第38話「貸しと報酬」
薄暗い廊下を行く足取りは軽い。なんなら、小走りだ。
見慣れた部屋の前でピタリと止めれば、扉には「オカルト研究サークル」の文字。
「
ソファに気だるそうに寝っ転がっているのが頭に浮かんで、ゆるり、と口角が上がる。
ノックすることなく、扉を開けるとそこには、想像を裏切る光景が広がっていた。
「誰が来いって言った」
「おや、こんにちは」
ソファにちゃんと腰を掛けてはいるが、どこか気だるそうな視線をぶつかる。面倒くさそうに文句を言う辺り、通常運転だ。
彼と対面している人物はフイッ、と後ろを向いてにこやかに笑みを浮かべる。
「
「
見知った顔に驚きを隠せないのだろう。満月は目を真ん丸にさせて、頭を下げた。
不思議そうに問いかける
ニコニコとまるで小花を飛ばしているようにさえ、見える。それは心の彼も同じだ。
「はい! オカ研の部員なので!」
「認めてねーよ」
「諦め悪いわね、帝くん」
「そっくりそのまま返してやる」
何故、そんなに嬉しそうなのだろう、という疑問は浮かんでいるのだろうが、ここは一番のアピールだ。満月は胸を張って、満面の笑みで頷くが、食い気味なツッコミが返ってくる。
頬に手を添えて、首を傾げてため息交じりに言う。それはまるで、駄々をこねた子供に困っている大人のようだ。
だが、それが解せないのだろう。鋭い目が彼女を射貫く。
「本当に仲がいいね」
「良くない」
「ありがとうございます」
どことなく漫才のような間の良さに、くすくす、と笑みを零れる。二人の視線が、同じところに向かえば、悠真は口元に手を添えて、嬉しそうだ。
またもや寸分の迷いなく言い捨てる帝だが、満月は微笑んで軽く会釈する。
「ありがとうってなんだ、ありがとうって」
「だって、友達と仲がいいって言ってもらえたの初めてなんだもん」
「……不憫になってきた」
ピクリと眉が動くのも、無理はない。勘違いしようと思えば、勘違いできてしまうのだから。
不服そうな視線を浴びてはいるが、ふわふわとした高揚感の方が勝っているようだ。
少し照れくさそうに呟くと、だんだん憐みの感情が湧いて来たらしい。帝は顔を片手で覆って項垂れた。
「報告も終わったし、そろそろ行くね」
「後処理ありがとう、悠真さん」
「これは貸しだよ?」
「……分かった」
よいしょ、とソファから悠真が立ち上がる気配に、帝は顔を上げる。彼にしては珍しいお礼を告げと悠真はニヤリ、と口角を上げた。
グッ、と言葉を詰まらせる帝は苦虫を嚙み潰したような顔をしているが、認めるしかないのだろう。こくり、と首を縦に振る。
言質を取った悠真は上機嫌でオカ研から足取り軽く去っていく。それを見ていた満月の目にはどことなく、上下関係が見え隠れしていた。
「後処理って?」
「あの霊の事件のこと」
「もしかして見つかったの?」
悠真が座っていたソファに座り、バッグを隣に置く。
そんなに長い時間いたわけではないらしい。生暖かさは感じられない。
ああ、と話すがざっくりしすぎて事柄しか分からない。けれど、あの霊が成仏した後もずっと気にかけていたのだろう。
身を前に乗り出して、問いかけた。
「ああ、遺体もそれを入れてたキャリーケースも山から見つかった」
「こんなに早く解決するとは思わなかった」
「ああ、それは――アンタのおかげだ」
「私……何もしてないよ?」
財力というなの力でまた解決しようとしたならば、またごたつくと思っていたのかもしれない。想像したよりもスムーズにまるで、流されるような終止符に呆気に取られる。
付け足すように告げられたそれは耳を疑った。
満月がしたことと言えば、井上に近寄って拉致されただけ。もっと言えば、心は視えていたが、大した情報源とは言えなかった。だからこそ、眉根を寄せる。
「アンタがビビらせたおかげで、呪われるとか憑りつかれるって泣きながら、全部話したらしい」
「あはは……そうなんだ」
犯罪者に恐れられているのは自分か、それともあの幽霊の女性か、どちらか分からないからこそ、眉が八の字になる。
笑ってはいるが、複雑な心境なのは間違いない。
「まあ、なんにしても終わりだ」
