第29話「黒猫」
「…………」
不可解な言葉と何かが崩れ落ちる音を最後に通話が切れた。
耳元ではツーツーツーという音が聞こえるだけ。
恐らく、バッグに仕舞っていたスマートフォンが何かの衝撃で通話が切れたのだろう。
予想外の展開に帝は顔を酷く歪ませ、スマートフォンをジッと見つめる。
「え、な、なんか聞こえなくなった、けど、ちょっと待って……」
隣にいた
隣を見上げているが、それ以上に気になることがあるらしい。
「同棲って何!? 初耳だよ!? やっぱり付き合ってたの!?」
クワッ、と食い気味に帝に顔を近寄らせて、激しく問いかけた。
「……まずいな」
「僕の質問は無視!?」
帝はそれに答えることはない。なにしろ、緊急事態だ。そんなことに構っている暇はない。
冷や汗を彼に、破魔は納得がいかないようだ。声をひっくり返す。
「うるさい。そういう設定だ、設定」
「え、じゃあ、違うの?」
「違う――それより、電話が切れた」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる彼に怪訝そうな顔を向けて、一蹴した。
餌を求める雛のような声がピタリと止み、キョトンとしている。
呑気で、ワンテンポ遅い彼に気が重くなる。
胃に溜まるガスを吐き出すようにため息と共に、首を横に振って顔を手で覆った。
「どどどどどどどどおおおおぉぉぉおおおおすんの!? 危なくない!?」
「危ないな」
「なんで冷静なの!?」
現在、どういう状況なのかが、やっと共有できたらしい。顔を真っ青にさせる破魔は、先ほどとは違う意味で混乱している。
帝の胸元をガシッと掴み、ゆさゆさと揺さぶる始末だ。
やっと同じ理解を得た彼に呆れてはいるが、帝もまた焦りを感じている。
自分より焦っている人間がいれば、誰しも冷静になれる理論が働いているのだろう。荒ぶる破魔に淡々としている。
だが、つくづく通常通りの帝の態度に不服なのか、彼はわめきながら、頭を抱えた。
「手元に女がいるから探りに行っても手を出さないと思ったんだけどな。佐藤の好みにぶち当たったらしい……不運な」
「言い方! 皇君! 言い方!! それに
「……」
「やっぱりあの時、ちゃんと止めておけばよかった……!」
顔を覆っていた手を髪を上げると不機嫌そうな表情を覗かせる。現状を整理するが、言葉選びが非常にへたくそだ。
不運、この一言で終わらせようとしている彼が恐ろしい。破魔は慌てて、常識を叩き込むように突っ込む。
美人なのにそれを鼻にかけない。
色んな人と上手くやっていけて、そばにいると心地よい。
それが彼女の周りからの評価だ。
嫉妬されることはあっても、満月をおもむろに乱雑に扱う人間なんていやしない。そんなことが出来るのは、帝くらいだ。
現に彼の表情は変わらない。いや、むしろ、鬱陶しそうだ。
破魔は数時間前、強く制止しなかったことを後悔しているらしい。目に涙を溜めて、両頬を潰すように手を覆った。
「やっぱ発信機を付けとけば良かったな」
「そういう問題じゃないよ!? しかも、それ犯罪だからね!?」
「どうやって探すか――ッ!」
深く息を吐き出すと同時に、ポソッとぼやく。それは人として聞き捨てならないセリフだ。耳を疑い、破魔は人ならざるものを見るような視線を向ける。
帝はどこか突拍子もない方向へと行きがちではあるが、此処まで酷いとは思わなかったのだろう。
眉を吊り上げて、興奮気味に声を張り上げた。
ビリビリと鼓膜を揺らすその声に、当の本人は眉根を寄せているが、言われている言葉自体はさほど気にしていないらしい。
策を講じようと、扉の方へと顔を向けて息を飲んだ。
「な、何……ひぃっ! ね、ねこぉ!?」
「……」
黙って見つめている彼に、戸惑いを隠せないのだろう。眉を八の字にさせて視線を追えば、そこには黒い毛並みをした海のように深い青色をした猫が、ポツンと座っている。
霊感の強さゆえ、その猫が幽霊だという事を即座に理解するとぞわぞわと栗毛立つ。
身体が拒絶反応を示すからか、帝を縦にするように隠れた。
背中の服を引っ張られる感覚を覚えながらも、逸らすことなく、猫と目を合わせる。猫もまたジッ、と見つめ返し、ゆるりと瞼を閉じた。
「ななななな、なんで猫の幽霊がここにいるんだよぉぉぉぉぉぉおお!! 皇君! 早く祓って!!」
双方動く気配のない中、自分の感情をおもむろに出す破魔はぐいぐいと帝の服を引っ張っている。
「にゃあ」
「……」
黒猫は目を細め、綺麗に一声鳴き、くるっと踵を返して、尻尾を揺らした。
「にゃ」
いまだに動かずに観察している人間と怯えてる人間を見て、目が鋭くなる。
急かすような、どこか苛立ちを含んだ声で、短くなくと、スタスタと歩き出した。
「ううぅ……って、あれ? あの猫……どこ行くの?」
「……行くぞ」
「え、どどどどど、どこに……!?」
自分たちの方へと近寄ってくると思われた猫が、どんどん離れていく。それに破魔はキョトンとした顔をして、帝を見上げた。
突き刺さる不安そうな視線を気にすることなく、ただぽつりと零す。まるで、それは黒猫の意図を理解したかのようだ。
破魔からすると全く話が見えてこない。混乱が更に混乱を呼んでいるが、言われるままついて行くのは彼らしい。
「あの猫の後を追う」
「えっ、えええ!? て、天堂さんはどうするの!?」
「ついて行けば、分かる」
迷子の子供のような先輩を一切見ることなく、歩きながら、端的に結論を告げる。
そんなことより大事なことがあるのに、何故、猫の後を追うのか理解が出来ずにいた。困惑しながらも、隣を歩くことを止めずに覗き込むが、欲しい答えが返ってくることはなかった。
「は、はい!? 全然意味が分からないんだけど……ちょ、皇君! 待って! 待って!! 置いて行かないで!! 僕にも分かるように説明してよぉぉお!!」
「俺にも分からない」
「は、ちょ、ますます意味わかんないよ! 皇君!!」
説明にならない説明、というのは人の思考を一瞬、止める。それと同時に足を休めて、眉を吊り上げるとグルグルと目を回した。
ハッ、と我に返れば、自分より先を行く彼の後ろ姿がどんどんと小さくなっていく。慌てて走りながら、問い詰めるが、なかなか距離が縮まることはない。
ポケットに手を突っ込んで一言を返すが、帝もさっぱり分からないようだ。しかし、彼以上に訳が分からない破魔はただただ、喉がつぶれそうな勢いで叫んで、全力で追いかけたのだった。
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