ep.3 損得

 二人の作ったダミー会社から、新作ゲームリリース情報が発信されるには、それからさほど時間はかからなかった。

「……なんだよ、これ」

 旅行から戻った珠樹がそのリリース情報を目にする。どこをどう見ても、先日川島に提出した自作のゲームプロットだ。荷解きもそこそこに、珠樹はスマートフォンのアドレス帳を開き、川島の連絡先を探す。

 珠樹は一人ではなく、月長も一緒にその場にいた。珠樹の荷物が予想外に増えすぎてしまい、月長にその一部を負担してもらっていたからだ。運んでもらった礼に、この後夕食を奢る話がついていた。

「もしもし、あのっ――」

 繋がったと思ったのもつかの間、留守番電話サービスの無機質な音声ガイダンスが珠樹の耳に侵入する。

「くそっ」

 スマートフォンを握りしめ、悪態をつく珠樹の様子に月長が声をかけた。

「どうしたんだ?」

「……やられた」

「やられた、って一体何をさ?」

「盗作だよ、盗作」

 騙し取られたんだ、と語気を荒らげる珠樹を、月長は少し冷めた目で見つめる。

「あー……、そっか。辛いよな、自分の作品を他人が我が物として発表するって」

「本当、何考えて……え?」

 月長の視線が冷ややかなものであることに気づく珠樹。

「なぁ珠樹、今やお前の代表作になってるアレ――」

「違……っ」

「違わないさ。自覚があるんだろう? じゃなきゃ、そんな風に反応しないだろ」

 月長は一際深く空気を吸い込み、一拍の間をおいて二酸化炭素をゆっくりと吐き出す。自身を落ち着かせるためでもあるのだろう。二人の間の空気が冷ややかで重苦しいものに変化していった。