ぐて、とソファの背もたれに寄りかかって気の抜けた声が、終わりを告げた。
今度こそ、本当の終わりらしい。
「……そういえば、何が貸しなの?」
「現行犯逮捕してもらった方が早いって、あの人を頼ったからだ」
「へ」
ふ、ともう一つ脳裏に蘇る疑問にこてんと小首をかしげる。彼女の問いに彼はズルズルとソファに横たわった。
もうやる気なし、と言わんばかりに項垂れて呟くそれに、間の抜けた声が出る。
「だから、嫌だったんだよ」
「警察に知り合いがいても、手を借りようとしなかった理由はそこなのね」
「ああ、ろくでもない事件に巻き込まれるからな」
「……お疲れさまだね」
悔しそうにしている帝は珍しい。本当に心の底から悔いているからこそ、親戚に警察がいても手を借りなかった疑問が、晴れた。
ごろん、と寝返りをして仰向けになった彼は天井を呆然と見つめている。遠い過去を思い出したのか、気が重そうだ。
それがひしひしと伝わってくるが、なんと励ましたらいいのかは分からないのだろう。グルグルと考えた結果、満月は労わることしか出来なかった。
「それで――なんで来たんだ?」
「部員だし、来ちゃダメな理由なんてないでしょ?」
身体は微動だにしないが、目線だけがちらりと向けられる。キラキラと輝く翡翠色と交わると何気ない問いが響いた。
キョトンと、した顔をして瞬きが何度も繰り返される。
理由を求められる意味を理解していないのか、満月は首を傾げた。
「見ただろ」
「何を?」
帝はのろり、と視線を天井に戻して、ポツリと呟く。けれど、それを理解するには難しい。
何を、
「アンタが気にしてたこと」
満月が気にしていたこと――それは瞳の色が変わる理由、だ。
畏怖されることを覚悟したのか、否か。表情から見て察するのは難しい。
ただ静かに目を伏せて、告げた。
「……うん、え? それがどうしたの?」
興味本位で首を突っ込んで非現実を体験し、事件に巻き込まれ、極めつけは、目の前で瞳の色が変わり、成仏を促すところを見たのだから、一線を引かれてもおかしくない。
人は、自分と異なるものを拒絶する節があるのだから、ある意味それが普通だ。けれど、帝の鼓膜を揺らした言葉は予想の斜め上だった。
「――やっぱバカだな」
「ひどいっ! 私、そこそこ成績いいよ!?」
「そこそこかよ」
顔を見上げるとそこにあるのは、きょとん顔。彼の言いたいことが一ミリも伝わっておらず、首を傾げていた。
どういう意味だ、と言わんばかりに頭の上に疑問符を浮かべる彼女に、ふと自然の頬が緩む。呆れたような優しい目を向けて、吐くのはなんともぶっきらぼうな言葉だ。
それに満月は頬を膨らませて反論するが、話を盛ることは出来ないらしい。素直な自己主張に帝は、突っ込まずにいられなかった。
「……ねえ、どうして居場所が分かったの?」
聞いていいものか、迷いながらも言葉は素直に口を動かしていた。
井上に捕まったことしか情報がない中、どうやって突き止めたのかが気になったらしい。
「――黒猫」
「ん? 猫?」
帝は身を起こしてソファの背もたれに寄りかかりながら、呟く。答えはそれで完結させてしまった。
心を視ることは出来るが、帝の心は視れないからこそ、不十分な答えだ。猫がどうしたというのか、を考えても頭はこんがらがっている。
満月は眉根を寄せて、首をひねった。
「青い目をした黒猫が俺のところに来て、案内したくれたのが、佐藤の所有する家だった」
「……帝くんと初めて会った時も、その後もいた?」
ふぅ、と息を吐き出して更なる詳細を告げる。
教えられた猫の特徴に思い当たる子でもいたのか、自然と零れ落ちた問いだった。
「いや……」
「そっか。そうだったんだね」
返ってくる答えに落胆したのか、それともピンチの時に助けに来てくれたことにか、それは分からないが、ジワリと、目頭が熱くなる。
だが、泣きたくはないのだろう。グッ、と答えるように強く瞼を閉じた。
「――ありがとう、帝くん」
ぽつり、と零されるその声音は嬉しそうで寂しそうだった。
「……」
シーンと静まり返った部室。それは重いわけでもないが、何とも言えぬ空気感だ。
