第14話「一時撤退」

「調べることって……?」

「前の家主」



 玄関へと向えば、みかどはまだ靴を履いているところだったらしい。つま先をトントンと床ではじき、整えている。


 置いて行かれていないことに安堵したのか、肩の力が抜ける。けれど、謎が自然と首をひねらせた。


 背を向ける彼は短く、的確に答えるとドアノブを回して表へと出ていく。



「な、なんで?」



 パンプスを履いて扉が閉まる前に後を追うが、脈絡があるようでないようなそれに、困惑が隠せない。



「思ったより、面倒くさい案件そうだから」

「……え?」



 パタン、と扉が閉まると勝手にカギが掛かった。それを見届ければ、またエレベータに向かう。

 彼の横顔をチラリ、と盗み見るが、明らかに不機嫌そうだ。


 ボソッ、と零すその意味が分からず、満月みつきの目は大きく見開かれた。



「アンタはもうこれ以上、やめておいた方がいい」

「どうして?」

「今回の霊はアンタにリンクしてきた――つまり、波長が合う。また嫌な目に合うぞ」



 親指がエレベーターのボタンを沈むと、今までで、一番の強い口調と固さを持った忠告が響く。

 それに、満月は目をパチパチと瞬きを繰り返して、ゆるりと複雑そうな顔を上げた。


 一階からどんどんへ上へ階を重ねるエレベーター表示パネル。

 それを見つめながら、帝はその理由を明かした。



「でも――」

「でも、じゃない」

「イヤ」



 反論しようと口が開く。けれど、最後まで言わせてもらえることはなく、もう一度、制される。


 彼の本気が伝わるのだろう。けれど、彼女も首を縦には振らない。

 むしろ、プイッ、と顔を背けた。



「……」

「探してって言われたのは私だよ」



 頑なであるのは、幽霊である彼女に言われた一言、らしい。



「はぁ……どうしてそこまで首を突っ込むんだ」

「確かに思ったより怖かったけど……乗りかかった船だから」



 幽霊に襲われ、悪夢を見せられた。

 これだけで逃げ出す人間は何人いようか。


 たいていの人間は恐怖におののいて、逃げ出すに違いない。

 だからこそ、そうしない満月が不思議でしょうがないようだ。


 怪訝そうな顔をして吐き捨てれば、タイミングよく、エレベーターポンッ、と音を鳴らす。



「……だから、無理やり乗った船、の間違いだろ」



 クイッと首を動かす。先に乗れと言わんばかりだが、言っていることは相変わらずだ。


 大人しく言うことを聞く彼女に同乗して、ボタンを押す。

 エレベーターは彼の指示通りに、扉を閉めて下がっていった。



「途中下船って、ね?」

「俺はしろと言ってる」



 眉根を下げて微笑み、こてん、と首を倒すあたり、あざとい。

 これが無自覚だとしたら、質が悪い。


 けれど、そんなのは帝には関係がない。隣に感じる気配にジト目を向けた。



「それに私がリンクできたってことはアシストできるんじゃない?」

「……アンタのそのポジティブ思考が訳分からない」



 思いついたように顔の前で両手を合わせる。サラッ、と言うそれはどこまでも楽観的だ。


 普通ならば、恐怖でそんな考えに至らない。

 だからこそ、彼は眉間のシワを深くさせて、こめかみに手を添えた。



「ほめ言葉として受け取っておくね」

「ほめてない」



 にこり、と笑ってまたもや真逆の意味で受け取ってみせる。そんな姿に帝はキッと睨み返した。



「で、この後どうするの?」



 鋭い切れ目に睨まれても、怖さはないらしい。満月はくすくす、と笑い続けている。


 エレベーターはポンッ、と音を鳴らす。いつの間にか、一階に到着していた。



「情報を集める」

「情報?」



 やる気なく歩く彼は、エントランスへと向かう。その姿を追って、答えを待つとあっさり返ってきた。

 けれど、意図が掴めないのだろう。彼女は不思議そうに見上げる。



「とりあえず、破魔先輩に連絡取るしかないな」

「今日のことを報告するの?」

「そんなこといましたら、一生戻らないぞ。あの人」



 エントランスを過ぎ去り、自動ドアが開くと外だ。

 今日は随分と空は軽い。青々とした空に日差しが降り注ぐ。


 それがうっとうしいのか、日差しから逃げるように腕を上に伸ばす。簡易的な日陰を作りながら、ポツリと呟いた。


 意外だったのか、満月はキョトンとした顔になる。首を傾げて聞くが、その疑問は愚問だ。


 ありえない、と棄却する帝は、想像できる未来を脳裏に思い浮かべて遠目で空を見る。



「じゃ、じゃあ……なんで連絡するの?」

「どこで借りたのか聞く」

「へ?」



 考え込むように眉根を寄せるとまたもや簡単に返ってきた。予想外の答えだったのか、彼女から気の抜けた声が出る。


 実に間抜けヅラだ、と思ってもそれを声に出すつもりがないようだ。帝は視線を歩道へと移す。



「どうして?」

「どう見ても、曰くつきの物件だろ。あそこは」



 何故、不動産会社を知る必要があるのか、見当もつかないのだろう。困惑しつつも、横顔を見上げると、彼は飄々として言った。


 それはまるで、もう今日の夕飯を決めたとばかりに。



「……」

「あの人、あそこで殺されてる」

 


 曰くつきの物件。事故物件やそういった類・・・・・・が出る物件を破魔はしらずに借りていた、と考えたようだ。


 満月は目を真ん丸にさせて黙り込むが、確信ある声が鼓膜を揺らす。それにドクンッ、と心臓を跳ねさせた。


 

「あの人は地縛霊だ」

 


 ピタリ、と足を止めて隣にいる彼女を見つめる。

 真実をその目で視たのだ。破魔の家の寝室に居座る女性の魂を。


 

「じばく……れ、い」

 


 自分が死んだことを受け入れられなかったり、理解していないこともある幽霊。

 そして、死んだ時にいた土地、建物から離れられない哀れな存在。


 そういう世界と縁がなく、暮らしてきたのだ。彼女は瞳を酷く揺らす。


 

「……引っ張られるなよ」

「え?」

 


 幽霊に寄り添うように痛みに耐えたような顔をする姿に、ボソッという。


 聞き取れなかったのか、否か。

 それは分からないが、満月は俯いていた顔を上げた。


 

「同情すると向こう側に連れて逝かれるからな」

「こ、怖いこと言わないでよ……」

 


 あまりにも突拍子もない一言が放たれる。


 人ならざる者の世界、死の世界――どういった意味合いなのかが、分かるからこそ、栗毛が立つ。


 彼女は強張った表情を浮かべて自身の両腕をヒシッ、と抱きかかえた。


 

「だから、止めてんだ」

 


 冷静というべきか、ひややかというべきか。どちらにしろ、帝の瞳はどこか冷たい。

 人の警告を何度も聞かずに付いてきたからこそ、その視線をくれてやっているのだろう。


 

「でも、ついていくからね」

 


 満月はウグッ、と息を詰まらせながらも、ムッとした顔をする。やっぱり脅されても諦めるつもりはサラサラないようだ。


 

「はいはい」

 


 だんだん彼女の性質に慣れてきたのか、諦めたように頷く。

 ズボンの後ろポケットからスマートフォンを取り出して、メッセージアプリを開いた。



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