第8話「泣く女」
「落ち着いたか」
「うぅ……そんな刺々しく言わないでよぉ」
「で?」
ドカッ、と窓際のソファに座る
その声音は刺々しく、痛い。
威圧的なそれに、眉を下げて身を縮こまらせる
むしろ、催促するように鋭い目を向けた。
「ぐずっ……ふ、うう……」
縋る思いでこの場に訪れた、というのに全く歓迎されていない。
その事実に少なからず、心にダメージを受けたらしい。帝の対面に座る彼は膝の上にある手をギュッと握っていた。
「……」
当たり前だ。
この部室には、たった三人しかいないのだから。
パチパチ、と何度も瞬きするとそっと目を閉じた。かすかに首を横に振ると、横目で今度は隣を盗み見る。
(帝くん……すごいなぁ)
破魔が怯えているのは分かりきっている。態度もそうだが、表情から簡単に読み取れてしまう。
だからこそ、彼女は眉を八の字にさせて、心の中で賞賛を送った。
人が泣いていようが、怒っていようが、帝が動じることはない、そう思えばこそなのだろう。
それは満月にとって、羨ましくあり、素直に尊敬できるのかもしれない。
「……一昨日、引越したんだ」
「それはおめでとうございます」
差し出されたティッシュ箱を手に取り、2、3枚引っ張り出す。鼻にそれを当てて、ズビビーッ、と勢いよく吹き出すと、少し落ち着きを取り戻したらしい。ポツリ、と零す。
それもまだ序盤も序盤。だというのに、帝は常識の範囲として、祝っているが、めでたい、と思っていないことは明らかだ。
声音から分かるほど、棒読みだ。
「あはは、ありがとう……それで課題を夜遅くまでやっててやっと終わったから眠ろうと寝室に行ってベッドに入ったら……女の人の声が聞こえたんだ」
「…………」
彼らしいお世辞に苦笑しつつも、お礼を言えるあたり、破魔は器が大きいらしい。しかし、すぐさま暗い表情を落として話を戻した。
彼の口から出てくるそれは、間違いなく満月が雨の日に見たあれと同類のモノ。
彼女はただ静かに目を見開いた。
「…………」
「……」
「……かえして、って」
「何を?」
開けた口を閉じて、チラッと前を見る。彼の視線の先にいるのは帝だ。ためらっている破魔に問答無用、とばかりに目が訴える。
早く言え、と。
急かされて、2度、3度と口を開閉させてると、小さい声で呟いた。
帝はピクリ、と片眉を動かして目を細めると、つかさず、問いかける。
「分からない……でも、気が狂ったように『かえして、かえして』って泣きながら発狂してるんだ」
破魔はフルフル、と首を横に振り、瞳をうるうるさせた。
「それって、だいたい何時?」
「えっと……夜中の二時過ぎだったかな……」
興味なさそう表情は変わらないが、気になる点があるようだ。淡々と情報を聞き出す帝に彼は、猫背になっていた姿勢を正し、視線を上へと向ける。
夜中であったことは覚えているが、恐怖で正確な時間はちゃんと覚えていないのだろう。曖昧だ。
「……あの、質問いいですか?」
「んぇ…な、何かな……
「それってつまり、幽霊……ってことですか?」
ずっと、口を挟まずに耳を傾けていた満月は、おずおずと、手を上げれば、二人の視線がそれに集中する。
まさか、彼女が会話に加わるとは思っていなかったらしい。破魔は少し緊張気味に、声を裏返る。
バクバク、とする自身の脈の音が耳元で聞こえてる錯覚を覚え、ごくり、と喉を上下させた。
彼の緊張が移ったのか、否か。それは分からないが、満月も顔を強張らせている。慎重に、的確に実態を知るために、傾聴した。
「そう……なるね…………僕、霊媒体質で……」
「俺にとっていいカモ――……じゃなくて上客だ」
破魔は少し血色がよくなったはずなのに、それを聞いた瞬間、また血の気が引く。瞳を酷く揺らして、両手で顔を覆い隠した。
それ以上言葉にならない、ということは相当重症、ということなのだろう。
マグカップに入ったコーヒーで喉を潤しながら、さらり、とチョロい獲物と言いかけた言葉は、良くないと気が付いたらしい。
言葉を飲み込んで、別のニュアンスを選ぶ。
(今、カモって言った……! この人!!)
あそこまでハッキリ言いかけておいて、今更感が漂う。耳が捉えたそれに彼女は目を見張り、ガバッと横を向いた。
「まあ、とりあえず……現場に行って見るか」
「ありがとう! あ、お礼はいつものでいいかな」
「ああ、それで頼みます」
一つ、咳払いするとマグカップを持ったまま、立ち上がる。ワシャワシャ、と乱雑に頭をかきながら、キッチンへと足を運んだ。
遠ざかる背から聞こえたそれに、破魔は目を輝かせて、パアッ、と明るい表情を浮かべる。ふ、と何かを思い出したらしく、小首をひねった。
シンクにマグカップを置き、マグカップが水で溢れて氾濫すれば、蛇口をひねる。振り返る彼はニヤリ、と口角を上げた。どうやら、交渉は成立らしい。
(いつもの……お礼?)
依頼が通ったことで、後ろにパアッ、と花を背負ってる破魔を眺めるが、二人にしか分からない会話だ。
頭の上にクエスチョンマークを浮かべて、満月はただ不思議そうにしている。
「
「まあ、先輩は弾んでくれるんで」
目頭を熱くさせ、じわりと涙を浮かべる破魔は、彼の手をギュッと握る。大げさなほどに、感謝され、帝の顔は若干強張っている。
彼の口から出る本音に、人としてどうなんだろうか、と感じる。
帝に対して不信感を抱いてもおかしくはないのだが、今の破魔にとってそれは些細な事だ。
「本当にありがとう! 僕、もう怖くて近寄りたくもないから勝手に入って! 冷蔵庫に入っているのもお風呂も好きに使ってね!!」
「……どーも」
人道的に思えないそれに感謝しか出てこないのは、相当参っている証拠とも言える。破魔はズボンのポケットからカードキーを取り出して手渡すと、とんでもないことを言う始末だ。
勝手に家に上がり、我が物顔で家を好きに使っていいから、何とかして欲しい、と言っているようなものなのだから。
待遇の良い依頼に戸惑っているのか、否か。その答えは表情に現れている。いちいち突っ込むのも面倒なのか、目を細めて素直に受け取っていた。
「カ、カードキー……」
大学生がカードキー対応の家に住んでいる。その事実が、もうすでに驚きでしかない。
満月はぽつりと、呟いて引き攣っている頬にそっと触れた。
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