第10話「関係性」

 今にも降り出しそうなどんよりした空模様は、風に流された。天が泣くことはないが、厚く暗い空を泳ぐ雲はどこか重たい。

 そんな雲の隙間からは、昼と夜を移り変わる朱のような、橙のような色が垣間見れた。



「……ねぇ、みかどくん」

「何」

破魔はま先輩は?」



 住宅街を歩く中、満月みつきは眉を下げて、少し前を歩く彼を呼んだ。当の本人は振り返ることもなく、淡々としている。


 ぶっきらぼうで、抑揚のないそれに苦笑しつつ、ふと、湧いてきた疑問を投げかける。そう、ここには依頼をした人物の姿がない。

 これから破魔の家にお邪魔するというのに、だ。



「話聞いてなかったのか? 怖いからしばらく実家に帰るって言ってただろ」

「そうだけど……本当に勝手に入っていいの?」

「あの人の場合、これが通常だ。鍵だって預かってる」



 なんだそんなことか、と目を細めて重い息を吐き出す。それがイマイチ納得できなかった満月は、念を押した。


 家に寄ることもなく、依頼案件を任せて実家に帰ってしまうなんて、誰が思うだろうか。これから訪れるお宅の家主がこの場にいなければ、訪れるお宅の中にいる訳でもない。

 そんな状態でカギを預けられても、勝手に入るのはなかなか勇気のいることだろう。普通ならば。


 帝はそんな彼女の不安を他所にハッキリ、キッパリと切り捨て、預かったカードキーを目の前に出した。



「……あの、もしかしてだけど……破魔先輩が帝くんにこういうことを頼むのって1回や2回じゃない?」

「よく分かったな」



 満月は見せられた鍵を目にして、首を傾げる。その問いは予想外だったようだ。眠そうにしていた半目がかすかに、見開かれた。



「先輩の帝くんへの信頼がすごくてね……」



 オカルト研究サークルでのやり取りを見る限り、圧倒的な信頼をしているのは明らかだ。

 やっぱり、と心の中で呟いて、力なく微笑む。



「あの人……自分でも言ってたけど、霊媒体質だからな」

「……破魔って、縁起良さそうな名前なのにね」



 彼はカードキーをズボンの後ろのポケットにしまって、呆れたような、何処か迷惑そうな表情をして噂の人を頭に思い浮かべる。その言葉がもう、全ての答えなのだろう。

 物珍しそうに、彼女はボソッ、と呟く。


 破魔は、悪魔を打ち払う。煩悩を打ち払う、という意味を持つ言葉だ。正月の縁起物や寝具として神社・寺院で授与される。破魔矢がいい例かもしれない。



「そういったものを弾き飛ばしそうな苗字なのに効果がないって本人が言ってたな」

「……泣くほど嫌いなのに可哀想」



 帝もその意見には激しく同意している。それは当の本人も、だったらしい。

 彼が以前、破魔に泣きつかれた時のことを思い出したのか、げんなりした顔をして、身体に溜まった二酸化炭素を吐き出した。


 疲れ果てたような様子から、納得がいったのだろう。憐れむ彼女の脳裏に浮かぶ破魔の顔はうるうる、と涙を浮かべていた。



「――で、アンタはどこまで付いてくるつもりなんだ?」

「ん? 入部したし、見学してくつもりだよ」



 隣をチラッ、と横目で見る。平然と共に同じ道を行く満月に怪訝そうな色を見せているが、彼女は気にしていない。当たり前のようにヘラッ、と笑う姿に帝は顔を強張らせた。


 認めた覚えはねぇよ、と。



「……泣いても知らないからな」

「そう言われても、初めて視たのは帝くんを見かけた時だから……今回も視れるか分からないよ」

「…………はあ」



 止めたって聞かない。それが出会って肌で感じた天堂満月てんどうみつきという女だ。


 勝手にしろ、と突き放せばいいものを彼はそんなことをせずに忠告だけする。だが、それを理解しているのか、否か。彼女は幽霊に対する恐怖心がまるでないからなのか、能天気だ。


 今まで関わってきた人間とは全く違う人種に、頭が重い。帝は深いため息をつく。



「帰そうとはしないのね」

「アンタに何言っても無駄だって知ったからな」

「……トゲがあるなぁ」



 やめろ、付いてくるな、と言われることを覚悟していたのに、そういった言葉も態度もない。

 それに拍子抜けして、不思議そうに覗き込んでみれば、彼は目を閉じて深く呼吸していた。

 諦めと不満がおもむろに声音に出ていて、満月は眉を八の字にして笑う。



「……出てくるのは夜中だぞ」

「そう言ってたね」

「……親御さんは心配しないのか」



 最後の抵抗なのか、ぽつりと小さな声で零した。そう、破魔の話では幽霊が出るのは夜中だ。

 そんな時間まで年頃の女の子が出歩いていていいものか、と気にしてはいるらしい。しかし、彼女はコクリとあっさり頷くだけ。


 それもそれがどうした、と言わんばかりだ。


 帝の意図を分かっていない、と表情から読み取れたのだろう。片眉をピクッ、と動かすが、感情を抑え込むように身体の奥へと流し込んで、投げかける。



「大丈夫。二人とも他界してるから」

「…………悪い」



 満月は、ああ、と納得した顔をすると、ことなさげに言った。

 両親を亡くした。それをなんでもないことのように笑う姿に、驚かずにはいられない。


 人の柔らかい部分に土足で踏み込んでしまった気分になったのか、彼は暗い表情を落とした。



「ううん、大丈夫だから気にしないで。聞いたってことは……やっぱり、いないのね」

「……ああ」



 微笑んで許すけれど、その笑みはどこか寂しさを感じさせる。



 ――もしかしたら、少し期待していたのかもしれない。


 もう、この世にいない両親が傍にいてくれているかもしれない、という淡い子供心に。



 それが伝わってくるからこそ、帝は罪悪感を覚えたようだ。短く返されるそれはどこかぎこちない。



「いないってことは成仏してるってことでしょう? それなら、いいの。ほら、行こう」

「ああ」



 ぐいっ、と俯きかけていた顔を上に向けると、視線の先には雲から顔を出す雀色の空。ゆらゆら、と揺れる瞳は三日月のように細められた。


 先ほどの寂しい色はどこにもない。笑みを彼へ向けると腕を組んで引っ張る。


 ただ、それに流されるまま帝もまた足を進めた。


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