父親

 気持ちを落ち着かせた耕平は、自分の頬を強く叩く。


「よし!まずは今の自分の名前と今いる場所を確かめないと!」


 彼は気持ちを切り替えて、情報を探ることにした。


 現在、分かっているのはここが日本であること。


 そして、今日は二千三十五年の十一月三日、午前七時五十分だということ。


 日本と分かった理由は、本棚にある絵本全てが日本語で書かれているからだ。


 年月と時間は、本棚の上にある電子時計に表示されていた。


 だがそれ以上はまったく分からない。


 情報集めをしようとしたその時、部屋の扉からコンコンッと軽く叩く音が鳴り響いた。


「レイジ。起きてるか?」


 若い男性の声が耕平の耳に入った。


(レイジ?それはつまり今の俺の名前か?)


 さっそく新しい情報を手に入れた彼は顎に手を当てて、木製の扉に視線を向ける。


(声からして恐らく二十代ぐらいの男性だな。歳が離れた兄かそれとも若い父親か。……どちらにしろ俺の家族なのは間違いないだろう。なら情報集めのためにも)


 耕平―――レイジは扉に向かって、声を掛ける。できる限り、子供っぽく。


「うん。起きてるよ」


 扉がゆっくりと開く。


 部屋に入ってきたのは、レイジの予想通りの若い男性だった。


 短い黒髪に優しそうなタレ目。少し瘦せ気味な顔立ちに黒いフレームの眼鏡。


 知的で優男といった雰囲気の男性だった。


 彼はレイジに近付いて、目線を合わせるためにしゃがみ込む。


「もう大丈夫なのか?熱は下がったのか?」


 心配そうに眉を八の字にして、レイジに問い掛ける。


 一瞬、何を言っているんだ?と首を傾げるレイジ。


 だが、すぐに気が付いた。ベットの上に水枕が置いてあることと、自分の額にシップが張られていることに。


(どおりで頭が冷たいわけだ)


 レイジは笑みを浮かべて返事を返す。


「熱は下がったみたいだよ」

「そう、それは良かった。一昨日、氷が張った川にレイジが落ちた時はお父さん達、焦ったよ。風邪はひくし高熱は出るし。しかも昨日はまったく起きなかったし、もう冷や冷やしたよ」

「お父さん達……という事はこの人は俺の父親か」

「ん?なんか言った?」

「いや、なにも」


 レイジは満面な笑顔で誤魔化す。


「そうか……顔色もよさそうだし、大丈夫そうだが、念のために今日はここで大人しくしていなさい」

「うん。わかった」

「……レイジ、なんか変わった?」


 怪訝な表情を浮かべる父親。


 レイジは思わずビクッと肩を震わせる。


「そ、そんなことはないよ」

「そうか?」


 息子の様子に違和感を感じて首を傾げる父。


 このままではマズイと直感したレイジは、慌てて話題を変える。 


「そ、そんなことよりも、聞きたいことがあるんだけど!僕の……」

「僕?」

「じゃなくって、俺の名前ってどういう字を書くのかな?」

「名前?急にどうした?」

「知りたくなっちゃったんだ!」


 流石に無理があるかと思ったレイジだが、彼は納得した様子で「そうか」と呟いた。胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出した。


 慣れた手つきでメモ帳にペンを走らせ、レイジに見せる。


 白い紙には『光闇こうやみレイジ』と書かれていた。


「これがお前の名前だ」

「これが…俺の名前……」


 その名前を見て、レイジはある違和感を覚えた。


(この名前……どこかで)


 レイジは父親が書いた文字に見覚えがあった。


 何なのかと思い出そうとするが、思い出せない。


(まぁいい。とりあえずこれで自然に自分の家族を知ることが出来る)


 レイジが自分の名前の文字を父親に聞いた目的は他にあった。


 それは生まれ変わった自分の家族の事を知ることだ。


 流石に今まで一緒に暮らしていたのに、突然『俺の家族ってどんなだっけ?』と聞くのは不自然に思われる。


 ならば、自分の父親に家族の名前を書かせればいい。そうすれば自然に家族の名前や家族構成を知ることが出来る。


「ねぇねぇ、家族全員のも書いてよ!」

「全員?」

「うん!俺、みんなのも覚えたいから。お願い」


 レイジは子供らしく無邪気に頼み込むと、


「ああ、いいぞ!」


 どこか嬉しそうに笑みを浮かべたレイジの父は、メモ帳に家族全員の名前を書き始めた。


 書き終えるとメモ帳の紙を千切って、レイジに渡した。


「はい。これはレイジにあげる」

「いいの?」

「ああ。それじゃ、僕はお母さんにレイジが起きたことを伝えに行くから待ってなさい」


 男は立ち上がって扉の方へと向かう。


「うん。色々とありがとう」


 レイジは立ち去る父親の背中に向かって感謝の言葉を告げた。


 直後、男性は足を止めて驚愕の表情で振り返った。


 回した勢いで、掛けていた眼鏡がズレる。


「……今、ありがとうって言った?」


 ズレた眼鏡の位置を戻しつつ、男はレイジに問い掛ける。まるで未確認生物を見るような目で。


 父親の様子に訝しげに見ながら、レイジは肯定する。


「そうだけど……?」


 何か間違ったことを言ってしまったのか?とレイジが思った次の瞬間、男は勢いよく部屋から出て行き、大声で叫んだ。


「愛花さん!レイジがありがとうって言いました!」


 部屋に残されたレイジは呆然と立ち尽くし、パチパチと瞬きをした。


「……なに、今の反応?」

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