第42話「解放の時」


 玄関から続く大理石の廊下を迷いのない足取りで進んで、扉を開けば、リビングが顔を出す。しかし、用事があるのはこの広い部屋ではない。

 止まらぬ足の向く先は寝室だ。



「おい、いるか?」



 寝室へと続く扉にノックをすることなく、開ければ、白いワンピースを着た女性が立っていた。



「……あら、今日はその子も連れて来てくれたのね?」

「勝手について来た」



 からかうように首を傾げる彼女に、みかどはげんなりする。

 その表情は意外だったのかもしれない。一瞬、目をぱちくりとさせるが、じわりと沸いてくる面白さに幽霊の女性は笑みを零した。



「……どうして」

「ん?」

「帝くんを見ても、暴れないの?」



 狂気にまみれていた彼女は一体、どこに行ったのだろう。


 そんな疑問を覚えるくらい、柔らかい表情――いや、憑き物が落ちたようだ。

 だからこそ、満月みつきはこれでもかと言うほど、目を見張った。


 ポツリ、と呟くそれは耳に届いたらしい。

 視線を後ろに向ければ、彼女は不思議そうな顔をしている。

 いや、戸惑っているに近い。眉根を寄せて、じっと彼を見つめた。



「もしかして、あなた……説明してないの?」

「する必要あるか?」



 一つの疑念が浮上したのか、幽霊の女性はパチパチと瞬きをして、また反対側へと首を倒す。

 けれど、その必要性を全く感じていなかったようだ。どうでも良さげに、聞き返す始末。



「ほうれんそうって、知ってる?」

「あの日から通って慣れさせた。以上」

「あなたって人は……」



 和やかに会話している二人にますます困惑するのだろう。助けを求めるように見上げれば、彼は仕方なさそうに幽霊の女性を親指で差した。


 まるで、怯える動物を手慣らしたかのような物言いにか、それとも雑さ加減にか。どちらか分からないが、呆れたことには間違いない。

 幽霊の女性は何とも言えない顔で、ため息を付いた。



「正気に戻して、ネックレスのこととかどこに眠ってるのかを聞いた」

「そうだったんだ……」



 文句言いたげな視線を無視するスキルは鮮やかだ。

 しれっと告げられたそれに、帝もまた「かえして」の意味を知っていた理由に肩の力を抜く。



「……」

「……?」



 ジッと、突き刺さる視線。それに目をやれば、どこか悲しそうな瞳と交わった。



「あの時は無理矢理過去を見せてごめんなさい」

「……」

「謝って済むことじゃないことは分かってるわ。でも、……謝らせてちょうだい」



 深く頭を下げて、謝罪する彼女になんと返していいのか、分からないのかもしれない。

 罪悪感からか、ワンピースをギュッと握りしめている幽霊の女性に、満月は目を丸くさせた。



「とても怖くて、怖くて……苦しくって、つらかった、ですね」

「……」



 自分の中にある引き出しから言葉を探して、選ぶ。目を細めてゆっくり紡がれるそれは責められているように感じたのかもしれない。幽霊の女性はキュッ、と目を瞑った。


 どれだけ謝っても、許されることがないと思うのだろう。疑似体験だったとしても、ただ夢として見せられたにせよ、誰だって見たくないもののはずだ。

 それを誰よりも理解しているからこそ、謝ることしか出来ないのがもどかしさを覚える。



「……あなたが教えてくれたから探せたんです」

「え?」



 柔らかく、穏やかな声音が鼓膜を揺らした。

 過去を見せられた、と責めるのではなく、ただ静かに諭すようだ。


 それに驚きを隠せなかったのだろう。幽霊の女性は目を大きく見開いて、顔を上げれば、微笑む満月と目が合う。



「あなたを苦しめた一部の人たちは今日、別件で捕まりました」

「っ!」

「これからあなたの件も調べてくれるそうです……きっと、あなたのことも見つけてくれます」



 畏怖でも、嫌悪でもない。強いて言うならば、慈愛が込められた笑みは彼女の心を穏やかにさせる。

 薄っすらと開かれた唇から告げられるそれは、幽霊の女性にとって叶わぬと思い込んでいた望みなのかもしれない。目を大きく見開いて、震える手で口元へと添えると今にも泣きそうだ。


 その表情に感情移入してしまいそうになっているのか、満月は胸元をぎゅっと握りしめて、耐えるように続ける。



「そう……そこまで、してくれ、たの」

「そこまでやるつもりはなかったんだけどな」

「帝くん……」



 自分を痛めつけて、殺した犯人たちが捕まった。

 その朗報にずっと、心の中にあった重い、重いなまり――岩のようで鉄のような塊がふっと、と軽くなったらしい。今までにないくらい柔らかい顔をして帝に目をやる。

 その眼差しは感謝の意が込められているように見えるが、帝はブレない。


 確かにそこまで一大学生いちだいがくせいがやることではないからだ。

 ただ、偶然か、必然か。運命がまるでそうなるべくしてある、と言うように結果論、そうなっただけ。


 言わなくてもいいことを言ってしまうのが、彼だ。けれど、こんな時まで帝節は要らない、と思ったのだろう。いや、恐らく誰だってそう思うはずだ。

 だからこそ、満月は頭を垂らして、呆れたように呼ぶ。



(……彼女も怒ってないみたいだからいいけど)



