第6話「秘密」
「しつこく付きまとった目的だよ」
「……目の色が変わった理由が知りたい、と思ったの」
「名前のことといい、俺の噂を知らないな?」
モクモクと出る湯気。それにふぅ、と息を吹きかけてコーヒーを啜った。直球的に答える混じりけのない翡翠色の瞳はまっすぐ、
「
「帝くんって、そんなに有名だったの?」
「……まあ、いい……それで、目の色が変わる理由だったか?」
「え、あ、うん。そうそう」
教える気がない彼に、もどかしさを覚えつつも、投げられた疑問にキョトン、とする。意味が分かっていないのか、こてん、と首を倒した。これは裏表なく、全く知らない人間の返し、と言っていいだろう。
大学二年生になる、というのに、噂を知らないという事実に頭が痛くなったのかもしれない。帝はマグカップをテーブルに置いて、頭を抱えて息を零す。思い出したように、目的を確認するように聞き返した。
ずっと先延ばしにされていたそれに意識が向けられて、嬉しかったらしい。
「…………」
「……綺麗だね」
首にかけていた紐をVネックシャツの中から取り出して、テーブルに置いた。紐に通されているのは、十円玉くらいの大きさの曲がった玉、だ。
服の中に入っていたからこそ、その存在に気づけなかったが、それは、あの雨の日に見たのと同じ、深みのある紅色だった。
目を大きく見開いて、じっと覗き込む。光の屈折のせいか、妙に紅く光っているようにも見えた。
どうしてこんなにも輝いているのだろう、と浮かぶ疑問を頭の隅に抱えながらも、満月は胸から沸く言葉を口にしていた。
「アンタが俺の目と勘違いしたもの」
「……」
「…………」
目を細めて、ただ一言を告げるそれに納得したか、否か。彼女はゆっくり顔を上げて、ポカンとする。
帝もまた己からアクションを起こそうとはしない。表情を崩すことなく、じっと待っていた。
「…………私の視力……聞いてた?」
「両目が良かろうと見間違いなんてごまんとあるだろ」
まじまじ見つめる満月は投げかけられた言葉を反芻させる。聞き間違いじゃなかろうか、と耳を疑いつつ、静かに、ぽつりぽつりと紡いだ。
けれど、それが絶対間違いではない、とは限らない、と切り捨てる彼に、ストン、と何かが落ちる。
「――帝くんは、……怒ってここから出ていってほしいんだね」
「どうして?」
深く息を吐き出して、ソファの背もたれに寄りかかった。ふんわりとやわらかいクッション素材のそれは身体を労わるように沈み込む。彼女はどこか悲しそうな、残念そうな顔をして零した。しかし、肯定する返事はない。
帝は何とも読めない表情を浮かべて、とぼけてみせた。
「そう仕向けてるでしょ」
「……よく分かったな。全くその通りだ」
分かりやすい、あからさまな拒絶を受けたのに、満月の口角は上がっている。何も面白いことはないが、その表情が功を奏したらしい。
オカルト研究サークルの部室に来る前、彼女と出会った時の対応は効果がなかった。だから、品を変えたつもりだったのだろう。それも見抜かれていたようで、彼はクシャクシャ、と乱暴に髪をかき、すぐに気だるそうな目を向ける。
「そういうの、私には一切通用しないよ」
「……普通はここで興ざめするもんだけどな」
クスッ、と笑って肩をすくめる満月に眉をひそめた。噂で聞く彼女と目の前にいる彼女は全く違う人物に見えて、どう扱っていいのか、分からないのかもしれない。額に手を添えて、嘆いく彼は疲れ切っている。
「私の疑問がすっきりしない限りは無理だねぇ」
「――……霊が視えるからだ」
「へぇ……」
少し冷めたコーヒーを啜って、呑気に淡々と告げるのだ。天堂満月、という女は。
一度、興味を持ったものにたいして、想像以上にしつこい。それが現段階で言える帝の知る彼女の本性だ。
