第20話 (6)呪縛

 試合が始まった。


 一回戦、高瀬は最初の方は緊張していて動きがぎこちなかったが、胴打ちを決めて、二回戦へと勝ち上がった。


 女子の試合をやっている脇で、男子の試合も行われている。

 鈴木先輩は俄然やる気を見せていて、得意の突進からの面打ちで難なく一回戦を突破した。


 その他にも桑島先輩や山縣先輩も一回戦を突破したが、木下や棟田先輩は一回戦で敗北してしまった。

 木下が負けたのはともかく、棟田先輩が一回戦で姿を消してしまうというのは少々意外だった。

 棟田先輩はS高校剣道部の二年生では桑島先輩の次に強いはずだ。

 そんな棟田先輩が負けてしまったなんてどういうことなのだろう。

 相手が強かったのか、それとも棟田先輩の調子が悪かったのだろうか。


 そんなことを考えていると、試合を終えて控え席へ戻ってきた桑島先輩が勝敗表を見ながら呟くようにいった。

「あら、棟田ちゃん、また悪い癖が出たのね」

「どういうことですか、悪い癖って?」

 おれがそう桑島先輩に尋ねると、桑島先輩は言うべきか言わぬべきか悩んだような表情を見せてから、声を小さくして話し始めた。

「棟田ちゃんって、あがり症なのよ。試合稽古だとあれだけ強いのに、棟田ちゃんったら、大会とかになっちゃうと緊張しちゃって全然いつもの調子が出ないのよ」

 意外な話だった。あの棟田先輩があがり症だったとは。


 そんな棟田先輩のことを尻目に、S高校剣道部は大会に出場したほとんどの部員が一回戦で勝利を収めて二回戦へと進出していた。


 おれはトーナメントの関係上、シードだったため二回戦から試合であり、一回戦は余裕を持って他の選手たちの試合を見ていられた。


「花岡くーん、勝ってる?」

 体育館の二階席から声を掛けられた。見上げると、そこにはクラスの女子が数名おり、その中に石倉さなえの姿もあった。

「なんだありゃ、花岡のファンクラブか?」

 笑いながら、からかうような口調で棟田先輩が言う。

「やめてくださいよ。ただのクラスメイトです」

 おれは苦笑いをしながら答えた。

 すでに棟田先輩は自分の試合が終わってしまっているために、気楽な様子だった。


 二回戦が始まった。

 高瀬の相手は、夏の市大会で準優勝をした選手だった。

 ちなみに、この選手を破って優勝したのは佐竹先輩だ。

 さすがの高瀬も、試合運びの上手い相手にペースを握られ、押されムードだった。

 焦りが出てきているのか、高瀬の動きに正確さが欠けてきている。

 相手が高瀬から小手で一本先取する。

 それでさらに冷静さを欠き、高瀬の動きはめちゃくちゃになっていた。


「高瀬、このままだと負けますね」

「いい経験になるんじゃないかな。デビュー戦から勝ちまくりだと、伸びないでしょ」

 棟田先輩が冷たく言う。

 そして、高瀬は一本を取れないまま、相手に逃げ切られて負けた。


 戻ってきた高瀬は、負けたことがよほど悔しかったのか、誰とも口を利かないまま、手洗いへと行ってしまった。


「さあて、次はうちのエースの番だぞ」

「インターハイ、準優勝の実力を見せてくれよ、花岡」

「期待しているぞ、S高校の星」

 さまざまな言葉を掛けられて、おれは試合場へと送り出された。


 おれの名前がコールされると体育館がざわついた。これもインターハイ効果というやつなのだろうか。


「花岡くん、がんばれー」

 客席からクラスの女子の声が聞こえてくる。


 やめてくれ。恥ずかしい。

 おれはそう思いながら、試合場の中央に立ち、礼をしてから蹲踞の体勢に入った。


「はじめっ」

 審判の声が会場内に響き渡る。


 おれは正眼に構え、相手の出方をうかがうことにした。

 相手も同じように正眼に構えている。