 二人のやり取りに幽霊の女性はクスクス、と笑っている。

 失礼な発言を許している辺り、彼女と帝が築いた信頼関係がそうさせているらしい。


 その関係性も知らなかった人間からしたら、冷や冷やするものだが、楽し気な彼女に満月は胸を撫で下した。



「あ、あと……、あなたがずっと言っていたモノはこれですか?」

「っ、ありがとう……っ、……取り戻してくれたのね」



 ポケットから取り出して差し出したのは、ペンダントだ。

 目にした瞬間、とめどない涙が溢れ出す。


 震える手でそれに触れようとするが、もうこの世のものではない彼女に触れることは出来ず、満月の手をすり抜けるだけだ。



「――大切な人からの贈り物、ですよね」

「ええ、……よく分かったわね」



 あるべき場所が違うからこそ、触れられない。その事実を目の当たりにして、胸が締め付けられる。


 ずっと、求めていたものが見つかったというのに、見ることしか出来ないなんて、なんてもどかしいんだろうか。

 気持ちがシンクロしたのか、また彼女自身の感情なのか、わからないが、満月は泣きそうだ。


 現世と常世の間にいることを肌で感じた幽霊の女性は切なそうに、涙を拭う。満月の手の中にあるそれを愛おしそうに眺めながら、こくりと頷いた。



「ラピスラズリは聖業、健康、愛和……永遠の誓い、ですもんね」

「なんだそれ」

「石言葉だよ。ほら、花言葉みたいな感じで宝石にもあるの」

「女ってそういうの好きだよな」



 手のひらにあるシルバーの装飾の真ん中には丸い宝石が埋め込まれている。青、緑、藍色と散りばめられているような石を悲し気に見つめて、正体を暴いた。


 聞き慣れないそれらに眉根を寄せる帝は、気だるそうに首を傾げる。


 分かりやすき説明されても、物に別の意味の言葉を持たせるということが理解できないのか、それを覚えている満月に対してなのか。

 どちらに対してなのかが分からないが、眉間のシワを深くさせた。



「ふふ、婚約者がくれたものなのよ」

「……」

「だから、取り返してくれて嬉しいわ。ありがとう」



 二人のやり取りが何か懐かしい記憶を思い出させているのかもしれない。嬉しそうな笑みを浮かべて、答えた。


 ずっと繰り返していた「かえして」の意味に、返せる言葉が見つからない。

 黙りこくる二人に目を細め、口角を上げて、深々と頭を下げた。



「……これは警察に証拠として渡すけど、いいな?」

「ええ、お願いね」



 帝は閉じていた唇をゆっくり開いて、首を倒す。

 もし、彼女がペンダントに関して何かを望んでも叶えられない、という念押しだ。


 それは彼女も分かっているらしい。穏やかな顔をしてコクリ、と頷く。

 まるで、もう心残りはない、と言っているようだ。



「あ、あの!」

「何かしら?」

「どうして、……私に何度も過去を見せてくれたんですか?」



 もう幽霊かのじょは成仏する気でいる、と肌で感じ取ったのか。満月は慌てたように声をかければ、小首を傾げられる。


 固唾を飲み込んで、不安げな目を向けて問いかけた。

 何故、霊能力がある帝ではなく、人の心を視るしかできない満月に過去を見せたのか、どうして自分が選ばれたのか、不思議で仕方ないのだろう。



「……私が見せたのは最初の一度だけよ。でも、誰かに分かって欲しかったの」



 彼女は罪悪感いっぱいの目でまっすぐ、見つめる。



(じゃあ、……なんで、あんなに夢を視たの?)



 分かってくれるなら誰でも良かった、とも聞こえる。だが、それにショックを受けているのかと言えば、違った。


 絞り出すように告げられるそれに、満月は瞳を大きく揺らす。新たな謎が彼女を占拠しているのか、瞬きすることすら忘れているようだ。



「本当に、……ごめんなさい」



 沈黙を責と捉えたのか、ひどく傷ついたような顔をしている。

 ワンピースの裾をぎゅっ、と握りしめて、深く深く頭を下げた。



「もう時間だ」



 もう未練のない彼女がこの世に留まる必要はない。

 帝は目を閉じて首からぶら下げている勾玉を握れば、紐がプチッ、と引っ張られる音が聞こえる。


 真っ暗な部屋だというのに怪しく光り輝く深紅が手の中から漏れていたが、それはだんだんと色を失っていく。



「――我は現世うつしよ常世とこよを繋ぐ者……の者を黄泉よみの国へと導き給え」



 ゆっくり開かれるまぶたから覗くのは、吸い込まれそうなほど綺麗な赤。彼の手のひらで眠っている勾玉のそれだ。


 帝は彼女の額へと手を伸ばして、鋭い眼光を向ける。トンッ、と触れる皮膚は冷たい。否、感じるはずがないけれど、そのような感覚を覚えた。



「本当に、ありがとう……」



 低くはっきりと紡がれる祝詞。

 足が地に張り付いているわけではないのに、この部屋に縛られていた彼女が醸し出すエネルギーは嘘のように離れた。合わせるように身体はふわり、と浮かぶ。


 透けて見えていた彼女が微笑むとさらにその姿は薄らいだ。

 空気に溶けていくように光の粒になって天へと昇っていく。



「――来世は幸せに」



 昇っていく魂を見守るように消えるまで見上げる彼は、小さく、酷く優しい声で呟いた。



「……」



 祈るようなそれに満月はちらり、と視線を向ける。

 初めて見かけた時と全く同じ深紅の瞳に、また目を奪われたのだった。



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