2.ある災害の歴史

 本日は20**年8月15日。

 日本にとって思い入れの深い日だ。日本人なら学校で習うことも多いだろう。終戦記念日だからだ。

 むごい歴史を繰り返さないために必要な戒めの日であり、戦争でおこったすべての死を悲しむべき日なのだ。

 私の覚えている限りこの日は晴れが続いていた。毎日欠かすことのなかった日記を読み返す限り、10年程快晴が続いていた。しかし今日だけは天候が悪い。普通の雨というわけではなく、台風による天候不順だ。

 せっかくの夏だというのに海に入れない。時化が強くて危険だ。

 もっとも波を怖がっていたら生活は出来ない。家は海の近くに立っているから。本当は逃げるべきなのだろう。


 地域の避難指示が聞こえる。しかし、もう遅いようだ。

 窓から外を見れば私が助かる道は絶たれたように思う。

 町へ続く道は波によって阻まれた。その道が通れなくなれば、逃げようもない。

 携帯電話も圏外になる場所が多く、車しか移動手段がない辺鄙な町だ。私の家も例外ではない。私は祈る。無事でいられるようにと。



 ☆☆

 これが叔父の書いた最後のページだった。

 几帳面に欄に収まっている前のページとは違い、

 欄を無視して大きな文字になってはいるが、確実に叔父の字だ。


 パタン


 日記を閉じる。

 手渡された手記を閉じる。

「これ、叔父のだと思います」



 ☆☆

 記録的な台風が私の故郷にきているとのニュースを聞いた。

 心配になって新幹線に乗って帰ってきたのだ。

 町は避難勧告がでていた。警報がこの町一帯を包み込んだ。

 ハザードマップをみると全区域避難と浸水の可能性があると出ていた。

 SNS、テレビ、ラジオから避難を促す言葉が流れてあふれて止まらない。



 きっと叔父は避難していなのだと思った。

 変わり者の叔父は人の指示に従うことはない。

 無事でいるのだろうか。私は不安に苛まれた。

 同じ県の安全な場所まで来た。

 でもどうすることも出来なくて天災が過ぎるのを待っていた。

 避難勧告が解除され、家に戻ってみると叔父は居なかった。

 嵐がおさまり、警察、自衛隊、消防隊の方々が捜索して下さった。

 数日後、彼は遺体で発見された。気になる打ち身があったそうだ。


 原因は明らかだと思われたが、なぜか検視をされることになった。



 15日の夜、海水は床まで浸水してきたようだった。

 一人で怯えた彼は不安になり、自ら身を投げたのだと説明された。

 本当にそうだろうか。

 神様を信じてひたすらに祈っているような叔父が自殺などするものなのだろうか。しかし、私になにが言えよう。

 あっていたのは年に数度だし、ほかにも知らない叔父の越智免だってたくさんあっただろう。

 もしかしたら本当に錯乱してしまったのかもしれない。断定できるほど叔父のすべてを知っているわけではないのだ。

 人間の持つ二面性をすべて理解しているものなんてこの世に居ないのだから。



 END


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