第24話「悪夢」
ゆっくり瞼を開けると真っ暗な世界。
上も下も、右も左もないただの暗闇、だ。
(ああ、始まった――)
何が始まった、と言うのだろうか。
何もないこの場所に一人、佇んでいるというだけなのに。
(また、首を絞められるんだ)
この光景が見慣れているのか、心の中で呟くと、自然と両手を握りしめていた。
これから起きるであろうことに耐えるように目を閉じた。
「きゃあ!!」
突如、現れる手は容赦なく、首をめがけて伸びてくる――はずだった。
いや、いつもならそうなのだ。けれど、予想していた手はいつまで経っても伸びてくることもなく、女性の叫び声が響く。
「!?」
その声に驚いて、バッと目を開いて前を見た。暗闇に慣れてきたのか、目を凝らして見えてくる。
首を絞める佐藤とそれをニヤニヤしながら、見守っている井上、そのほか二名の男。
ベッドの上で覆いかぶされるようにして首を絞められている女性――あの、あの幽霊の姿だった。
(っ、どう、して……いつもと、違、う)
あの女性に出会ってから犯人の顔はぼやけていようとも、彼女の視点で夢を毎夜、視せられてきた。だが、今日は違う。
同じ現場にいる第三者――いや、傍観者としてその場にいる状況に混乱する。
「うっ、……あ、あぁ」
「これ、邪魔なんだよなぁ」
食い込むんじゃないか、と言うほど首を絞める手に生理的な涙が、彼女の目から流れ落ちる。酸素を求めて、口をパクパクと開くが、吸うことはできず、苦しそうだ。
その表情に、楽しそうに口角を上げている佐藤は異常者、といっていい。しかし、首を手の間に何かがあるのか、眉間にシワを寄せた。
チッ、と舌打ちして手を離すと首と手の間にあった何かに手をかけた。
「げほ……ゴホゴホッ……かえ、して……!」
解放される首に、空気が身体に入っていく。けれど、急激に自由になった呼吸に咳が止まらない。よだれを口からたらして、呼吸を整えるが、それよりも焦りがあった。
滲む視界で取られたものを取り返そうと必死に手を伸ばす。けれど、それはむなしく、空を掴むだけ。
佐藤は気分良さそうに嘲笑って見下ろし、部屋の隅へと投げ捨てた。
(な、んで……こんなの見せられて、るの?)
満月が知っている光景と似ていて、似つかない。それに動揺が隠せない。
夢にしては鮮明に色が付いていて、あたかもこれが本当であり、現実と言われているような気すらしてくる。
瞳をひどくゆらし、気分が悪くなる光景に口元に手を添えて、震えることしか出来ない。
「ははっ! 見ろよ。いーかおぉ」
「お前、サディストすぎるだろ」
「女なんて支配してなんぼだって!」
「金持ちはやっぱ違ぇな」
また繰り返される首輪をするように当たり前にせまる手に、苦しめられる女性の顔は歪む。それでも、生きることを諦めていないのか、抗おうとしているが、男と女の力の差は歴然だ。
抵抗している姿に佐藤は高揚とした表情を浮かべている。それはもはや、外道そのものだ。
そんな彼に仲間は喉で笑い、軽口を叩く。その姿をスマートフォンで撮影している者すらいる。
佐藤は高笑いして、狂気じみたことを吐き捨てるが、それはさすがに仲間だとしても流石に引くのかもしれない。頬を引き攣らせて、ポツリと零した。
「お前らだって俺のおこぼれ貰ってんだ。ありがたく思えよ!」
「それはマジ感謝~!」
「はっ! お前らも人のこと言えねぇな」
ニヒルな笑みを浮かべて力を更に籠める佐藤は、何処までもクズなことしか言わない。
類は友を呼ぶ。クズの仲間は結局のところ、クズ、だということの証明と言えるだろう。仲間は茶化すように彼を拝んでさえいる。
井上は傍観者のように椅子に座ってやり取りを見ていたが、笑っていた。
「や、め……やめ、て……おね、がい……返、し、て……かえ、し、て」
首に伸びる手を、弱い力で掴み返しながら、訴える。
目からボロボロと零れ落ちる涙を見ても、顔色を変えることなく、玩具のように扱う男たちに、懇願し続けた。
「っ、や、め……て……やめてっ!」
満月は熱くなっていく目頭を感じながら、小さくふるふると首を横に振る。呟くそれは彼らの耳に届くことはない。
先ほどより大きい声を出すが、彼らは止まらない。彼女を助けようと手を伸ばしても、その手に掴めるものなどなにもないのだ。
そもそも足を動かそうとしても、沼に足を取られたように前に進むこともない。
彼女を助けられる距離にいる、というのに出来ることは何もない。
それなのに、彼らは自分たちの快楽のため、欲求を満たすために女性を痛めつけ、辱め続けた。
「もう、やめてええええええぇぇぇぇええええ!!」
助けを求める声に、彼らの悪行に耐えられなくなった満月は、耳を塞いで唇を噛みしめる。
じわり、と滲む赤色に口の中が、鉄の味がした。奥歯がギリリッと鳴り、叫びあげるとバガッと上半身が起き上がる。
どんなに助けようと手を伸ばし、足を動かしても動かなかった身体が、嘘のように動いた。
それは夢の世界から現実の世界へと帰還した証拠、と言える。
「はあはあは、っ、ぁ、……はあ……はあ…………」
寝ている間、息を止めていたのか、それとも心をひどく乱されたのか、肩で息をしていた。
心を、呼吸を、落ち着かせようと深く息を吐き、新鮮な空気を取り入れるように吸う。
「はあ……うっ、さいっあく……」
だんだん落ち着いてきたのか、肩の力を抜く。口の中に広がる味はどうやら、夢じゃなく、現実のものだったらしい。
唇にそっと触れれば、指の腹に赤く染まる。だが、どうでもいい。
それよりも同じ女性として視ていられない行為。狂気じみた男たちに感情が全振りされる。
胃から這い上がるような感覚を覚え、口元に手を当てて顔を歪めた。
(今のは何……また、視せられたの?)
