第2話「遭遇」
「――――」
お昼時が終わっても、ガヤガヤとする食堂。次の授業を待つ学生たちがちらほらといるために賑やかだ。
一人の女子大生は人が少ない窓際を好んでいるのか、迷いのない足取りだ。椅子に腰をかけるとハーフアップしている髪がサラリ、と肩をなでる。
サアッと風が吹いて木々がなびく音に、顔を上げると、不機嫌な表情が広がっていた。
青空は厚い雲に隠され、姿を見せることはない。今にも泣き出しそうだ。
「……ふぅ」
心を映しているような空模様に、ゆっくり、重い息を吐き出す。
外が薄暗くても、室内は煌々と明かりがついている。薄くやわらかい茶色の髪は光が反射してキラキラと輝いて、一瞬、金の色にも見えた。
「あ、
「降りそうだから、ため息ついてんのかな」
「雨は憂鬱になるからなー」
「もしかして、傘がないとか?」
彼女を遠くから眺めている男子大生は頬を赤く染めて、うっとりしている。
彼をしり目に友人たちは、彼女が哀愁を漂わせてる理由を考えるが、予測の域を出ない。
いや、そもそも真剣に考えてもいない。当てずっぽうだ。
「傘ないんだったら、誘ってみっかな~」
「バカ、やめとけって」
「そうそう、玉砕するだけだって」
「それなぁ」
「てめぇら……」
お調子者の男子大生はそれを真に受けて、下心を隠すことなく、緩み切った顔で、ポロッと零す。けれど、呆れ返った友人たちに止められた。
見込みがない、とばかりの言い草が、腑に落ちなかったようだ。鋭い眼光で睨みつけて、唸る。まるで、地を這うような声だ。
話題の中心人物はこの私立
物腰柔らかい態度や控えめな性格ゆえに、男子たちの心を射止めている、らしい。
(どうしよう……大学入ったら、友達出来ると思ったのに……、いまだに出来ないなんて!)
何をそんなに真剣に憂いているのか、それは簡単にいうと友人がいない、ということ。
他人から見れば、どうでもいいことかもしれないが、彼女にとっては深刻な悩みだ。
(友達は欲しい、欲しいのよ……でも、八方美人って言われてるのも知ってるから……)
深く息を吐き出して、自然と体の力が抜ける。それに合わせるように手の甲に額を乗せた。
グルグル、グルグルと、思考を巡らせるけれど、今一歩勇気が出ない、ということなのだろう。机を見つめる目はしんみりしている。
(あと、よくわかんないけど、視線も痛い……)
どこからか、刺さるような視線が送られる。
動物園にいる動物のように、ただ遠くから見られているのを感じるからこそ、身体が強張るのを覚えて、居たたまれない。
(――うん、逃げよ)
変わることなく、突き刺さるそれが緩和されることを諦めたらしい。
そうと決まれば、動くのは早い。机に出していたものを片付けて、カバンを肩にかけた。ガタッ、と立ち上がってそそくさと歩き出す。
――……満月ちゃんって、いっつも変なこと言ってるし、人の意見ばっかだよね。
幼い頃、クラスメイトに散々言われたことをふと、思い出した。一人が言い出すと次から次へと出てくる言葉たちを。
どんな容姿をしていて、どんな子だったか、なんてほとんど覚えてない。ただ、怪しく笑う口元が妙に鮮明で、恐ろしく脳裏に焼き付いていた。
(
そんなトラウマを拒絶したくて、虚像を振り払うように目を閉じて、ブンブン、と首を振る。けれど、心はうん、とも、すん、とも納得していない。
神経が逆なでられている気分で、自然と表情が険しくなる。
(もう、いっそのこと誰かに八つ当たりしたい……なーんて、できっこないけど――っ!)