「あれは……いや、……すまなかった」

「もう過ぎたことだ。今更真実を発表しても面倒しか残らないだろ。ちゃんと自覚して謝ってくれればもういいさ」

「ただ」

 今回の盗作に月長は無関係だと付け加えた。因果応報だと思ったけれど、自身が首謀しているということはない。

 珠樹は一瞬疑う素振りを見せたが、月長にメリットがない事に気付き考えを改める。

「盗ったヤツに心当たりはあるのか?」

「あぁ」

「だが連絡がつかないと」

「そうだ」

 二人は一旦落ち着いて話を整理しよう、と荷解きもそこそこに仕事の予定ややり取りの記録が入っているタブレット端末を持ち出し、確認を始めた。

 珠樹と川島と名乗るメノウのやり取りには特に不審な点は見当たらない。それでも彼女が情報漏洩させたか、もしくは彼女が首謀者であるかの二点しか思い当たる節がない。

「この会社の問い合わせフォームに連絡は入れてみたのか?」

「それはまだだな。しかし、なんと言って連絡を入れれば? 俺が作ったゲームだっていきなり言って話が通じるとは思えんよ」

 確かに、と月長は額に手を当ててうつむく。珠樹も同様に、両手で額を支えるようにうなだれていた。

 その時。

「!」

 珠樹のスマートフォンが着信を告げる。画面には川島の文字。

「……もしもし」

 できるだけ冷静に、深呼吸をしてから珠樹は電話に出た。

「もしもし、川島です。すみません、何度もお電話頂いていたのですが、出ることができなくて」

「川島さん、先日お渡しした第一稿の件なんですけど――」

 スマートフォンを握る指に力がこもる。空いているもう片方の手も、固く握りしめられていた。

「あぁ、お気づきになられました?」

 声のトーンはそのままのはずなのに、ひどく冷たい雰囲気が電話の向こうから漂ってくるのが感じられた。  

「え……?」

 明らかに川島は何が起きているのかを分かっている。ただそれだけを珠樹は理解したが、どうしてそうなるのかは理解できない。

「たしか……珠樹さんは今日お戻りになられたんですよね? 明日の午後……そうですね、四時頃にお会いすることはできますかしら?」

「あなたに聞きたいことがありすぎて、混乱していますよ。明日四時、大丈夫です。先日打ち合わせに使ったあのお店でも構いませんか?」

「かしこまりました。明日、こちらが持っている情報を全てお話させていただきますわ」

「……必ず、ですよ」

「えぇ、もちろん」

 では、また明日。そう言って通話は終了した。隣で不安そうな不思議そうな、どちらも混ざった複雑な表情をしていた月長が、

「どうだった……?」

 と、恐る恐る訊ねる。しかし珠樹もなんと返事をしていいものか、測りかねていた。

「なんだろう……向こうも分かっていてやっているみたいだし、なにがなんだかわからないっていうのが本音かな」

 苦笑いとともにそう言うのがやっと。今はこれ以上出来ることもないので、二人はモヤモヤとしたまま荷解きに取り掛かった。

 ある程度片付けたところで月長が帰ろうとしたが、珠樹が泊まっていくように頼む。できれば明日の話し合いに、第三者として立ち会って欲しいという希望もセットにして。

「いるだけしかできないけどな」

 曖昧な笑みを浮かべ、月長は承諾した。


 翌日。

 珠樹と月長は待ち合わせの時間よりも十分早く到着したが、川島――メノウ――はもう既に席についていた。

 その隣にはサンゴの姿もある。

「お早いですね」

 緊張した面持ちで珠樹がいう。

「珠樹さんこそ。まだ時間になっていないでしょう?」

「はじめまして。今日は……立会人というか、なんと言えばいいのか。月長といいます」

「はじめまして。川島です、こちらは海部」

 メノウはサンゴを紹介する。

「今回の件に関わっているこちら側の人間ですわ」

 そう付け足すと、二人の顔が強張った。

「海部です。今日は……そんなに身構えないでください。こちら資料です、順に説明させていただきますね。あと、月長さん、お越しいただきありがとうございます。お呼びだてする手間が省けて助かりました」

 人の良さそうな笑みを浮かべ、名刺を差し出しながらサンゴが挨拶する。身構えるなと言われた二人は、より表情を固くしているように見えた。

「わ……、私も呼ぶつもりがあったということでしょうか?」

 困惑した表情で月長がいう。隣に座る珠樹も似たような顔になっていた。メノウはそのシンクロが面白く、笑いそうになるのを堪えるために両手をテーブルの下でギュッと固く握りしめる。

「えぇ、そうなんです。後ほど順を追ってお話しますが、月長さんにも関係があるんですよ」

「月長がどうして……」

 本人よりも先に珠樹が声を上げる。二の句を選びかねている様子の珠樹を遮るように、次にメノウが語り始めた。

「結論から申し上げると、珠樹さんが月長さんのゲームアイデアを盗用したので、私共が同じことをしてみせた、というわけです」

「!」

「ひとつ誤解しないでいただきたいのは、私共は月長さんとはなんの関係もない、全くの第三者ということです」

 信じられない、といった表情で口を半開きにしている珠樹。無理もないだろう、こんな状況であれば、月長が復讐のために計画したと考えるのが自然なものだ。

「信じてくれるかはわからないが、本当に俺はこの人達を知らない」

 震える声で月長が言う。

「『ない』を証明することは難しいですよね。私共の目的を聞いていただければ、月長さんとの関係がないという判断材料にしていただけると思います」

 メノウは淡々と語り始めた。それは珠樹がこれまで目にしてきた、デザイナーとしての彼女とは異なる口調で、同一人物だと分かっているのに別人と話しているような不思議な気分にさせられた。

