第25話「風の噂」


「ふわぁ……」



 大学にあるテラスは今日も今日とて少ない。

 いや、利用者は1組いるが、距離があるから特段、人気を気にすることがないだけだ。


 眠気覚ましのアイスコーヒーを片手に腰を掛けると気が緩む。我慢していたが、耐えきれなかったのか、口元に手を添えて、大きな欠伸をひとつ、落とした。



(あれから一睡もできなかった、なぁ)



 じわりと涙がにじむと指の腹で拭う。

 あのままリビングで夜を明かしたからか、頭が重い感覚が抜けないのかもしれない。青々とした空を泳ぐ優雅な雲を目で追った。



「なあ、聞いたか?」

「何をだよ」



 隣のテーブル席は空席――だったが、人影が満月みつきの目の淵に映る。新たな利用者がそこへと腰をかける気配にちらり、と目を向けた。


 短髪の男子大生はまるで、面白い話を手に入れたかのようにニヤニヤと笑っている。けれど、彼の問いは主題がない。それだけで理解できるとしたら、頭の中を覗けるものだけだ。

 友人らしき男子大生は眉根を寄せて、首を傾げる。



「合コン女いただろ」

「ああ、確か……菅原麗華すがわられいか、だっけ? 男癖が悪いって噂の」

「それそれ。そいつが昨日の夜から連絡取れなくなってんだって」



 短髪の彼はアイスコーヒーを飲みながら、とある人物を示した。


 その触れ方は誰でも知っている、とばかりだが、それは名前でも何でもない。できれば、誰もが付けて欲しくないあだ名、と言ってもいい。

 しかし、現実は非常なもので、そのたった一言で通じてしまうらしい。


 友人はストローを加えて、思い出そうとしているのか、視線を上へと向ける。頭の中に仕舞っていた引き出しをすぐ見つけらたのか、指を差して、答えた。


 はっきりと覚えているわけではないが、聞き覚えはあるのかもしれない。短髪の彼は頷くが、それに続く言葉が意味深だ。



「はあ? なんだよ、それ」

「よくつるんでる奴いるだろ?」

「あ~~~~……三島?」



 連絡取れない、という事実だけでそんなに前のめりになって話している目の前の男に理解が出来ないのか、眉間にシワを寄せる。けれど、短髪の彼は特段、気にすることなく、続けて問いを投げた。


 それはまた、あくまで知っていることが前提だ。菅原麗華すがわられいか、という女子大生とよく一緒にいる人間、と言われると一人しかいないのかもしれない。

 言わんとしていることが、分かってきたのか、また頭に浮かぶそれにあたる人物の名前を口にする。どことなく、こっちは曖昧なのか、自信はなさそうだ。



「そいつだ。色んな奴に聞いて回ってんだってさ」

「昨日の夜から取れないって言っても、寝てんじゃね? 心配しすぎだろ」

「菅原って返事をすぐする奴なんだって。それなのに朝になっても来ないからおかしいって言ってるらしい」



 ビシッ、と指を差されるが、友人の中に疑問が残る。

 昨日の夜から、だとするとまだ半日も経ってない。気分が乗らなかったり、具合が悪ければ、返せない時だってある。

 それなのに色んな人間に聞きまわるとは、いささかやりすぎな気もするのだろう。


 きっと、友人と同じ発想なのかもしれない。短髪の彼はため息交じりに椅子の背もたれに寄りかかった。



『尻軽女っぽかったし、事件にでも巻き込まれてんじゃね』

『スマホが壊れたとかもあるだろうし……別にそんな心配する必要あるか?』



 チラッ、と隣のテーブルを盗み見る。それは彼ら、ではなく、彼らの心に、だ。

 おのおの結論を出してはいるが、確証がないから口に出そうとしていない。だが、自分の答えに納得しているのか、首を縦に振っていた。



(合コンって……昨日、誘ってきた人たち――いや、まさか……)



 視線を手元に戻して、聞き覚えのあるワードに眉根を寄せる。メンバーにと誘ってきた女子大生たちが、脳裏を過り、タンブラーを持つ手に力が入った。



「おい」



 考え事をしていた彼女の背後から、かけられる低くも高くもない声。

 どこか威圧的でぶっきらぼうな一言が投じられた。



「っ、みか、どくん!?」

「……随分、不細工な顔してるな。アンタ」



 ビクッ、と肩を揺らして、勢いよく振り返る。黒髪の隙間から覗く、暗い赤色の瞳と交わった。

 みかど何の恥じらいもなく、顔を寄せて、ジッと見つめる。ファンデーションやコンシーラーでは隠しきれていない目元のクマに、ボツりと零した。

 決して、女性にかけるべきではない言葉を。



「……驚かせておいて、第一声がそれってどうかと思うんだけど」

「あれから動きがあった」

「え、動きって……昨日の今日、だよ?」



 怒りの声を上げるのが、おそらく普通だろう。けれど、満月は彼を理解し始めているからこそ、そんな気にもならないのかもしれない。

 第一声に肩の力が抜けると、呆れたような顔をして忠告する。


 帝にとって、どうでもいいのだろう。それに対しての返答することなく、簡潔に告げた。

 何が、と言われずともそれだけで分かる。二人の共通の話題など、破魔の依頼しかないのだから。


 そうだったとしても、驚きは隠せない。目を見開いて首を傾げた。

 なんせ、探偵にまた新しい情報を手に入れてもらおう、と結論付けて解散したのが昨日だ。



「ああ、詳しくは部室で話す」

「わ、分かった」



 いつもの気だるそうな表情をして、親指で旧校舎を指差す。

 それに満月は慌てたように首を縦に振り、タンブラーとバッグを持って、彼の背を追った。



「お、おいおい」

「あれって――」

「な、なんで天堂てんどうさんが、魔王と……?」



 一部始終を見ていた男子学生二人は、彼らの組み合わせが信じられないらしい。瞠目している。


 魔王と恐れられている男と大学の美女が共に行動しているのだから、無理もない。色んな意味で、目立ってしまう。

 しかし、現実をまだ受け入れられないのか、二人は顔を青くして呆然と見送っていた。


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