第12話「視たモノ」

「……ここは…………ど、こ……?」



 目を開けると、右も左も、上も下もない。

 とても不安定な場所に、満月みつきは身を置いていた。


 手を伸ばしても一寸先は闇。

 経験したことのない暗闇に一人でいるのは、不安で仕方ないのだろう。


 強張る身体の緊張をほぐそうと、自分の鼓動を感じるように意識しながら、キョロキョロと辺りを見渡す。



「っ、か……はっ……!」



 何もなかった。何もなかったはずなのに突如、目の前から2本の腕が現れた。

 瞠目するけれど、それは問答無用で彼女を押し倒して、首を絞める。


 抵抗しようと、首にかかる腕を掴んで必死に抵抗するが、絞める力はとても強い。

 ただ顔をしかめることしか出来なかった。



(くる……し…………っ、)



 苦しさから生理的な涙がジワリ、と浮かぶ。口をパクパクさせてみるものの、呼吸することすら、許されなかった。


 酸素が回らない身体を生かそうと、頭の血管が脈打ち、心臓はバクバクと激しく鐘を打つ。



(し、死んじゃ……、)



 努力はむなしく、どんどん気が遠くなる。

 ぼやけていく視界に、固く瞼を閉じると目の淵から一滴が零れ落ちた。



「ヒュッ……はっ、……ゴホッ……ゲホッ…………うっ、……ゴホゴホッ……ヒューヒュー……」



 あと2,3秒あれば落ちる、というところで突然、解放された。


 生きようとする生存本能は素晴らしい。肩が勝手に上下に動く。焦って酸素を求めたせいか、吸う息があまりにも浅く、むせて咳き込んだ。



(な、なに……これ…………)



 呼吸が整うと、真っ暗だった空間にオレンジ色の光がぼんやりと灯っていることに気づく。

 満月を覗き込むような人を光が飲み込んだ。


 最初こそ、逆光で見えなかったが、次第に慣れてくる。だんだん輪郭がはっきりしてくるそれに顔を青ざめさせ、鼓動が早くなる。

 囲んでいるのは男たちだと、知ってしまったからだ。



(気持ち悪い……た、助けて!!)



 ニヤリ、と嫌らしく上がる口角に冷や汗が吹き出た。


 複数の手が身体を這うように、様々な部位が触れられている。そのリアルな感覚に鳥肌が立った。

 現実を見ないようにギュッと、目を瞑るが、そのせいで増す嫌悪感。拒絶反応に涙が流れ落ちた。


 助けを求めたい、その思いはあっても、声は出ない。

 それどころか、唇を強く噛みしめている上に、強張った身体が声帯を震わせるのは難しい。



「――い、…………おい」



 恐怖で全てを遮断しようとしたその時、遠くから何かが微かに聞こえた。



「おい! おい!!」

「っ、……!」



 知っている声がだんだんと近づき、揺らされる感覚。耳元で聞こえた必死なそれに満月は、パチッ、と目を覚ました。


 息を止めていたのだろう。肩を上下させて、呼吸を荒くしている。ポロポロと溢れる瞳には、眉根を下げて覗き込むみかどが映っていた。



「大丈夫か?」

「う、ん……い、今、のは?」



 肩の力を抜いて、問いかける彼はまだどこか緊張感を漂わせている。

 まだ現実と夢の狭間にいる感覚を捨てきれずにいるのか、満月はゆるりと頷くけれど、どこか心あらずだ。



「やっぱ、無理やりにでも帰せばよかったな」



 うつろに問う姿に後悔が押し寄せるのか、苦虫を噛み潰した顔をしている。



「――、……」



 声が出しにくいのか、頭を横に振って答えるが、上手く伝わらない。

 そのもどかしさに、彼の服をギュッと握って見つめた。



「聞きたいことはるが、とりあえず、リビングで休んどけ」

「ご、めん、帝くん……」



 服を掴む手は微かに震えている。それでも、目をそらさない彼女に少し驚きつつも、軽く息を吐き出した。


 いつもの調子でぶっきらぼうなのだが、撫でる手は、優しくあたたかい温度に、少し安堵する。

 身体がほぐれていくのを感じ、表情を柔らかくして頭を下げた。



「いいから、あっちで寝てろ」

「ごめん……」



 巻き込まないようにしようと思えば、出来たはずなのに出来なかった。それは彼の落ち度だ。

 だからこそ、素直に謝罪を受け取るつもりがないのだろう。


 立ち上がって、あの女性がいた場所をよく見ようと近寄る帝は体よくあしらう。けれど、満月はひたすら謝り続けた。



「だから、いいって言って――」



 しつこいそれに苛立ちを覚え、眉根を寄せて振り返る。

 そこには顔こそ見えないが、耳をほんのり赤くさせた彼女がいた。


 何かを恥じらっていることは分かるが、何故なのかは分からない。満月の元に戻り、しゃがんで覗き込むと真っ赤な顔をしていた。

 見られていることに気が付いて、とっさに顔を両手で隠すが、遅い。



「…………腰が抜け、ました」



 誤魔化しようのない状況に、恥ずかしそうにぽつり、ぽつりと白状した。



「……………………は?」



 予想外も予想外。

 誰がそんなことを言われると思うだろうか。彼は驚きで目を白黒させた。



「……」

「ったく、アンタ……ほんっとうに世話がかかるな」

「うぅ、……返す言葉もございません」



 悶絶してうずくまる彼女に眉を吊り上げると深いため息が部屋に響く。


 何度も止めたにもかかわらず、忠告を無視した結果がこれだ。

 帝の落ち度を差し引いてもいくらか、おつりはくる。


 呆れたように腰に手を当てて吐き捨てるそれは、ぐさぐさと心に突き刺さるようだ。しゅん、と縮こまっている。



「にゃ!?」



 身体が浮遊する感覚に、声がひっくり返る。何事だ、と顔から手を離せば、彼に横抱きされていた。


 俗にいうお姫様だっこというやつだ。



「随分とまぁ、色気のねぇ悲鳴だな」



 満月はまた別の意味で顔を赤くさせている。意外に羞恥心を持っていることにじわり、と湧いてくるのか、帝は鼻で笑ってリビングへと向かった。



「……すみませんね。色気がなくてぇぇぇっ!?」



 思っていたとしても、口にしなくていい言葉というモノがある。

 彼の優しさによって運ばれているが、憎まれ口を叩かれるのは不服らしい。


 拗ねたように口を尖らせるが、急に落ちる感覚に声が上擦った。



「は…………あ、……ちょ……」



 優しさを見た、と思えば、ソファの真上から落とす奴がいるだろうか。眉間にシワを寄せて文句を言おうとするが、言葉が出てこない。


 金魚のように口をパクパクさせるだけだ。



「とりあえず、落ち着くまでそうしてろ」



 横抱きして運ぶ優しさがあるなら、最後まで貫けばいいものを雑に仕上げるのが、帝と言う人間らしい。


 ソファに落としたことに対して悪気もない。

 ソファに添えられたクッションを彼女に投げつけた。



「ぶっ……あい」



 満月の顔面にクリーンヒットして、苦しそうだ。

 ボトッ、とクッションが落ちて顕になった顔は赤い。いや、顔ではなく、鼻頭が、だ。

 クッションを抱き締めて、少し赤くなった鼻頭を摩って素直に頷いた。


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