 ここで一発、気合いを入れよう。

 そう思って、気合いの声を発しようとしたが、なぜか声が出てこなかった。


 あれ、どうしたんだ。

 おれは自分の体の異変に気づいて、動揺した。


 相手が踏み込んで、面を狙ってくる。

 おれは慌てて竹刀を横にして、受けの体勢に入る。

 体に掛かる衝撃。だが、大したことはない。

 普段から、鈴木先輩の突進を受けていれば、こんな衝撃は何てこともない。


 だが、おれの足はふらついていた。

 なんとか踏ん張り、相手の竹刀を下から弾きあげて、一歩踏み込んで面を狙う。


 一歩踏み込んで……。

 体が動かなかった。


 足が一歩前に踏み込むのを拒絶している。

 もし、いま踏み込んだら、あの時みたいに怪我をしてしまうんじゃないか。

 そんな考えが脳裏を掠めた。


 突然、周りの歓声が聞こえなくなった。

 沈黙の世界が訪れる。

 ただ、自分の心臓の鼓動だけが聞こえてくる。


 あの時――インターハイの決勝で聞いた、靭帯の切れる音が耳の中に甦って来る。


 額から汗が流れ落ちる。

 その汗が目に入る。

 目が痛い。


 次の瞬間、頭頂部に衝撃を受けた。


「面あり、一本」

 審判の声が高らかに響き渡った。


 世界に音が戻ってきた。

 場内の歓声が耳に飛び込んでくる。


「花岡、どうしたっ!」

「なにやってんだ、花岡。ぼけっとしているんじゃないぞ」

 顧問の小野先生や先輩たちの声が聞こえてくる。


 おれは相手の選手から一本取られていた。

 市の大会では一度も取られたことのなかった一本。

 それがいま、目の前にいる無名の選手に取られてしまった。


 気がつくと、足が震えていた。

 自分ではどうすることもできない震えだった。


 なんで、おれの足は震えているのだろうか。

 なにかが怖いのか。

 なにが怖いんだ。

 負けるのが怖いのか。

 いや、違う。

 じゃあ、何が怖いんだ。


 おれは自問自答を続ける。


「構えて」

 審判の声で我に返った。

 目の前にいる相手の選手は、竹刀を正眼に構えて待っている。


 おれはゆっくりと上段に竹刀を構えた。

 膝が震えていた。体に力が入らない。

 どうしちゃったんだ、おれ。


「花岡、てめえ気合入れろ。ビビってんじゃねえぞ」

 高瀬の声だった。


 思わず笑みがこぼれてしまう。

 それと同時におれを捕らえていた呪縛が解けたような気がした。


 おれは大きく踏み込んで、相手の面を目掛けて竹刀を振り下ろした。


 相手は防御に入るために、自分の竹刀を横にして受けの姿勢に入る。


 次の瞬間、おれは竹刀の太刀筋を変化させた。

 抜き胴。

 おれの竹刀は相手の胴を打ち抜いていた。


「胴あり、一本」

 審判の声にS高陣営から歓声が上がる。


 何をやっていたんだろう、おれ。

 こんなところで追い込まれるような、おれじゃないだろうが。

 おれは自嘲すると、正眼に構えを取った。


 相手はいきなり変わったおれの様子に戸惑いを見せていた。

 おれは素早く一歩踏み込んで、横面を狙った。

 相手は何の反応もできないまま、横面におれの竹刀を受けて敗北を喫した。


 二回戦の試合が終わり、みんなのいる観客席まで戻ると、おれは一番最初に高瀬のところへと向かった。


「さっきは、ありがとう。お陰で動けるようになったよ」

「みっともない試合してんじゃねえぞ。わたしは、あんたにインターハイで優勝してもらわないといけないんだからな」

「そうだったな」

「絶対に、負けるんじゃねえぞ」

 高瀬はおれの肩にパンチを喰らわすと、ぷいっと顔を逸らしてしまった。

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