第15話「NOULA」
「
「ああ、そうらしい」
ある店の前で、立ち止まった。上の方に飾られている看板を見上げて、
「
高級なマンションを借りる人はまた品の良い不動産会社を利用するらしい。
敷居の高さゆえか、感心する隣で、
「でも、幽霊が出ます、なんて信じるの? 営業妨害って言われない?」
「言われるかもな」
これから乗り込んで聞き込みするにしても、相手にされるか怪しいものだ。追い出された可能性も捨てられない。
不安げに顔を覗き込むけれど、彼は変わらない。むしろ、鼻で笑っていた。
「え、ちょ、それはまずいんじゃ……!?」
ことなさげに答えられたそれに顔が強張る。動揺からか、声がひっくり返る。
「まあ、なんとかなるだろ」
「み、帝くん! ~~~っ!」
止めようと彼の服を引っ張っている彼女に、気にすることもない。帝はためらいもなく、その手を振り払うと店へと続く扉をに手にかけた。
心の準備をする間もなく、さっさと入って行く姿に叫ぶが、応答がない。
今、ここでタイミングを逃したら、入りづらいのは間違いなし、だ。扉が閉まる前に中へと身を滑り込ませた。
「いらっしゃいませ」
入店する客にすぐさま気が付いて、声をかけるのは、清潔感漂うスーツを着こなした若い男性。
にこり、と朗らかな笑みを浮かべると軽く会釈する姿は好印象を与えた。
(っ、この人……)
ひょこっと顔を出してみるが、満月はギョッとして、顔を引っ込ませた。
「どういったお部屋をお探しでしょうか?」
「僕は
首を傾げる店員に、実に爽やかな笑顔を張り付けている。
「あ、ああ、は、はい……では、こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
まさか質問に質問で返されるとは思っていなかったのだろう。戸惑った表情を浮かべる店員だが、現状、目の前にいる二人は客だ。
無下にするわけにもいかない。
奥のスペースへと手を向けて案内する店員に、彼は笑みをたやすくことなく、礼を述べた。
(ぼ、僕!? ありがとうございます!? み、帝くんってそういうことする人!?)
普段ぶっきらぼうで低い声、ではなく、人に困れそうな聞き取りやすい少し高めの声。
彼女が見たことのある張り付いた笑顔とは別の種類の薄っぺらい好青年、といえる表情。
帝と知り合ってまだ日も浅いにしても、それらに狼狽えて、異物を見るような眼になってしまう。
「何してんだよ、行くぞ」
「あ、う、うん」
背後から付いてこない気配に振り返ると、驚きで足を止めてポカンとした顔が目に入る。
間抜けヅラに軽く息を吐き出して顎をクイッと上げた。
それは満月の知る彼そのものだ。キョトンとしたまま、こくりと頷いて彼の元へ駆け寄った。
◇◇◇
「
「友人がここで部屋をお借りしているんですが、どうも不思議なことが起こるらしくて……確認して欲しい、と言われたんです」
「は、はあ……不思議なこと、ですか」
奥には個室相談部屋らしきものは、ある。けれど、今、ここには店員は一人。
部屋の一番端にある来客席へと導かれた。
上質で艶やかな深みのある木のテーブル。それに合わされたソファはふんわりしていて、身を預けると身体の力が抜ける。
スッ、と前を向くと店員は名刺を差し出して、眉根を下げて微笑んだ。
受け取って要件を伝えるが、それは曖昧だ。理解できないからこそ、彼は困惑したまま、相槌を打つ。
「これが委任状です」
そっとテーブルに置いて、差し出した。
(あれからすぐここに来たんだから、先輩に会ってない……ってことは)
居心地が悪くて肩を
委任状を受け取ることは決して出来るはずのない彼が持っている、と言う事実に表情が硬くなる。疑いの目でチラリ、と隣を見上げた。
「……どうかしたか?」
じぃ、と刺さるそれは嫌でも分かる。
張り付いた余所行きの笑顔が問いかけるが、どことなく、威圧的だ。
「な、なんでも、……ナイ」
薄っすら開かれている瞳は笑っていない。
余計なことを言うな、と言わんばかりだ。
満月は頬を引き攣らせて、フルフルと首を横に振ることしか出来ない。
(それ、アウトじゃない!?)
