風と魔法使い
ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中
第1話 あの時と同じ風
男の名は、レナード。家名はあるが、それを名乗る気はない。
だが、レナードに依頼をしてくる貴族は、時折家名を尋ねる。レナードはそれを不快に感じ、尋ねる者の依頼は受けなかった。彼らはあくまで依頼者。断る権利はレナードにある。それだけの圧倒的な力の差が、両者の間にはあった。
宙に浮く淡い色の炎が、ひとつだけふわりと揺れる。レナードはそれを目の端に捉えると、指先を動かし暗闇に別の場所の光景を映し出した。
先日、高慢な女の代理でここに送り込まれた哀れな女の姿が映っている。街の豪商ランベルグ家に仕えていた召使いで、ランベルグ家の娘を寄越せと要求したら
時折、そういったことはある。普段ならそのまま元の場所に送り返してしまうが、レナードの何気ない言葉に思わぬ強い反応を示したことから、俄然興味が湧いた。
――この私に苛立ちを見せるなど、度胸がある。
面白くなり、丁度前の召使いがいなくなり少々困っていたこともあって、彼女に課題を出した。見えない道を真っ直ぐに進んで来いという、魔法など知らない者からしたら恐ろしい課題だ。
だが、リーナは見事に試験に合格した。
その日から、リーナは誰もが恐れる魔法使いレナードの屋敷で召使いとして働いている。雇用条件を取り決めの際、最初の給金は病弱な母親に効く薬が欲しいと言うので、面白くなり前払いで与えると、まだ幼さが少し残る強張った顔に小さな笑みが浮かんだ。
変わった娘だ。だけどこの娘も、やがてはレナードの恐ろしさに耐え切れず、逃げ出すだろう。
リーナは、よく働く娘だった。そこまでしなくていいという場所まで掃除する。先程の反応は、リーナがレナードの私室に入り開けるなと言っている窓を開けたものだ。
レナードは、室内に吹き込む風がカーテンを浮き上がらせる様を嫌悪していた。それが、レナードを異端として排除した生家を思い起こさせるからだ。
それまではどこにでもいる貴族の子息として生活していたレナードの周りでおかしなことが起こり始めたのは、レナードが精通してすぐのことだった。
一般的に、男は精通、女は初潮を迎えると魔力が発現する。魔力を持つ者は珍しくはあったが、いない訳ではなかった。
だが、レナードの魔力は桁違いで、かつ制御不能だった。
気に食わない者がいると、空間が歪み相手が消えた。むしゃくしゃして床を踏むと、大穴があく。
レナードの感情にそれはとても忠実で、――そしてやがて誰も近寄らなくなった。
それでも唯一、レナードに優しかった母は自分を避けない。そう思い、母の居室へと向かったが、母は部屋にはいなかった。窓が開いていたので露台も確認したが、いない。
すると、部屋の外から母の金切り声が聞こえ、咄嗟に部屋のカーテンの中に隠れた。
中に入ってきた母は、酷く憤っていた。その内容は、レナードのことだ。
レナードにはもう耐えられない、どこもかしこも壊し、人を消す。自分もいつ消されるのかと思うと、逆らえず優しく接するしかない。こんなのもううんざりだと、泣いて父に訴えていた。
「あんな子、もう要らないわ!」
母の言葉に、レナードは衝撃を受けた。あの優しさは、作られたものだったのかと。好かれていたと思っていたのは、全部まやかしだったのかと。
その時、突然突風が吹き、レナードが隠れていたカーテンが舞い上がる。
その時の、化物を見るかの様な両親の目。
レナードは、咄嗟に逃げた。風に乗って、逃げた。
別の国に行き、魔法使いの弟子になると、師が亡くなった後はその跡を継いだ。
そして、この国で最も恐れられる、青い髪と同じ冷たい血を持つ、最強で最恐の青の魔法使いと呼ばれる様になった。
そのレナードの私室に、当然の様に入るリーナ。注意が必要だろう。
レナードは宙に溶け込むと、自室の舞い上がるカーテンの下に立った。
リーナは、レナードには気付かずレナードの寝所を整えている。
そして、振り返った。
「レナード様! いつからいらしたんですか!」
驚く顔に、険はない。
カーテンを舞い上げる風が、レナードの青い髪も巻き上げた。それを邪魔そうに退かすと、窓を閉める。
「私の部屋の窓は開けるなと言っただろう」
従うかと思った。だけど、違った。
「換気は健康に必要です!」
病人の世話をしていたから間違いありません、と胸を張って主張するリーナ。
「私が病めば、お前は解放されるぞ」
「病むなんてとんでもない! 私にはレナード様が必要ですから、健康でいてもらわないと!」
「……どういうことだ」
リーナは、明るい茶色の瞳をにこやかに緩ませる。
「レナード様は優しい雇い主ですから、私はここで骨を埋めるつもりですからね」
部屋に吹き込むのは、あの時と同じ風。あの時、レナードは要らないと言われた。
だが、目の前の女はレナードが必要だと言う。
「……変な女だ」
「変で結構ですから、換気しますよ」
「……勝手にしろ」
少しだけ、心が風に舞い上がり軽くなった気がした。
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