「資料の六ページになりますが――」

 時折メノウの補足をするようにサンゴが詳細を告げ、細やかに、丁寧に、取引先にプレゼンするかのような時間がチクタクと過ぎていく。

 二人の話に真剣に耳を傾ける珠樹と月長は、顛末を理解するのと同時に冷静さも取り戻したようだ。

「そんな……こんなことをして、あんた達に何の得があるっていうんです?」

「世の中には、金銭よりも面白いか面白くないかを重要視する人間もいるのですよ」

 クスクスと笑うメノウに、珠樹と月長は思わず息を呑む。

 そのまま言葉を失った二人に、サンゴが語りかけた。

「彼女はあぁ言いますが、全く利益にならないことをするわけでもないんですよ。珠樹さん」

 サンゴはテーブルの上に広げた資料を手に取ると、パラパラとめくる。一番最後のページを最前面にし、再びテーブルに戻した。

「……これは」

 珠樹と月長が顔を見合わせる。二人に見せたその資料には『譲渡契約書』とかかれている。それが意味することを予想は出来るが、そうすることの理由――意味が理解できない。

 静かな空間に、資料をめくる音が響く。二人は一字一句見逃すまい、と真剣に文字列を追っていた。

「どうして……」

 先に声を発したのは月長の方だ。

「ご不満な点でもありましたか?」

「逆ですよ、こんなことをして……海部さんたちがやりたいことが全く理解できないんです」

 契約書には、今回サンゴとメノウが立ち上げた『会社』ごと、ゲームの権利を譲渡すると記されていた。譲渡という名目だが、しっかりと金銭契約が生じているので実際は『ゲーム会社の売却』と言ったほうが正確だろう。

「一言で言えば、お金の為、ですかね」

 サンゴの言葉にメノウが微笑む。

「なっ……だとしたら、どうしてこんなまわりくどいことを……これじゃあまるで――」

 珠樹は続く言葉を辛うじて飲み込んだ。しかし、恐らく言いたかっただろう言葉をメノウが拾い、続けて言った。

「詐欺みたい、でしょう?」

 その声色は朗らかで、自分たちが貶められていると一切感じていないように聞こえる。事実、メノウとサンゴにはその自覚があるのだから特に思うところもないのだが。

「実際、詐欺の手法ですからね。私達は珠樹さん、貴方を騙してゲーム資料を手に入れた。そしてそれを私達の名義で世に出そうとしているのですから」

「そこまでは理解できる。だったらどうして、そのゲームを俺たちに売るんだ?」

 珠樹の口調から丁寧さが欠けていく。焦っているのか、混乱しているのか、両方か。

「私達には管理、運営ができないからですよ」

「は……?」

 先に声を出したのは月長だった。珠樹は横で口を開いたまま呆然としている。奪った道具を使えないから売りつける、と言っているようなものだ。

「私達が欲しいものは、はじめから新作ゲームではないのですよ。お金をどうやって面白おかしく入手するのか。そういうゲームを仕掛けたのです」

 にっこりと微笑んでいるはずのサンゴから、珠樹たちは今までにない威圧感に気圧される。威圧というよりは、得体のしれないものを前にした恐怖に近いかもしれない。

「……っ、わかりました、貴方達にあまり深入りしないほうが良さそうだ。珠樹、さっさと言う通りに買い取るのが賢明だよ」

「月長……」

「あ、お伝えし忘れていたことがひとつ」

 二人の会話にメノウが割って入る。何を言われるのか、と二人は同時に眉間に皺を寄せて警戒した表情を作った。

「契約にあたって、条件があります。お二人の共同名義にしていただきたいのです。もし、珠樹さんの個人名義で……というのであれば、こちらとしてはお受けするわけには行きません。珠樹さん、月長さんのお二人に納得していただいた上で、お二人で運営していただきたいのです」

「二人で……」

 珠樹が月長を見る。不安気な視線はふらふらと揺らいでおり、つられたのか月長の表情もじわじわと曇っていった。

 二人はしばらく何も言葉にできなかったのか、時折視線を交わすけれど、基本的には書類をじっと見つめていた。その様子をサンゴとメノウが見守っている。対象的な二組の間で、手を付けられなかったコーヒーがその温度を失っていた。

「少し、二人だけで話をしてきても大丈夫でしょうか?」

 先に口を開いたのは月長だった。珠樹の方から切り出すと考えていたメノウはぱちぱちと瞬きをする。

「えぇ、どうぞ」

 サンゴが促すと、月長と珠樹は店の外へと出て行った。

「どうかしらね?」

 ぬるいコーヒーをすすりながらメノウが呟く。サンゴもカップに口をつけてから、なるようにしかならないよ、と軽い口調で言う。会話ではなく、互いに独り言を言っているようにしか見えない。

