第5話「旧校舎」


「ねぇ、みかどくん……どこに向かってるの?」



 あれから、隣を歩いてみるものの、十分は経っている。周りを見渡しても木々に囲まれていて、人気は全くなくいまだ目的に辿り着かない。

 満月みつきは空恐ろしくなって、チラリ、と見上げた。



「……そのうち分かる」

「…………」



 どこまでも涼しい表情をして、彼は簡素にいうだけ。

 答えを先延ばしにされれば、誰だって不服に思うものだ。だが、それ以上、聞いたところで代わり映えしないものしか返ってこない気がしたらしい。


 彼女はあっさり諦めて足の進む先へと顔を戻す。すると、木々に隠されたように建物がそこに、あった。



「もしかしてここ……旧校舎?」



 普段、大学関係者が使う建物から随分離れており、真裏に位置するここは、元々、このキャンパスの中で、一番多くの講義室がある南館だった。この大学の理事長が十年前に変わり、新しく建て直した為、使われなくなった場所、だ。


 建物上、欠陥があったわけでも、築年数が古くなったわけでもない。まだ使える建物だというのに、旧校舎になった理由は、北、東、西に位置するどの校門からも遠い、ただそれだけ。たった一人の発した言葉で使われなくなった、ということだ。

 この大学は無駄に敷地が広いため、最寄駅から近い東門寄りに南館の代わりが新しく建って、ありがたいと思ってる生徒がほとんどのようだが。


 訪れたことがなかったのか、目をパチパチ、瞬きして、上から下までよく観察するように見ると、ポツリ、と零す。人気のないその建物は静かで、不気味さが漂っている。それ故、無意識に唇をきゅっと結んだ。



「怖気づいたか?」

「……大丈夫」

「あっそ。そりゃ、残念」



 大人しくしている姿に彼は目を細めて、薄く笑う。まるで、それが目的だったかのように。

 挑発的にも見える笑みに彼女は眉根を寄せて、強がってみせた。

 それは功を奏したらしい。実に面白くなさそうに、気だるそうな顔をして、彼は旧校舎の中へと入って行く。



(~~~……帝くんって、つかめない、けど、意地悪だ)



 とにかく諦めさせよう、という魂胆が見て取れる。小馬鹿にしてる態度に、ムッ、と頬を膨らませると、満月は意地の悪い背中を睨みつけた。



「ねぇねぇ……勝手に入っていいの?」

「勝手じゃない」

「え? ……!」



 大学の敷地内だとしても、誰もいない建物に入っていいのか、疑問を覚える。トテテ、と隣に並んで、首を傾げるが、あっさり返ってくるそれに、彼女は一瞬、足を止めた。けれど、迷いのない足取りでどこかへ向かう帝は追い付くのを待つ様子はない。

 置いていかれないように、と、背を追った。



「…………」

「いたっ、……?」



 止まることを知らなかった彼の足が、ふいに止まる。スタスタと歩く速度はそれなりに早かった足が、突然、急停止するなんて、誰が思うだろうか。


 必死について行っていた足が簡単に止まることもなく、前を歩く硬い背中に顔をぶつけた。衝撃に目を瞑り、少し赤くなった鼻頭を手で摩りながらも、そろり、と瞼を上げる。

 彼はぶつかったにしても、嫌そうな顔をしない、というよりも、振り返ることもなかった。



「…………オカ、ルト……研究サークル?」



 立ち止まった先はぱっと見、元講義室か、元教室だろう、ということだけしか分からない。

 一体、何のためにここにきたのだろう、と肩越しに覗き込めば、扉に書かれた文字が目に入った。



「表向きだけどな」



 帝はさらりと引っかかることを言うと無遠慮に扉を開けて、我が物顔で中へと入って行く。パチッ、と部屋の壁にあるスイッチを押せば、天井にある電球たちは煌々と明るく照らした。先ほどの、薄暗さがまるで嘘のようだ。

 彼は慣れた手つきで電気ポットに水を入れ、電源を入れる。



「……随分、設備が整ってらっしゃって」



 部室らしき中は、旧校舎の見た目と反して説部が充実している。エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、簡易キッチンが常備されており、それなりに綺麗な二人がけのソファが机を挟んで対面に置かれていた。


 外観と部室に辿り着くまでの廊下。十年使われていなかったからか、古びているように見えるが、この室内はつい最近リフォームでもしたのか、と思えるほど、清潔さを保っていた。


