまって数十秒しか経っていないはずだが、おれにはその時間が十分にも二十分にも感じられるほど長い時間だった。


 岡田さんは一見すると隙だらけだ。どこからでも崩せる。そう見えた。

 しかし、さっきのように不用意に攻め込めば、返り討ちにあってしまう。


 どうやって攻めればいいんだ。おれは頭の中でいくつもの攻めるパターンを描いては消してを繰り返していた。


『そんな竹刀の握り方じゃダメだ。ちゃんと、こうやって握るんだ』

 突然、頭の中に祖父の声が甦ってきた。


 おれは竹刀を握りなおすと、岡田さんに気づかれないように竹刀の持ち手を短く変えた。

 先ほどと同じように、おれは剣先を少し下げるようにしてから、大きく一歩を踏み出した。


 岡田さんの目が竹刀の先を追っているのが、よく見えた。

 おれの振った竹刀が岡田さんの小手へ伸びていく。


 だが、岡田さんは動かなかった。

 ただ、おれの剣先をじっと見ている。


 もらった。

 おれの気合いの声が体育館にこだまする。


 しかし、おれの手には岡田さんの小手を叩いた竹刀の衝撃が伝わってはこなかった。

 竹刀は空を切っていた。


 おれは慌てて切り返しの胴打ちを狙って、竹刀の軌道を横に滑らせる。


 そのとき、岡田さんの竹刀が動いた。

 剣先が下からおれの小手へ跳ね上がってくる。


 背中が粟立った。

 その瞬間、おれの腕は下から来た力に対して対抗することなく持ち上げられていた。


 考え難いことだった。竹刀が軽く触れただけで、腕が持ち上げられてしまう。しかも、強い力が加わったわけではない。感覚的には柔らかい。そんな感じだった。


 おれはわけがわからなくなっていた。


 そして、胴に衝撃を受けて、我に返った。


「胴あり、一本」

 またしても、おれは岡田さんに一本を取られてしまった。あのわけのわからない、技のせいで。


 一体、何なんだよ。

 おれは歯を食いしばりながら、再び岡田さんと向かい合った。


 岡田さんは相変わらず下段構えで、じっと動かないでいる。

 どうすればいいんだ。考えろ、考えるんだ。

 おれは竹刀の柄をぎゅっと握りしめた。


『勝負もせずに気持ちで負けてどうするんだ』

 また祖父の声だった。たしか、小学校の地区大会で緊張しすぎたおれが吐き気を訴えた時にいわれた言葉だったはずだ。


 そうだな、余計な考えは捨てよう。ふと、そう思った。

 その途端、気持ちが軽くなった。いや、気持ちだけではなくて体も軽くなったような気がした。


 おれは大きく一歩を踏み込んでいた。

 やはり、岡田さんは動かなかった。目だけでじっとおれの竹刀の動きを見ている。

 電光石火。

 おれは素早く竹刀を振り下ろした。

 狙う場所は小手。


 岡田さんの目はおれの振り下ろした竹刀に追いついていなかった。

 確かな感触が竹刀を通して、おれの手に伝わってくる。


「小手あり、一本!」

 審判の田坂さんの声に、岡田さんが信じられないといった顔をしていた。


「おいおい、あの高校生は何者なんだよ、河上」

「去年のインターハイ準優勝者です」

「なんだと。そんな凄い奴だったのかよ」

「あれ、言いませんでしたっけ?」

 場外から河上先輩と誰かのやり取りが聞こえてくる。


 試合稽古の結果は三本中二本をあの奇妙な技でやられ、おれは岡田さんに負けた。

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