「まぁ、向こうが損をするような案件ではないからね。おそらく提示した価格で買い取ってくれると思うよ」

「あちらさんには負い目もあるでしょうしね」

「それは珠樹にだけだけどね。月長がどう出るかがポイントだ。……彼の人柄をちょっとだけ調べはしたし、織り込み済みではあるのだけれど」

 サンゴが視線で二人が戻ってきたことを告げる。気の抜けていたメノウの表情がすっと変わった。

「すみません、お待たせしました」

「構いませんよ。相談は必要不可欠でしょう」

 人当たりの良さそうな笑顔でサンゴはいう。やっていることと、今この場で感じさせる雰囲気が乖離しており、珠樹と月長はなんとも言えない気持ち悪さを抱えていた。

 とはいえ、確認した書類に不備は見当たらず、契約内容や条件を見ても極端におかしなところはない。至って一般的な内容だと、二人で結論づける。

「このお話、お受けします」

 珠樹が頭を下げる。一拍遅れて、サンゴとメノウも頭を下げた。

「では、書類の制作に進んでも構わないでしょうか? 電子署名でも大丈夫ですので――」

 サンゴがバッグの中からタブレット端末を取り出しながらいう。善は急げ、無いとは思うが気が変わらないうちに契約書の制作を終えてしまいたいのだ。

 必要箇所に珠樹と月長の署名をもらい、入金手続きに必要な情報のやり取りを終えることには、コーヒーはすっかり冷え切っていた。

 珠樹も月長も、注文し直す気になれなかったようで、冷たく、風味も失ったコーヒーを一気に喉奥へと流し込んでいた。

「……ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございます。珠樹さん、この度は騙し討ちになってしまってすみませんでした」

「川島さん……。いえ、自業自得ですよ。むしろスッキリしたかもしれません。月長には本当に悪いことをした」

 月長は無言で首を振る。伏せた目元からは感情を読み取ることが難しい。二人の間でどのような話し合いが行われたのかは分からないが、怒りやそれに似た心情は感じられないように思えた。

「さて、記入していただく書類はこれで全てです。後は入金の確認ができましたら、お渡ししているデータのパスワードをお伝えしますね」

「ご理解いただき、ありがとうございました」

 メノウが丁寧に礼を述べると、珠樹は少し座りが悪そうに視線をずらした。自分が全く疑ってこなかったことに対する情けなさを反芻しているのかもしれない。

 珠樹と月長を残し、メノウたちは先に店を出た。「ここは支払っておきますから」と、サンゴが伝票を手にしていったので、彼らもさほど長居はしないだろう。

「さ、戻ってもうひと仕事だ」

「あー、やっぱり何か隠してたのね」

 むくれながらメノウが振り返る。サンゴは笑みを浮かべ、気付いていたか、と呟いた。

「どれだけ一緒にやってきていると思ってるのよ? それくらいすぐに分かるわよ」

 ぷい、と顔をそむけ、足早に進み出す。サンゴは黙ったままメノウに続く。最後に店の出入り口の方を振り返ってみたが、珠樹たちはまだ出てくる気配が感じられなかった。

「で、もうひと仕事って何なの?」

 戻るなりメノウが詰めてくる。

「んー……。奪ったもので作ったものを売るだけじゃあ旨味が少ないんじゃないかなって思ってね」

「そりゃ、儲けはあればあるほど嬉しいけれど……。譲渡契約は正しく終わったんでしょう? ここからまだ買い取りを進められることなんてあるのかしら」

 腕を組み、首をかしげるメノウ。

「いや、あの二人にはもう関わるつもりは無いよ。譲渡したダミー会社についての情報でもう一儲けできそうかな、って」

 ぴっと人差し指を立て、サンゴはその内容を説明した。メノウは途中から内容についていけなくなったのか、ふんふんと頷きながらキッチンで軽食と飲み物の用意をし始める。サンゴも気にせずに話を続けながら、メノウの手伝うようにテーブルを片付け、出来上がった皿やグラスを運ぶ。

 食事の準備が終わり、二人はいつもの場所に腰を下ろした。グラスに炭酸水を注ぎ、軽く掲げて声には出さず乾杯をする。くい、と一口飲み込むとシュワシュワと喉を通り抜ける感覚が心地よかった。

「まぁいいわ。お互い細かいところまで手の内を晒す必要もないでしょうし」

「ご理解感謝します、もちろん利益は分けるから安心してくれよ」

 ははは、と二人は朗らかに笑う。前祝いの夜は、楽しく過ぎていった。

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