感情と理性がせめぎ合ってるせいで、ぐちゃぐちゃなのかもしれない。腹の中に溜まっている毒だけでも吐き出せれば、楽になれるだろうに、今はそれができる環境じゃない。
ふつふつと湧いて出てくる怒りを内になんとか内に収めようと、心の中でぼやいた。
それが
目を閉じているのだから、当然、目の前から歩いてきた人物とぶつかった。
「ったぁ……」
目を閉じていた分、衝撃を強く感じたおかげで、先ほどよりも眉間のシワが深くなる。加えて、皮膚から骨へ響くような痛覚にじわりと目頭が熱くなった。
額に手を添えつつも、うっすら開く視界に飛び込んできたのは、ネイビーのVネックと黒のジャケット。女性にしては線が太く、男性にしてはやや細いくらいの体型だ。
「ご、ごめんなさ――……」
サアッ、と血の気が下がる感覚に慌てて顔を上げるけれども、途中で言葉を失う。
見下ろしている男性が、曰くつきの公園で見た人にそっくりだった。
「……」
何も言わなくなってしまった彼女に、鋭い眼光で向けるが、何かを言うことはない。
ただ落とした本を拾い上げ、ほこりを払い落とすとそのまま、立ち去った。
(この間の人、だ……多分…………でも、目の色が違、う……?)
ハッ、と我に返っても、去っていく背中を見守ることしかできない。絶対にあの人だ、と直感がそう言ってるのに、ひとつの違和感を覚えた。
雨の日に見た彼の瞳は、遠くから見てもはっきりと分かる深みのある真紅。でも、さきほど、近くで見たのは赤みがかった暗い黒茶色だ。
(……なんで、だろう)
考えてみるものの解決の糸口は見つからず、頭が混乱するばかりだ。
「……あっ、…………あれ?」
眉根を寄せて深慮しているとカバンの紐が緩み、バサッ、と落ちる。見事に散らばったそれを拾い集めていると、あることに気が付いた。
もう一度、先ほどの男性を探すように顔を上げるが彼の姿はもうない。ゆるりと口元へと添える手を添えた。
「私、……なくなった、の?」
ポツリと呟くそれは震えている。嬉しさからなのか、それともまたショックからか、どちらとも読めない表情で、キョロキョロとあたりを見渡した。
「え~、それ本当?」
「それが本当なんだって! 嘘みたいだよね!」
野放しされた髪がふわりと、なびいて満月を横切る。惹かれるように目を向ければ、通り過ぎる女の子は、はにかんで首を傾げていた。その隣にいるおちゃめそうな女の子は身を乗り出している。
話の前後を知らなくても、楽しそうにしていることだけ見て取れる。
(やっぱり……、なくなって、ない)
二人の女子大生をジッ、と見つめてみると分かる。いつも通りだ。それに安堵したような、少し残念なような、複雑な心境なのかもしれない。
胸元で手をキュッ、と握りしめる。
「――……初めて、みた」
去っていった青年が歩いていた廊下をぼーっと見つめて、考えを巡らせた。けれど、頭の引き出しをいくら開けてみても、見当たらない。
そんな存在に、出会ってしまった。
その事実に胸が膨らんで、無意識に零れ落ちた。
(よく考えたら、あの日もみえなかった気がする)
数日前に見かけた公園で、ずぶ濡れになっている彼を思い出す。
空の涙をその身に受けながら、天を仰いだ時に見た紅の瞳に気を取られて、それどころじゃなかったらしい。
(どうして気が付かなかったかなぁ)
普段なら、すぐに気付けたはずなのに見落としてしまったことが、うら悲しいのか、呆れて深いため息を吐き出し、肩を落とす。
(……どんな、人なんだろう)
――もし、いまだに出会ったことのない人間に遭遇したら、人はどうするのだろうか?
怖気づいて関わるのを止めるか、興味を持って関わろう、とするかもしれない。大体の人は勇気が持てずに前者を選ぶだろう。
(……決めた!)
寸分の迷いなく選び取ったのは、後者だ。今までにない好奇心にくすぐられ、居ても立っても居られないらしい。もうすでにこの場にいない人物を追いかけるため、走り出した。
ワクワク、と心が躍るような感覚に支配されているようにも見える。
あまりにも身勝手な目標を掲げていることなど、彼女以外、誰も知る由もなかった。
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