第10話「破魔宅」

 破魔はまの家は最上階。

 八階全てが彼のもの、らしい。


 玄関に入れば、引越ししたてだからか、物は少なく、品の良さが漂う。

 リビングへと続く廊下は大理石で出来ており、天井や壁は真新しい白い壁紙が続いていた。



「…………」



 みかどは表情を変えることなく、リビングへと続く廊下を歩き始め、満月みつきもその後をついていく。

 その姿はまるで、親鳥を追うひよこのようだ。



「中もまた綺麗なこと……」



 リビングと廊下を隔てるドアを開ければ、そこには広い、広い部屋。

 入ってすぐ左側にあるキッチンに目を向ければ、全て最新式のモノが備えられていている。


 視線を戻すと、高そうなソファやテーブル。それらの前の壁にはハイタイプのテレビボードがある。その中に埋め込まれるようにあるテレビは90インチくらいありそうだ。


 ワンフロア全てが家なのだから、広いのは当然といえば、当然なのだが、そんな家に訪れたことがない彼女からすると夢のような場なのだろう。キョロキョロと辺りを見渡し、どこかおばさん臭いセリフがポツリ、と零れる。



「………………」



 呑気で、年寄り臭い言葉にツッコミを入れる気にもならないか。いや、もう仕事のスイッチが入ったのかもしれない。


 彼は真剣な顔でゆっくり部屋を見渡す。リビングと廊下を繋ぐ扉ではないもう一つの扉を見て、一直線に歩き始めた。



「え、ちょ、帝くん……?」

「……」



 別の部屋へと行こうとしていることに慌てて呼ぶが応答はない。

 遠ざかっていく背中は先ほどまでと違う雰囲気を醸し出している。



(そう、だよね……遊びじゃないんだから……)



 はしゃいでしまった自分に恥ずかしさに、スッと背筋を伸ばした。



「…………」



 彼の行く先は問題の部屋。つまり、寝室だ。寝室と言っても、20平米ほどのワンルームと言っていい広さだ。

 扉の先を覗き見ると部屋の中央にドンッとベッドが構えており、窓際には本棚が置かれている。

 入口で立ち止まる帝は、そっと目を閉じた。



(すごい集中力……)



 先ほどの掛け声は、故意に無視したわけではなく、聞こえてなかったのだろう。

 ピリッ、とした空気が肌に刺さる。満月は無意識にゴクリ、息を飲み込んだ。



「…………ここか」

「え?」



 ゆっくり瞼を開け、部屋の隅々まで目を配る姿は慎重と言っていい。窓際にある天井近くまである本棚の側に歩み寄った。

 スッ、としゃがみ込み、フローリングに触れる。


 数分続いた沈黙が唐突に破られ、彼女の口からは間抜けな声が零れ落ちた。



「――だとしても、まだ無理か」

「な、何が分かったの?」



 無機質な冷たい板から手を離して、カクリ、と頭を垂れる。


 できることなら、さっさと終わらせたい、という願望が叶わないからこそ、ショックは大きい。いや、面倒くさいというのが、本音だろう。


 深いため息を付いてわしゃわしゃ、と頭をかく。

 そろり、と様子を伺いながら、近寄ってくる満月の気配を感じた。



「破魔先輩が言ってた場所はここってことは……まあ、時間じゃないから姿はないけどな」

「ってことは、夜中まで待つのね」

「……」



 膝に肘を乗せて、手のひらに顎を乗せて気だるそうに答えると、彼女は顎に人差し指を添えて、考え込んだ。


 この状況を面白がっている素振りはないが、冷静に分析しているのは帝としては面白くはない。


 怖がれ、という意味ではない。いや、怖がってここから逃げてくれるなら、万々歳だろう。

 しかし、実際に遭遇して恐怖でパニックでも起こされたら、たまったもんじゃない。


 面倒ごとが何倍にもなるのだから。



「ん? 帝くん?」

「……アンタはもう帰れ」

「まだ言うの?」



 ジーッ、という視線が顔に刺さる。

 チラっとそちらへ顔を向ければ、不満そうな赤みかかった暗い黒茶色の目と交わった。


 ここに来るまでの間に何度も警告はしていたが、更にトーンが低い。けれど、満月はそれにパチパチと瞬きさせた。

 もう忠告するのも飽きたころだと思っていたのかもしれない。


 驚きで零れ落ちる本音に、彼は眉をピクリと動かした。



「……一応、アンタのためを思って言ってる」

「もしかして……狼系?」

「女に飢えてない」



 ムスッ、といかにも機嫌悪そうに言うそれに、先ほどと違う意図を込めた忠告だと分かったらしい。でも、意外すぎた。

 そんなことを気にする珠に見えない。


 ゆっくり上げられる人差し指は帝を指している。真剣な顔をして問いかければ、鋭い刃物のごとく否定された。



「だよね、帝くんと一線を越える気がしないもの」

「……」



 ほっと胸を撫で下すと肩をすくめて、満月は無邪気に笑う。

 無防備と言えばいいのか、男として見られていないことに呆れればいいのか。別に後者はどうでもいいのだろうが、如何せん、調子が狂う。

 帝はなんとも複雑そうな顔をしている。




「乗りかかった船だよ! 最後まで乗らせてね」

「…………無理やり乗った船、の間違いだろ」



 やる気満々、元気いっぱいの彼女は翡翠色の目をキラキラと輝かせている。


 乗りかかった船、というが、間違った使い方な気がしたのだろう。

 彼は顔を手で覆い、嘆くように、厭味ったらしく返した。

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