 外観と内観のギャップに拍子抜けしたのか、満月は呆然と、呟く。



「ここまでにするのは骨がいった」

「……このサークルを作ったのって、帝くんなの?」



 嫌味にも聞こえるそれに、彼は大きく頷けば、ポットの中に入ってる水が躍り始めた。ブクブク、とお湯が沸く音が部屋に響き、水蒸気はモクモクと上がる。


 キョロキョロと辺りを見渡しても、満月と帝以外は誰もいない。知り合って数分の仲ではあるが、彼が誰かと一緒にいるタイプでもない、と分かる。それなのに、骨がいった、というのはもう、答えだ。

 でも、わざわざ面倒なことをする人には見えなかったのかもしれない。彼女は困惑した様子で問いかけた。



「ああ、幽霊部員を募るのが大変だった」

「……ゆ、幽霊部員……ね、ねえ、部員は……もしかして、……もしかしなくても、帝くん、だけ?」

「俺だけだけど」



 キッチンのシンクに寄りかかって腕を組むと、何に対して苦労したのか、語った。

 まず、部員を募るのではなく、最初から幽霊部員を募ろうとする辺りが、変わっている、としか言えない。にわかに信じがたい話に、導き出されるのはただ一つ。満月は眉根を寄せて、確認の意を込めて聞き返した。


 嘘であってほしい、ほんの少しの期待を胸に言葉を待ったが、一点の曇りもない顔で言われたのは、悲しい現実だ。



「……ここで一人、何してるの?」



 本人から教えられても、理解できないのだろう。彼女は頬を引き攣りながら、更に浮かぶ疑問を投げる。



「寝る」

「……そのため、だけの部室じゃないよね?」

「そのためだけの部屋だけど」



 キリッ、とした顔で返ってくるのは、ただ一言。まさか睡眠を取るためだけにサークルを立ち上げた、だなんて思いもしない。いや、その発想を持ったとしても、実際に着手する人間が言うなんて思うはずもない。


 ズバズバ、と断言される中、満月は頬をヒクヒクさせたまま、質問を重ねると、タイミング良く電気ポットの電源が落ちた。

 整った顔が面白ぐらいにどんどん崩れていることに、彼は内心、感心する。

 美女でも、そんな不細工な顔になるのか、と。


 自分がそうさせてると自覚することなく、ポットを手に持ち、マグカップ二つにお湯を注ぎながら、当たり前のように答えた。



(この人……部屋って言った!?)



 部室、ではなく、部屋。確実に、ハッキリとそう言い切った。

 彼女は目を真ん丸にさせてる。明らかに私物化しているのだから、無理もない話だ。けれど、オカルト研究サークルと言えども、ほぼ幽霊部員ばかり。

 実質、部室に現れるのは帝、ただ一人。彼の部屋と言っても過言ではないのだ。



「…………不正してないよね」

「するわけないだろ」



 幽霊部員を募ったとしても、そんな簡単にサークルなんて出来るものなのだろうか、と頭をよぎる。目の前にいる男はとんでもないことをサラッ、とさも当然のようにいう奴だ。


 満月の想像をいとも簡単に飛び越えていくからこそ、疑心の目を向けて、確認した。けれど、それは心外な問いかけだったらしい。帝は眉間にシワを寄せて、マグカップの中をマドラーでグルグルとかき混ぜた。



「どうやって幽霊部員を募ったの?」

「恩を返してもらっただけだ」

「うわぁ……」



 不正していない、となると、どんな手段を使ったのかが、気になるのが人間、というものだ。相手の様子を伺いながら、まじまじと聞く。満月のその顔が良からぬことを考えているような気がしたのかもしれない。帝はコーヒーの入ったマグカップを怪訝そうに渡した。


 恩を売り、その見返りに幽霊部員になってもらっている。それは不正と言っていいものか、否か。なんともグレーゾーンを歩いているようにしか見えないらしい。彼女は受け取ったマグカップに視線を落としながら、軽く抱いた嫌悪感をそのまま口に出していた。



「で、お前の目的は何なんだよ」

「え?」



 どう思われようが、さほど気にならないのだろう。彼は奥のソファにドサッ、と座ってコーヒーに口を付ける。芳醇な香り、ほどよい苦みと酸味を味わい、ゴクリ、と喉を鳴らして問いかける。今度は帝の番のようだ。


 話の矛先が返られたことが、意外だったのか、彼女は視線を上げる。キョトン、としたまま、気だるそうな瞳を見つめた。



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