第13話「共有」


 チュンチュン、と鳥のさえずりが聞こえてくる。

 都会だというのにカラスではない、鳥の声というのは、意外と優雅なものだ。


 否、そんな優雅なものではない。

 小鳥のさえずり、というより、甲高いおしゃべり怪獣の会話のようだ。



「ん…………ん……」



 沈めていた意識が徐々に浮上してくる。

 満月みつきは眉根を寄せて、うっすらと目を開けた。



「……」



 ぼやける視界。

 その瞳が映すのは見慣れない、まるで、モデルルームのような部屋だ。



(そうだ……破魔はま先輩の家に来て、それで……っ、!)



 休めていた脳はゆっくり、動き始める。

 徐々に覚醒していく記憶に、背筋をぞくりとさせた。


 身体を這う複数の手、首を絞める手が、強烈かつ鮮明に思い出させられる。

 どくんどくん、と鳴る鐘に血の気が引いた。


 空気がふわりと動いた気がすると、右肩に何やら重みがかかる。心臓を飛び跳ねさせ、恐る恐るそちらへと視線を移した。



「スー……ス――……」

みかどくんかぁ」



 右肩に寄りかかるものの正体、それは帝だ。

 気持ちよさそうに寝息を立てて眠っている姿に、彼女はほっと、胸を下ろす。



「――俺以外いないだろ」

「っ、お、起きてたの!?」



 目を閉じたまま、話し出す彼にビクッ、と肩が揺れる。

 声をひっくり返して問いかける満月と対称的で寝ぼけまなこだ。



「今な……」



 固まった筋肉をほぐすように、両手を天井に向けて伸ばすと、力を抜く。スッ、と立ち上がってどこかへと歩き出した。



「……あの後、出たの?」

「いや、跡形もなく消えたままだ」



 向かった先はキッチン。

 棚からグラスを、そして、冷蔵庫から2Lのペットボトルを取り出して、注ぐ。


 平然と我が物顔で物色している姿に、困惑は隠せない。満月は不安そうに見つめながら、問いかけると、彼はあっさりと答えた。


 本来なら、それに対して焦ったり、戸惑ったりしてもいいはずだ。けれど、そんな態度を見せることなく、カラカラに乾いた喉を潤している。



「そう、なんだ」

「で、さっそく、朝になったから聞きたいんだが、大丈夫か?」



 一点を見つめる彼女の表所はどこか暗い。

 ぎゅっと抱きめているクッションにまた力が入った。


 もう一つ、グラスを取り出してまたもや注ぐ。

 もう役目を果たしたペットボトルは住んでいる場所へと帰されると、グラスを片手にリビングへと踵を返した。


 俯いている彼女の前で立ち止まる。

 そっと手に持ったものを差し出して、首を傾げた。


 ゆらり、顔を上げて見ると、グラスの中で透き通った黄緑色が踊っている。それを見て、ごくり、と喉が上下して気が付いた。

 自分も喉が渇いている、ということに。


 手を伸ばして受け取り、コクリ、と頷いた。



「俺があの人に声をかけると狂ったように叫んで、アンタを襲い掛かって、そのままアンタは倒れた」

「うん」



 満月の隣にまた座り、自信の太ももに腕を置いて手を組む。見たままの事実を告げるとそれに首を縦に振って同意される。

 二人の認識は合っているようだ。しかし、問題はここからだ。



「倒れたアンタはうめいてた」

「……」

「何を見た」

「どこまでも……どこまでも、暗い闇の中にいたの」



 どんなに呼びかけても反応することなく、苦しそうに、恐怖の色に滲ませていた姿を思い起こしたのか。帝の表情は硬い。

 ゆっくり閉じて、ポツリと呟き、語り始めた。



「突然、首を絞められて、息が出来なくて……死ぬって思った時、手を離されたの。やっと、息が出来るって呼吸を整えたら、複数の手が身体を這って――」

「…………」

「そしたら、だんだん帝くんの声が聞こえてきて、目が覚めたの」



 そっと、開かれる瞼から見える瞳は揺れている。グラスに入っている緑茶を見つめているが、顔色はどうにも悪い。

 夢だと言っても、リアリティのある悪夢を見せられたのだから、当然だ。


 冷や汗がジワリ、と肌にしみるのを感じながら、満月は手にしているグラスに力を入れた。



「気を失う前に何か言われてなかったか」



 かすかに震える姿に帝は眉根を寄せる。

 思考を巡らせるように黙っていたが、閉じていた唇を開き、紡いだ。



「……探して、って」



 透き通る白い手が頬を撫でた記憶が蘇る。

 くぼんだ目に大きなクマに、恐怖でコケた頬、もがくように助けを乞うような大粒の涙を。


 それに胸が締め付けられ、キュッと一瞬、唇を結び、告げられたそれを口にした。



「何を?」

「分からない……」



 たった一言。

 それだけで全てを理解することは難しい。


 つかさず、彼は目を細めて聞き返した。けれど、幽霊の女性からそれ以上の言葉も、イメージも伝えられていなかったのだろう。

 悲しそうな顔をして、首を横に振る。



「……思い出させて悪かった」

「ううん、私が無理言って付いてきたんだもん。大丈夫だよ」



 実体験じゃないとしても、胸糞悪い話だ。

 女性である満月にとってはトラウマになりかねない。申し訳なさそうに謝れば、彼女は目を真ん丸にさせた。


 まさか、謝られるとは思っていなかったようだ。力なく笑って強がって見せるが、手はふるえている。



「……さて、帰るか」

「え、帰るの!? まだ解決してないよね?」

「調べることがある」



 ふっと、息を短く吐き、立ち上がってポケットに手をつっ込みながら、ボソッ零した。


 それは予想外の言葉で、満月はびっくりして、立ち上がると声をひっくり返す。けれど、言い出しっぺはすました顔をして玄関へと向かう。



(い、急いで洗えば間に合うかな……!?)



 勝手に使ったグラスを洗うこともなく、帰る気だ。より一層、彼女を戸惑わせている一因だろう。

 手に持っているグラスに入っているお茶を急いで飲み干して、急ぎ足でキッチンへと向かう。


 彼が使ったグラスと手に持ってるそれを洗うことを考えるが、遠くから聞こえてくるのはガサゴソ、という音だ。

 洗って追いかけるのは、不可能に近い。



(~~~~! 破魔先輩……ごめんなさい! 許してください……!)



 葛藤もむなしく、シンクに置いて水を入れるとパンッ、と音を立てて目の前で手を合わせる。

 罪悪感からくる謝罪だが、伝わることはない。


 まだぬぐえないそれに顔を曇らせながらも、バタバタと足音を立てて玄関へと向かった。


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