鍛錬

 漆黒の雲に覆われた空の下で、灰色の防寒着姿の幼い少年が魔獣と戦っていた。


 体長一メートルはある黒い猫―――ブラックキャットが鋭い牙を生やし、二本の尻尾の毛を逆立てて威嚇いかくする。


「フシャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 赤い瞳を輝かせ、鳴き声を上げる魔獣の猫。


 だが、幼い少年は怯えた様子はなく、ただ手を翳すかざす。


「水属性魔法〔LV1水球〕」


 手の平に蒼く輝く円形の紋様—――魔法陣が浮かび上がる。そこから十発の水の弾丸が射出した。


 高速で迫りくる攻撃を猫の魔獣は軽やかに躱し、少年に接近する。


 前足からナイフのような鋭い爪を伸ばし、振るった。


 爪撃が少年に直撃しようとした時、


「無属性魔法〔LV2身体強化〕」


 少年は胸のあたりに白い魔法陣を出現させた。


 直後、子供とは思えない反射神経で、魔獣の攻撃を回避する。


 驚いて目を見開く猫型魔獣。


 そんな猫の胴体に、少年は力強く拳を放った。


「グニャ!?」


 少年の小さな拳が肉を抉り、骨を折る。


 口から血を吐き出したブラックキャットは、雪が積もった地面に倒れた。


 痙攣しながら、視線を向ける。自分を倒した相手に。


 敵は本当に幼い少年だった。短い白銀の髪に、白い肌。そして血のような真紅の瞳。


 そして、どこか大人びているような雰囲気。


「悪いけど、お前は俺が強くなるために殺させてもらうよ」


 幼い少年は、低く冷たい声でそう言った。


 手の平を瀕死の魔獣の猫に向ける。


「俺は何が何でも強くならなければならない」


 緑の魔法陣が空中に浮かび上がる。


「俺が死なないために」


 魔法陣から風の刃が放たれ、ブラックキャットの首を斬り飛ばした。


「俺が、世界を滅ぼすラスボスにならないために」


◁◆◇◆◇◆◇◆▷


 トラックに撥ねられて命を失った早崎耕平。


 だが、気が付いたら大人気アニメ『クイーン・オブ・クイーン』のラスボスキャラクター、光闇レイジに転生していた。


 自分がラスボスにならないために、レイジは己を鍛えていた。


 家から離れた森の近くで、魔獣を狩っていたレイジ。


 彼は白い息を吐きながら、空を見上げる。


 視界に映るのは、漆黒の雲—――邪雲に覆われた大空だった。


 太陽の光はなく、いくつも立てられた外灯の光が、外の世界を照らしていた。


 この世界では外灯が無い場所はほとんど存在しない。それが草原であれ、山であれ。


 レイジは家から持ってきた安物の電子腕時計に視線を向ける。


 時計には、午前六時と表示されている。


「朝だか夜だか分からないな」


 深い溜息を吐いて、レイジは家に向かって歩き出した。


 転生してから一ヶ月間、朝早くからLV1の魔獣を倒して、彼は鍛錬をしていた。


 魔獣にはLVが存在する。


 LVは1~7まで存在し、評価は大きさと強さで分けられる。


 LV1の魔獣は十センチから一メートルの大きさで、一匹で人間一人を殺す力を持っている。


 本来、幼い子供なら一瞬で殺されてしまうが、レイジは違う。


 誰もが恐れる戦闘技術と魔法の才能、そして強力な肉体と特殊な力。


 それを全て、生まれながら持っている。


 故にLV1の魔獣を倒すことは、レイジには難しくなかった。


 しかし、どれだけ才能があろうと、どれだけ力があろうと。


 主人公には、敵わない。


 それをレイジは知っている。


(俺は『クイーン・オブ・クイーン』のラスボス。必ず主人公には倒される。それが運命)


 なら、どうすれば死ななくて済むか?


 それは、ラスボスにならないことだ。


 そのためには、いくつもの問題を解決しなければならない。


(幸い時間は沢山あるし、ほとんどの問題は簡単だ。あとは俺が十歳までに強くならないと)


 赤い瞳に強い意志を宿して、レイジは自分に言いつける。


「絶対に、運命を否定してやる!」


◁◆◇◆◇◆◇◆▷


 家に帰ったレイジは自分の部屋に向かった。


 足音を立てずに、二階に上がって廊下を歩く。


 絶対にバレないように、慎重に行動する。


 そして、レイジが部屋の前に到着した時、


「レイくん?」


 背後から、背筋を凍らすような声が聞こえた。


 額から嫌な汗を流し、レイジはゆっくりと振り返る。 


 彼の視線の先にいたのは、小学生にしか見えないレイジの母—――愛花だった。


 彼女は可愛らしい花柄パジャマ姿で、髪をお団子にしていた。 


「お、お母さん……おはよう」


「おはよう」


 優しそうに微笑む愛花。


 だが、レイジは気付いていた。彼女が怒っていることに。


「ねぇ、レイくん。こんな朝早くから何をしていたの?」


「ちょ、ちょっと散歩を」


「雪が積もっているのに?しかもこんなに寒いのに?」


「そ、それは……魔法でなんとかなるし」


「そうだね。……そういえば、レイくん。ジャンバーに赤い血みたいな物が付いてるよ?」


「え!さっき魔法で綺麗にしたのに!?」


 愛花が指を指したところに、慌てて視線を向ける。


 しかし、そこには血など付着していなかった。


 騙された。鎌をかけられた。


 顔から滝のように汗が流れる。


 レイジは恐る恐る、愛花に視線を向ける。


 母は笑っていた。しかし、目はまったく笑っていない。


 薄く開いた目の奥は、光のない闇が拡がっていた。


「ヒイッ!!」


 思わず悲鳴を上げ、後退るレイジ。


 愛花は花が咲いたように、可愛らしい笑顔を浮かべた。


「レイくん……お説教ね」

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