第4話 家飲み

「さちかさんにおみやげ~」


 玲也の住むマンションで家飲みする際にはにはきちんと、差し入れをする。

 この場合、七斗は玲也の好みよりもさちかの好みを反映する。さちかはただ、実家の援助を受けるだけでなく、実家の会社の経理もこなしているのでそれなりに忙しい。

 お金でなんとかならない並ばないと買えないスイーツを持ってくると喜ぶのだ。

 結局、玲也が識臣と浮気をしているとわかった後も七斗は玲也に少しばかり問い詰めてみたのだが、『お前が一番だって』と言われ、丸め込まれた形だ。一番というのはあくまでも、妻のさちかを除いてという前提が飛ばされてはいたが。

 大丈夫、こうやってさちかと一番うまくやれてる限り、玲也が離れていくことはない。そう七斗は自分自身に言い聞かせた。


「ここのシュークリーム、いつも会社帰りに見るけど並んでて買えないのに! ありがとう。あとで識臣くんにもらったコーヒー入れるから一緒に食べようね」

「識臣くんも来てるの?」


 せっかく、千秋楽も打ち上げも無事に終わって、顔を合わせなくてよくなったというのに。

 そんな内心が漏れでないようにするため、自分の張り付いた笑顔が崩れないように、七斗は声を少し高くして、さも嬉しそうに振る舞ってみせる。


「うん、あとね、演劇ライターの……」

「真渕ですよ、奥さん、真渕空(まぶちそら)」

「ごめんね、あたしってばなかなか人の名前が覚えられないタイプで」


 横から現れた人物に七斗はくらりと目眩を覚えた。

 玲也と交わしたいつかのベットサイドでの会話が思い起こされる。『真渕さんってお前のことスゲー好きみたいじゃん、一回寝てやれば?』『えー、別に玲也くんだけで今、満足してるしな~』真渕は確かアラフォーでゲイであることをオープンにしている演劇雑誌の編集だったと七斗は記憶している。         

 若手俳優中心の舞台にも熱心に顔を出している。

 あのときのピロートークは冗談だったはずだ。だけども、この状況をみるに七斗の中である答えが膨らんでいく。


 玲也は自分を捨てようとしている………


※※※


 一通りお酒の時間が過ぎてみれば、頭が冷静さを取り戻しつつあるのが七斗には煩わしい。

 かといって楽しそうに演劇論を話す玲也の機嫌を損ねるような度胸も七斗にはない。

 玲也はさちかが席を離れるたび、識臣と共犯者めいた目配せをしては七斗のプライドをズタズタにした。


「クリームが濃厚でおいしいね、識臣くんが持ってきてくれたコーヒーともあうし」


 そんな中、一人ご機嫌なのはさちかだけだ。イケメン俳優としては中堅ともいえる夫と若手イケメン俳優二人、あとは編集者という業界人四人に気を遣ってもらえる立場というのはなりふり構わず玲也の妻という立場を手に入れた彼女にとって、心踊るものだろう。

 ただ、だからこそ彼女は、今まさに目の前で、夫の愛人が番手交代の茶番を繰り広げているなんて思いもしないだろうが。

 別に彼女が特別鈍感な女だとか、ぽわぽわしているタイプとかというわけではない。

 七斗も識臣もゲイであることを表向きには隠しているし、結婚したときに繋がっていた女をちぎっては投げ、ちぎっては投げした玲也が今は男を作っているだなんてそりゃ考えないだろう。

 少なくとも、七斗の眼にはそう見えていた。


「さーて、そろそろお開きだな~真渕さん、七斗と家の方向一緒じゃん一緒に帰ったら?」

「私はいいけど七斗くんは嫌じゃない?」

「……別に嫌じゃないです。識臣くんは?」


 七斗は識臣も帰るというなら喧嘩も辞さないつもりだった。

 だけど、玲也もだてに修羅場慣れしているわけじゃない。


「あー、識臣は家泊めるわ、終電怪しいし」

「そっか、わかった。じゃあまたね~」


 玲也は軽薄な男だ。だけど、こんなに別れ際に対してまでも残酷な男だとは七斗もさすがに思わなかった。

 きちんと別れ話もしないで他の男に押し付けようだなんて。


※※※


 真渕と二人で終電電車に揺られる。目の前の電車越しの景色はいつもと代わりばえしないビル街の灯りのはずなのに、何か刺すような痛みすら七斗に与えてくる。


「大丈夫かい?どこか具合悪い? 飲み過ぎた?」

「……体調は大丈夫ですよ~オレ、自分でも知らなかったけど酒強いみたいです」


 真渕の気遣いにヘラヘラと笑って見せる。酒が強いなんてとっくにわかりきっていたことをさも今、気づいたかのように七斗は装う。舞台から降りてもオレは嘘ばっかりなどと、心のなかで自嘲しながら。

 真渕から好意のようなものを向けられていることを七斗も何回かの取材でわかっていた。

 しかし、いつもなら、二人の関係は雑誌編集と俳優、七斗も真渕の前で若手俳優の仮面を外そうなどとは考えなかっただろう。

 だけど、今夜の七斗はもう限界だった。


「気づいてたでしょ? オレ、捨てられちゃいました。真渕さん……オレの家に来ませんか?」


 真渕はメガネの奥に動揺を見せる。


「いいのかい? たしかに私は君のことが好きだよ、だけど……私は君を俳優として推してるだけでまだ君のことを何も知らない…………君を傷つけたくない。」

「真渕さんは真面目だなぁ、こっちの人には珍しい、ちゃんと付き合った男としか寝てないタイプなんでしょ、いいんです、これからも俳優としてのオレを少しでも見たい気持ちがあるなら、助けると思ってワンナイトでいいから一緒にいてくださいよ」


 俳優と比べれば見劣りはするものの、真渕は背も高くスタイルだって悪くない。顔は普通だがきちんと自分に合うスタイリングをした髪型にオシャレな黒いふちの眼鏡をかけている。

 玲也のことを一晩でも忘れられるなら、真渕のような逆のタイプの男がいいと七斗は思った。


 真渕は言葉ではなく、七斗の腰に手を添えることでその返事を七斗に返した。

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