エピローグ


 後日談を少しだけ話そうと思う。


 夏休みに突入し、僕は精一杯だらだらしようと計画を立てていたのだけれど、それは千波先輩の来訪により、全て崩されてしまう。


「することないからお勉強見てあげようかな」


 だそうだ。

 僕は朝に先輩を家まで迎えに行き、自宅へと戻ってきて勉強を見てもらい、夕方には先輩を家に送り届ける。そんな毎日を送っていた。


 千波先輩とお付き合いを始めて、大きく変わったことはないけれど、強いて言うならば休みの日に早起きをするようになった。時間になると先輩からモーニングコールが届くのだ。それで目を覚まし、そのまま家を出るという流れ。


 そんなことでさえ、悪くないと思えてしまうのだから恋というのは実に恐ろしい。


 そうやって毎日のように宿題と向き合っていた結果、後半には宿題が全て終わってしまったのだ。今までの人生の中でもこんなことは一度だってなかった。


 なので、夏休み後半は千波先輩と遊びに行ったりした。

 もちろん毎日ではないけれど、お互いに時間が合えばとりあえず会っていた。車椅子で外に出ることに抵抗を持っていた千波先輩だったけれど、それにも少しずつ慣れてきたのか最近では特に思うところはなさそうに見える。


 それでも、たまに寂しそうな顔をするのは気になるけれど。

 あっという間に夏休みが終わると二学期が始まる。


 水瀬千波が水泳会を引退するというのは中々に大きなニュースだったようで、学校が始まる時には校内の誰もがその話を知っているような状態だった。田舎町の噂の広まるスピードは凄まじいと改めて驚かされた。


 学校の中で困るのは階段の多さだった。

 僕がいれば抱えて上に上がるけれど、校内でずっと一緒にいれるわけではない。そうなると誰かに頼らなければならないので、少し心配していたけれど、周りの人はみんな優しくて先輩から頼まなくても自然と人が集まり誰もが手を差し伸べてくれた。


 僕はこの町の、そんな温かいところが大好きだ。


 先輩も以前のように何でも一人で抱え込むようなことはせずに、素直に誰かに頼ることを覚えてくれた。


 それでもやっぱり、たまに弱音を吐く時はあった。僕の前では、そういう弱い姿も見せてくれる。僕はそれを少しだけ嬉しいと思ったりしてしまう。


 だけど、前を向くと決めた先輩は強かった。


「みどり! もっと腕を振って!」


 放課後は水泳部の様子を見に行くことが多かった。

 もちろん僕も一緒だけれど、水泳部のみんなは何も言ってこない。多分、付き合った話も知らない間に広まっているんだろうなあ。水泳部どころか、誰もその話題に触れてこないのだ。


 水を掻き、前へと進む水泳部員の姿を、先輩は少し寂しそうに見つめていた。

 自分が泳げなくても、できることはある。これが、先輩なりのこれからの水泳との向き合い方なのだろう。だとしたら、僕はただ応援するだけだ。


「おやおや、今日も熱々だね」


「夏も終わるってのに、まだまだ暑さは続きますなあ」


 さっきは誰も触れてこないと言ったけど、この二人は別だ。

 陽介と日奈子先輩は僕らを見かけると必ずと言っていいほどからかってくる。それが二人合わさった日にはもう大変だ。僕は軽く流す程度で済ませるけれど、千波先輩はこういうことに慣れていないのだろう、毎度本気でぶつかるから二人も止めない。


 けれど、これが二人なりの僕らに対する接し方なのだと思う。

 今までと変わらないままで。


 それは簡単なようで難しくて、とても大切なことで、僕はそのありがたみを感じていた。


 そんな感じで、僕らの生活は少しだけ変わって、でも中には変わらないものもあって、変化にも慣れていき、こうして毎日を生きている。


「ねえ、透真」


 海辺を散歩していると、千波先輩が僕の名前を呼ぶ。

 見下げると、先輩は海の方に視線を向けたままだった。


「はい?」


 どうしたのだろうと、僕はとりあえず返事をした。

 だけど、すぐに返事はなくて僕は足を止めて先輩の言葉をじっと待つ。

 海が一望できて、少し風が吹くと潮のかおりがする。浜辺には子供がいて、楽しそうに足を海水につけて遊んでいる。


「ありがとね」


 そんな光景を微笑ましく見ていると、千波先輩は短くそう言った。

 僕は意外な彼女の言葉に一瞬固まってしまう。そもそも、お礼を言われるようなことを何かしただろうか? と考える。


「僕、何かしましたっけ?」


 思いつかなかったので、結局聞いてしまう。

 そういうところがまだまだ彼氏としてダメなところなんだろうけど、千波先輩もそれを温かく受け入れてくれている。これからの成長に乞うご期待といったところだ。


「んー? 分かんないならいいよ。何となく、言いたかっただけだから」


「なんですか、それ」


 きっとこの先も、いろんな困難が待ち受けているんだと思う。千波先輩の隣にいるというのは、そういうことだから。だけど、一人で背負い込むわけじゃない。辛いことも苦しいことも、もちろん嬉しいことや楽しいことだって、全部二人で分け合って前に進んで行くんだ。


 だから、きっと。

 僕たちならばきっと乗り越えられる。


 何の根拠もないけれど、何となくそう思えた。


「これからもよろしくね、ってことだよ」


 そう思えたのは、きっと――。


「それは、まあ、よろしくおねがいします?」


 この町に来て彼女と出会い、少しだけ強くなれたからだろう。

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君のいる夏景色 白玉ぜんざい @hu__go

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