ぎこちなくも視線から逃れるが、心の中で叫びをあげたのは言うまでもない。
「えーっと、……ああ、
「はい、そうです」
目を通し終えた委任状はカサッ、と音を立て、重力に逆らうことなく、テーブルにゆるりと落ちた。
誰の代理人かが分かれば、警戒心は幾分か和らぐ。
(破魔先輩の名前って
常に笑みを絶やさず、黙っていた満月だが、心中で突っ込まずにはいられなかった。
破魔、という苗字すら珍しく、幽霊など近寄らせなさそうなのに、名前もまたそれらを一蹴しそうなのだから、無理もない。
完璧と言えそうな名前を持っていても、寄せ付けてしまう彼の体質に憐みすら覚えた。
「不思議なことが起こるのはご存じですか?」
「いいえ、……今までそういったことは耳にしたことはありません」
寝耳に水なのか、井上の表情はどことなく、硬い。改めて問いかけても、首を横に振るだけだ。
「そう、ですか」
「破魔様にお貸している部屋で不思議なことが起きる、というのは……その、つまり――」
迷いなく、即座に答えられたそれは、求めていたものではない。
じわりと湧いてくる面倒くさいという感情は隠しきれず、かくり、と頭を垂らした。けれど、それは一見、原因究明できないことに残念そうに見える。
手を組み、背筋をピンッと伸ばす。それだけで人の印象は誠実さを増すのだから、不思議だ。
井上は真剣な顔で口を開くが、明確に表現するのは躊躇いがあるようだ。言い澱んでいる。
「……寝室に夜な夜な女性が現れる、というんですよ」
「女性、ですか」
「ええ。かえして、とずっと泣いているとか」
帝はこれを狙っていたのかもしれない。
俯いたまま、微かに口角が上がる。ゆるり、と顔を上げると眉根を八の字にして肩をすくめた。
まるで、あり得ない話だ、と小馬鹿にするように。
聞き逃せなかったのか、井上の顔は強張っている。けれど、それに構うことなく、彼は続けた。
「失礼ですが、破魔様が寝ぼけていらっしゃったのでは?」
普通一般にあり得ないことが起きている、と耳にした時、人がとる手段は二つ。
一つはそれを信じて、上司に相談。もう一つはまったく信じることなく、あしらって終わらせる。
どうやら、井上は後者らしい。
「僕もそう、思ったんですが……あまりにも彼が必死だったので」
「そうでしたか……事故物件という話は聞いたことがないんです」
そういったものと関わりがなければ、そう思うのも無理はない。だからこそ、愛想笑いして同意してみせた。
友人思いの人間、とでも思ったのか、井上は疑うことなく、迷惑こうむっているであろう彼に同情の眼差しを送る。
(やっぱり難しい、か……どうしたもんか)
何も得られないまま、引くのは不本意だ。
何のためにわざわざ委任状を用意してここに出向いたというのだろうか。その苦労を無駄にしないためにも、考えを巡らせる。
「あの、」
「はい」
ずっと黙って大人しく話を聞いていた満月が、おずおずと手を上げた。弱々しい声に井上は、優しい顔を見せる。
「以前、住まわれていた方がどうだったかを教えていただくことはできますか?」
「それは――」
「ダメ、ですか?」
控えめに尋ねるそれはあまりにもストレートで、井上は言葉を詰まらせた。
彼女は諦められないのか、しゅんとした顔をして上目遣いで、もう一度、問う。
「……口数の少ない大人しい男性、だったと記憶してます」
あざといその仕草に負けたらしい。
情報、というには薄いが、前の住居人の印象を語る。
「近隣の方からの印象は伺ったことはありますか?」
「いいえ、あまりそういった話を伺う機会がなかったので」
先ほどと同じように曖昧な情報を得ようと思ったのかもしれない。一度答えてしまえば、二度目はそんなに抵抗なく答える、と踏んだのだろう。続けて聞き出そうと試みるが、それはむなしく終わった。
(さすが八方美人--いや、この場合はただの美人、か?)
帝が知り得なかったことを引き出している姿になのか、彼女の顔を上手く有効活用していることになのか。いや、その両方だろう。
彼はただ、感心していた。
「……」
満月は彼から視線をそらし、何もない空を見つめる。その表情はどことなく、険しい。
「あ、あの?」
「あ、すみません。考え事をしてしまって……教えてくださってありがとうございます」
黙り込んだままの彼女に困惑する井上は覗き込み、隣にいる男は肩を肘で小突いてくる。
それらに我がに返った満月は慌てて微笑み、頭を下げる。
「すみませ~ん!」
カランカランッ、という音。その次に聞こえてくるのは明るく張った声だ。
「あ、はい! 少しお待ちください! すみません。今日は人手がなくて……もうよろしいでしょうか?」
「はい。お忙しい中、お時間を割いてくださってありがとうございました」
井上は素早く反応をすると眉根を寄せて、二人に謝罪する。
来客に、これ以上得られるものはないと判断したようだ。帝は席を立って会釈する。
「いいえ。もし、気になる物件がありましたら、来店してくださいね。待ちしております」
「はい、ありがとうございます」
客にならずに終わった、というのに彼は営業を続ける。次につながる客になるように声をかけるあたり、なかなかやり手なのかもしれない。
帝はどこまでも余所行きの顔を張り付けて店を出た。
「またのお越しを」
井上は接客業として文句なしの笑みを浮かべて頭を下げる。しかし、二人にかけた声音は、何処か冷たかった。
「収穫なし、か」
わざわざ出向いてみたものの、手ごたえはない。得られるものはほぼない、と言っていい。
「かえして」と泣く女で、おそらくあの部屋でひどい目に合っている可能性が高い――それ以上のピースが揃わない。
「地道に調べるしかない。アンタも手数に入れていいよな」
「……」
一番手っ取り早い方法だが、不動産会社が個人情報をそう易々と渡す会社はない。
ましてや、警察でもない学生に、だ。
せめて、ヒントぐらいは得られると思っていたのかもしれないが、完全に当ては外れた。
ヒントになり得ないものしか収集できてない。
ガシガシと後頭部をかいて、面倒くさそうにため息を吐く。
気だるそうに声をかけるが、反応がない。
「さっきからどうした」
「帝くん」
眉根を寄せて後ろを振り返るが、彼の知る満月とは何か、違和感がある。
訝しげにもう一度、声をかけると真剣な顔がまっすぐ、向けられた。
返事をするわけでもなく、ただ、彼の名前を呼ぶ。
「なんだよ」
「あの人、嘘ついてる」
「は?」
ジャケットにポケットを突っ込んで首をこてん、と横に倒せば、満月は淡々と告げた。
それが帝の眉間のシワを更に深くさせる。その反応は最もだ。
唐突すぎる上に根拠がない。
「あの人、あの部屋のこと……何か知ってるよ」
「……」
ためらいもなく、続けるそれはどこまでも淀みがなかった。
ただ他愛もない話をしただけで何が嘘で、何か知っているのか、なんて分かるはずがない。あり得ない。
彼の脳はそれを訴えているが、宝石のようにキラキラと光り輝く瞳から、そらすことは出来なかった。
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