サイドテーブルに置いてあるベッドサイドランプの電気をつける。クシャりと髪を掻き上げると、悪夢を見たせいか、額にはじわりと汗がにじんでいた。
初めてあの幽霊と出会った時に視せられたものよりも、毎日繰り返されていた夢よりも、鮮明で、濃い夢に動揺が隠せない。
「どうして……あの時と、……ずっと、視てる夢と違うの?」
彼女以外、誰もいない寝室で小さく震える声は、とても弱々しい。ツーッと頬を伝い、ポタッと涙が掛け布団へと落ちた。布はジワリと濡らし、痕を残す。
それに目を向けて、眉根を寄せながら、呟く。しかし、欲しい答えを持っている者など、何処を探してもいない。いる訳が、ない。
(井上さんに会って、帝くんの話を聞いて……私が導き出した人物像が加わって、変わった、のかな――……だとしても、佐藤って人あったことないし、知らないのに)
次から次へと湧いて出てくる疑問。
寝起きの上、気が動転している。回らない頭を無理やりたたき起こして、考えを巡らせた。
様々な情報が当たらに入ったことに寄り、無意識にそれを夢に反映させた可能性が過る。だが、そんな簡単に反映されることなんてない。
人の心を視ることがあったとしても、霊感なんて元々なかった。帝に出会って視えるようになったようなものだ。
今まで生きてきた中での常識じゃ、通じないことが起きている。それだけしか分からない。
「かえしてって……ペンダントのこと、だったんだ」
幽霊の彼女――いや、生前の彼女の首から引きちぎられたペンダントを思い浮かべ、叫んでいた言葉を思い出す。
ずっと気になっていた意味を、思いもしない形で理解させられて、胸元の服をギュッと掴んだ。
それが正解かは知らない。ただの夢の可能性だってある。けれど、それが妙に空いたパズルのピースのように感じていた。
「あーーーーーーーうーーーーーーーーーーーーーうぅ」
嫌悪を思い出して、鳥肌が立つ。両腕を摩ってふわふわの枕をギュッと抱きしめ、前のめりになって倒れ込む。次に聞こえてくるのは小さな唸り声だ。
胸に溜まるモヤモヤとした感情を吐き出すようにしているのだろう。けれど、傍から見れば、呪いをかけているようにしか見えない。
この場に帝がいれば、的確に指摘してやめさせているが、残念ながら、今はいない。
「言いたくないけど……一応、伝えた方がいい、よね」
唸り続けて数分。まだ胸に残るしこりを抱えながらも、枕から顔をそっと話、呼吸を整えた。
何かの手がかりになるかもしれない、と、冷静になった頭で導き出したのかもしれないが、何処か嫌そうに見える。
「だから、関わらない方が良かっただろって言われそう」
すました顔をして小ばかにする帝が脳裏に過る。
無理矢理、自ら関わった案件だからこそ、泣き言は言いたくないのか、ムッとしている。
「いや、絶対言う。だって、帝くんだもん」
帝と関わってまだ間もない。彼の心の形が視えないとしても、人を良く観察している彼女にとって人と成りを知るには十分な時間だ。
頭を抱え込んで、先ほどとは違う声でまた唸る。
「――でも、ほうれんそうは大事よね」
返して……かえ、して……――と、苦しみ、涙を流しながら口にしていた言葉を、ふと、思い出す。自分の感情は後回し、とでも思ったのか、ぶんぶんと首を横に振ってポツリと零した。
その表情は覚悟を決めたように見える。
「はぁ……今日もオールだなぁ」
カクンッ、と頭を落として、ため息をつく。気だるそうにベッドから起き上がって、サイドテーブルに置いてるあるペットボトルを持って、寝室を後にした。
「どうやって時間潰そうかなぁ」
リビングに出てくると、パチッと電気を付ける。明かりが灯った部屋に迷いのない足取りで向かうのは、本棚だ。
複雑そうな顔をして、本のタイトルとにらめっこすると、適当な本を取り出して、ソファに足を伸ばす。
「よいしょ、と」
ソファの背もたれに寄りかかって、充電されているスマートフォンに手を取り、「癒し音」とかかれたアプリにトンッと触れた。そこには種類豊富な自然な音がずらりと、並んでいる。
寸分の迷いなく、雨音とかかれた文字をタップすると、優しく柔らかい雫の音が流れ出す。
満月はその音に耳を傾けながら、本の世界へと入って行ったのだった。
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