第33話「ない逃げ場」
「てめぇ、なんなんだ!?」
寝室の外が騒がしい。否、背後から人の気配を感じた佐藤はチラリ、と視線を向ければ、そこには見知らぬ男が、井上を拘束していた。それに驚いて、声が荒げる。
「――ねえ、かえして」
「うるっせぇな! 今はそれどころじゃねえんだよ!!」
そんな彼の背後にゆらり、と近寄る影。
バッ、と振り返り、化け物を見るかのような目を向けて、叫び散らす。
「アンタ……コイツに何かした?」
「し、してねぇよ……! この女が狂ってんだよ!!」
明らかに彼女らしからぬ声。それに
佐藤は帝の足にしがみついて、声をひっくり返す。井上も拘束されたままではあるが、満月が近寄ってくる恐怖を思い出したのか、顔を青くさせている。
(どーいうことだよ。別に何も憑いてない……)
二人が逃げることも忘れて、目の前にいる女性に怯えた。身体を震わせるいい大人たちに帝は呆れたようにため息を零すとチラリ、と満月に目をやる。
瞳に光を灯すこともなく、涙を流して見下ろしてる。
その姿に一つの考えが過るが、その気配は彼女から感じることはない。
「おい、アンタ」
「な、なんだよぉ……」
冷ややかな視線を佐藤に向けて、目を細め、深いため息を吐き出す。
真下にいる男に向かってぶっきらぼうに投げかければ、しがみつく男は一段と頼りなく、声を震わせた。
その姿はもはや、数分前まで法を犯した人間の姿ではない。
「身に覚えはないのか?」
「この女から何も奪っちゃいねぇよ!」
ズボンが伸びてしまうのではないか、というほど握りしめる佐藤に不快感が沸き上がる。それは顔にも出ており、怪訝そうに問いかけた。けれど、それに対して返ってくるのは恐怖からくる八つ当たりしかない。
「ほ、本当だ! 信じてくれ!」
「別にコイツに、とは言ってないけど」
「は、」
信じてもらえない現状に必死に訴える。けれど、帝はちゃんと言葉にしていなかった。
誰に対して、ということを。
そこをつつけば、佐藤は目を真ん丸にさせる。
「例えば上手いこと連れ込んたり、誘拐して監禁、暴漢した、とか」
「……」
自身の中にあるであろう答えに無意識に触れていないのかどうかは、分からない。けれど、求めるばかりで考えもしない二人にしびれを切らしたようだ。
帝はわざとらしく、しれっと告げる。
知らぬはずの帝の口から次々出てくる
「それで意図的か、そうじゃないかは知らないが殺した……とかな」
帝の確信ある言葉が飛び出す。ただでさえ、悪い顔色が蒼白だ。
「俺じゃない……俺じゃ、ない…………!!」
「一から話してやろうか」
「な、なんで、てめえが……そんな話! はっ、ハッタリだろ!?」
現実を受け入れられないのか、ブンブンと首を激しく横に振り、耳を塞ぐ。
なんて茶番だ、と煽るように言えば、佐藤は目いっぱいに涙を溜めた。
「……二年前に
まだ認めようとしないことに苛立ちを覚え、乱雑に頭をかく。帝の口からスラスラと出るそれは、あまりにも明確で、井上は言葉を失った。
「首絞めて苦しむ顔が好きなんだって? 抵抗されてイラついたお前は力の加減も忘れて絞めて、殺害した」
「ちが、う! しょ、証拠でもあんのかよ!?」
手を前に差し出してギュッと、握りつぶすように力を籠める。けれど、一瞬にして力なく手をぶら下げた。
まるで、現場を見ていたかのように語る帝に血の気が引いてくる。子供のようにガクガク震えながらも、反論した。確かに決定的な根拠も証拠も今のところない。
帝の想像だと言われてしまえば、終わりだ。普通ならば。
「ああ、証拠か……ははっ」
「何がおかしんだよ!?」
焦ることなく、納得する素振りを見せれば、乾いた笑い声が部屋に響く。
バカにされたように感じたのか、佐藤は怒鳴り散らすが、帝はただ口角を上げるだけだ。それがより一層、腹を立たせるのかもしれない。
「さっきから天堂が求めてるものが証拠だろ」
「は、はあ!?」
虚ろな目をしている満月を指差して簡単に言う。しかし、佐藤からすれば、ますます意味が分からないのだろう。声をひっくり返した。
「首を絞めるのに邪魔だって奪ったネックレス……あれにお前の指紋か手垢でもついてたら、証拠になるだろ」
「もっ、持ってるわけがないだろっ! そもそもそんな女知らねえよ……!」
「ふーん……知らない、ねぇ」
しらばっくれようとする彼に肩を竦める。射貫くような鋭い目に佐藤は歯を鳴らすが、まだ諦めてはいないようだ。
ここで自白しないことに帝は焦りを感じていない。むしろ、余裕さえ見て取れる。
「し、死体はどうやって運んだって言うんだよ…!」
「キャリーバッグに詰め込めんだろ。死後すぐなら、固まることなく入る」
「っ、証拠はどこにあるってんだよ!?」
彼の反応にまだ逃げ道があるとでも思ってるのか、反論が始まる。けれど、予想の範囲なのか、帝に戸惑いはない。
飄々と語るそれは無謀でもなければ、不可能でもない手だ。なかなかに諦めが悪いらしい。つかさず、佐藤は問い詰める。
「アンタの親父さんのマンションだから防犯カメラ……は、消してるか。あとは……死体を運んだキャリーバッグに証拠が残ってるはずだ」
「はっ、もし、俺が犯人だってんなら、そんな証拠らしいものをわざわざまだ持ってるなんてマヌケはしないな!」
証拠を出せ、と言われても何も掴んではいないのだから、出せるわけがない。全て知ってることは一般的に視えない世界から知り得た情報なのだから。
現実的な可能性は何か、と顎に手を添えて、思考を巡らせる。
帝の口から出るそれは、曖昧に思えたのだろう。勝機が見えたとでも思ったのか、佐藤は口角を上げるが、罪を暴く者の足にしがみついているから、小物感は否めない。
「そうだな……もし、キャリーバッグに死体が入ったまま何処の山で見つかったとしたら……物的証拠だろ」
「………っ、な、んで……どうして」
どこまでも涼し気に井上の手をひねり上げてる帝は、淡々と答えた。
とち狂ったように同じことしか言わない女といい、目の前の男といい。彼らが知り得るはずのない己の罪を知っていた。
その事実が冷たい空気をヒュッと吸い込ませる。逃げ道がない、と思ったのか、震える唇からポロッと零れ落ちた。
「何でって……本人から聞いたからな」
「な、に……言っ、て」
帝は腰に手を添えて、さらりと現実味のないことを平然と言い放つ。
妄言もいいところだ、と。死んだ人間から聞いたなんてあり得ない、と。あり得るはずがない、と脳内は嵐のようにまくしたてるが、実際にそうする気力はもうないのだろう。佐藤はただ、呆然としていた。
「ねえ、かえして」
「っ、!!」
満月はゆっくりしゃがみ込んで、佐藤の頬を包み込む。冷たいようでほのかな温かみが、生きてると教えてくれるその手にぞくりと、冷や汗が背中を伝っていった。
にっこり、笑ってずっと繰り返される言葉を呪いのように告げられる。
後ろには彼等の罪を間違えることなく言い当てる男がいて、目の前には狂った女がいる。
逃げ場のない恐怖に、声を失った。
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