それを壊すように遠くからガラガラガラ、と何かを運んでいる音が廊下から聞こえる。
「すっめらぎくーん!」
だんだん近寄ってくるそれと共に響き渡るのは彼を呼ぶ声だ。
タイミングがいいのか、悪いのか。それは分からないが、騒がしいのは間違いない。
先ほどまでのシリアスな雰囲気をぶち壊すそれに、二人は顔を見合わせる。
何事か、と
「今回もほんっとうにありがとうね! ぜーんぶ解決させちゃうなんて皇君はやっぱりすごいや!」
段ボールが積み上げられた荷台を押しながら、入ってくる
ソファの近くに荷台を止めては、
「はぁ……今回みたいな厄介事は御免ですから。あと全部解決したのは偶然」
よいしょ、と持ち上げられて、褒めちぎられても嬉しくはないらしい。
面倒くさそうにため息を吐いて、近づけられた顔から距離を取る。
(……本当に素直な先輩だなぁ)
破魔の隣にいる小学生の男の子を見て、満月は目をぱちくりとさせた。
彼の心である少年は嬉々としてジャンプしている。裏表のない純粋さに感心してしまう。
「そんなこと言わないでよぉ。僕には君しかいないんだからさぁ」
「気色悪いこと言うなよ」
「はい! 皇君の好物三か月分!――と、手取り報酬!」
「どーも……これはなかなか」
相も変わらず、冷たい彼に眉を下げて、肩を落とした。けれど、それは捉え方ひとつで、とんでもない誤解を招きそうだ。
帝はゾッとしたのか、顔を引きつらせて、本音をぽろりと零すが、それは一瞬で吹き飛ぶ。
荷台に積まれていた五箱の段ボールと破魔が持っている茶封筒がそうさせた。それが手元に入ると彼の目に生気が宿る。
「…………」
初めて見る報酬のやりとりに、呆気に取られたのだろう。ただ黙って、その一部始終を見守っている。
茶封筒の中身はどれだけ入っているかは分からないにしろ、想像を超える報酬にそうなるのも無理はない。
「また何かあったら頼むね! それじゃあ!」
破魔は満足そうに踵を返す。
ブンブンと手を振りながら、部室を去っていくその様はまるで、台風のごとくだ。
「――ねえ、帝くん」
「ん?」
ずっと見守っていた満月は静かに呼びかける。
茶封筒から出てきた札束を出して、テンポよく数える帝は上機嫌だからなのか、返事が軽い。
「報酬貰いすぎじゃない!?」
眉を吊り上げて、積み上げられた段ボールと、彼の手元を指差して声をひっくり返した。
やはり、突っ込まずにはいられなかったようだ。
「こっちだって命がけなんだからこれくらい貰ったって罰当たらないだろ」
「はい! はーい! それなら私にも分け前くださーい!」
何言ってんだ、と顔がそう言っている。帝はキョトンとした顔をして、まるで正当化させているが、腑に落ちないのが、感情というものだ。
確かに、幽霊の女性を成仏させたのは帝だ。けれど、彼女の疑似体験をして、井上の本性を見破り、身の危険を覚悟して接触して誘拐されたのは、他の誰でもない満月だ。
指先までピーンと伸ばして、求めるその表情は真剣そのもの。
「――はぁ、金にがめつい女はモテないぞ」
「ええ、ですから、私はモテないどころか、女友達はいないわよ!」
訴えは深いため息と余計な一言で棄却された。
あれだけの貢献をしたのに、がめついと言われなければならない理由は何処にあるのだろうか。
自分から首を突っ込んだとしても、その一言はさすがにいただけないのだろう。彼女は片眉をピクピクと動かす。冷静な口調で肯定するとともに自虐するが、彼が動じることはない。
「さて、食うか」
荷台の一番上に積んである段ボールを床に降ろし、バリバリと音を立てて開ける。整列してある激辛トマト味と書かれたカップ麺を取り出して、簡易キッチンへと足を運んだ。
「ちょ……! 人の話はちゃんと聞くべきよ! 帝くん!!」
完全無視を決める帝にワナワナと肩を震わせ、荒ぶる感情をぶつけるように叫ぶ。
その声は思っていたよりも大きく、響き渡ったらしい。旧校舎の木々に止まっていた鳥たちはいっせいに飛び去ったのだった。
【1章 部屋に棲みつく霊 了 】
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