諦めたように頭を下げて、ボソッ、と低く呟く彼の耳に届いたのは、感心した声だった。
「……納得したなら、かえ――」
「ここにもいるの? 幽霊さん……」
「…………」
たった一言で伝わるそれに、肩の力が抜けたらしい。これでもう、彼女がこの場に留まる理由はない。退いてもらおうするが、それはまた満月の疑問によって遮られ、一瞬、息が止まった。
ゆっくり、視線を上げれば、真剣な翡翠の瞳と交差する。別に茶化したわけではない。それがわかるからこそ、余計に困惑した。
知ってもなお、踏み込もうとしていることに理解ができないのが半分。やっと一人になれると思っていたのに、なかなか解放されないことへの落胆が、半分、だ。
「どうなの?」
「……アンタは怖くないのか」
彼がどう思っているのか、分かっているのか、否か。それは読めない。それでも、満月は問いかけた。
思っていた問答にならない。いや、思っていた通りの会話にならないことに、疲れが出てきたのだろう。帝はソファに寝転がると、どうでもよさそうに聞き返した。
「視える人はいると思うよ」
「……まさかの肯定派」
彼女は目をぱちくりさせて、サラっと答えると、またコーヒーで喉を潤す。どうあがいても、斜め上の答えしか返ってこないことに、帝は顔色を悪くさせた。全身の力が抜け落ち、ソファの淵から腕がだらん、と落ちる。
「
「…………はっ、笑えねー」
少し前に聞き覚えた音だったから咄嗟に出てきたのか、出来心だったのか。恐らく、後者だろう。なるほど、と楽しそうに笑いかけた。
でも、帝はそれどころじゃないらしい。寒々しい逆に笑う気にもならなかった。
「あら、残念……で、どうなの?」
「――いない。ったく、なんでいちいち知りたがるんだよ」
笑ってくれる、と心のどこかで思っていたのに、笑ってもらえなかった。それが思いの外、ショックだったのかもしれない。ふぅ、と息を吐き出すと、彼女は、ズレていた話題を戻す。
出会い頭に無視をし、怯えさせようとし、ムカつかせようとし、怒らせてこの場から出ていかせようともした。それだけのことを仕掛けたにも関わらず、怯むこともなく、怖がることもない。
なんなら、後を追いかけて、自分の疑問を解消しようとすることが不思議で仕方ないようだ。彼はくたびれたまま、零す。
「…………」
それは予想外の反応だったのか、呆気にとられた。でも、満月の脳裏にはあの日の光景が浮かんでいた。
ザアザア、と雨が降る中、天を仰いで、空を見上げる綺麗な深紅の瞳を。
「ん~……そうだな……、帝くんみたいなタイプを初めて見たから、かな」
目を閉じて、ふっ、と柔らかく微笑む。頭に過った
それでも、本音を言葉にしているのだろう。その笑みに嫌味がないのだから。
「アンタ、変わってるって言われるだろ」
「……ふふっ、面と向かって言われたのは初めてかな」
ずっと気だるそうにしていた、彼の目は真ん丸になった。しかし、それもほんの、一瞬。すぐさま先ほどと同じ感情を取り戻した目が彼女を射貫く。
帝に指摘されたことは、どこかの誰かに無遠慮に言われてきたものと
「俺はアンタが噂と違いすぎて疲れた」
「…………それを本人に言える帝くんってすごいよね」
上体を起こして、テーブルに置いたマグカップに手を伸ばす帝は、ソファに寄りかかって、さらりと毒を吐く。毒と言っても、軽度なものだから、まだ可愛いものだ。
けれど、思っていたとしても、直接、本人に言う人間なんて、どれだけいるだろうか。なかなかいる者ではないだろう。
それは満月がよく理解している。だからこそ、しみじみと、感心したように、賞賛の言葉を送った。
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