第21話
それはあの日の千波先輩の言った言葉だった。
もちろん、向かう場所もあの時と同じ場所。
海と町が一望できる展望台。
そこに行くまでの道のりで行き先は予想していたのだろう。そこへ向かう途中の先輩の表情はどんどん暗くなっていく。その理由も分かっている。恐らく、展望台に行くまでにある長い階段だ。
今の千波先輩にとって、階段は天敵だから。
施設の中であればエレベーターがある。あるいは、エスカレーターでも何とかなるだろう。でも、階段だけはどうしても一人で登ることができない場所となってしまった。
それを分かった上で、僕はその場所へ向かっている。
一度言った手前、やっぱり止めようとも言えないのだろう。先輩の優しさを、頑固さを知っているからこそ、利用させてもらった。僕が気持ちを伝える上で、その場所は、その困難は乗り越えなければならないことなんだ。
僕らは目的地へと辿り着く。
「……」
展望台に続く長い階段を前に、先輩は表情を曇らせた。
やっぱり僕の思った通りなんだ。
「あのね、透真……私、階段は」
「さ、行きましょうか!」
先輩が全部言い終わる前に、僕はそれをかき消すように言葉を被せた。
そして、先輩の乗っているく車椅子の車輪を固定して、動かないようにする。さすがにこの車椅子を上まで持っていくのは苦労しそうなので、こいつはここでお留守番していてもらうとしよう。
「あの、透真? 何を……」
「何って、展望台ですよ」
「でも私は」
「大丈夫です」
僕は車椅子の横に座って先輩の膝の後ろに手を回した。
僕の腕に驚いた先輩は一瞬体を震わせた。僕はそのまま先輩の背中の方にもう片方の手を回す。そこまですると、ようやく僕の意図に気づいたようで、だからこそ先輩はダメだと首を振る。
「ダメだよ。だって透真は」
「いいから! しっかり掴まって!」
僕の今までにない迫力に負けてか、千波先輩は恐る恐る僕の首元に手を回す。ゆっくりと持ち上げると、千波先輩と僕の体が密着して、柔らかい感触が伝わってくる。彼女の存在を、しっかりと確認できる。
おんぶをすればもう少し楽に上へ行けたかもしれない。
実際におんぶとお姫様抱っこ、どっちが楽かなんて試したことないから知らない。でも見た感じではおんぶの方が楽だと思う。だからこそ、お姫様抱っこをすることに意味がある。
その時できなかったお姫様抱っこを成功させることが、僕の目的だ。
「行きますよ!」
ぐっと足に力を込めて、僕はゆっくりと立ち上がる。
以前一度、先輩を同じように持ち上げようとしたことがあった。先輩が足を怪我して保健室まで運ぼうとした時だ。あのときは、結局このまま持ち上げることができなかった。
あれでショックを受けたのは先輩だけじゃない。
何よりも自分の不甲斐なさを実感した僕だ。このままじゃいけない、そう思った僕は筋トレを始めた。目標はもちろん、先輩を持ち上げることだ。まさか、あのときの敗北がこんなところで役に立つとは思わなかった。
今こそが、成長を見せるに最も相応しい瞬間だ。
「透真、あなた……」
ゆっくりとだけど、確実に持ち上げていた。
先輩は目を丸くして僕の顔を見つめる。お姫様抱っこをしているので顔と顔が近い。そんな至近距離で見つめられると照れるけど、そんなことを言っている余裕はない。それでも僕は力を入れ続けた。
これくらいできないで、この先千波先輩の隣に立てるわけがない。
「……ッ」
完全に立ち上がった僕は一歩、また一歩と階段を上がっていく。
当然だけど、階段を上がる際には立ち上がるよりもさらなる力が必要になる。分かってはいたけど、想像よりキツい。でも、ここで苦しい顔をしちゃいけない。これくらい全然余裕だって顔をしろ。先輩に悟られちゃいけない。笑え。
ていうか、この階段こんなに長かったっけ。
そう思って、一瞬上を見るとまだ半分くらいあった。足と体力はもう二往復くらいした後のような疲労感だった。
体が重い。
今すぐにでも止めてしまいたい。
僕はよく頑張った。ここまでやれただけで上等じゃないか。
その努力を、きっと先輩は認めてくれる。
称えてくれる。
それで先輩に気持ちを伝えるんだ。
「……はァ、はッ」
それで、いいわけないだろ。
ここで諦めるわけにはいかないんだ。
上まで行かないと、意味がないんだよッ!
僕はどれだけ時間がかかっても、決して歩みを止めることはしなかった。
僕の表情はもう歪んでいたかもしれない。
でも、先輩は何も言わなかった。僕の気持ちを察してくれたのかな。だとしたら、格好悪いような気がする。こんなにフラフラになって、女の子一人持ち上げて階段も登れない。
不格好だ。
でも、やり遂げる。成し遂げる。
「う、おおおおおお!」
そして。
遂に。
僕は最後の段を登り、展望台にたどり着いた。
ゴールにたどり着いたことで気持ちが緩んで、僕は一瞬だけ倒れそうになる。でもまだだと思い、足に力を込めて踏ん張った。
先輩をベンチに座らせて、僕は先輩の前で膝をついた。
「……見直しましたか?」
ちょっとくらい格好つけてもいいだろう。
あれだけのことをしたんだから。
「あれだけ苦しい顔しながら運ばれる、こっちに身にも、なってほしいわ」
先輩はにこりと笑って、そして俯いた。
瞳が潤み、揺れているのが見えた。
「先輩を運べなかった日から、ずっと筋トレしてました。先輩に何かあったときに運べないじゃ終われないと思って。まあ、まだまだダメダメでしたけど。予定ではもうちょっと軽い感じで行けるつもりだったんですけど。格好悪くて、すみません」
あはは、と僕が笑うと千波先輩はぎゅっと僕に抱きついた。
「……あの、先輩?」
僕は突然のハグに心臓をバクバクと高鳴らせる。
「汗びっしょり」
「ごめんなさい」
暑い上に疲れたんで、そりゃ汗はかいちゃいます。
「息も切れるくらい疲れて、体も震えて」
「あ、はは」
まるで子鹿みたいに体が震えていたからなあ。
「でも、カッコよかった」
耳元で言われたその言葉で、僕の疲れは全て吹っ飛んだ。
まさか、そんなことを言ってもらえるとは思ってなかったから。
「これからももっともっと頑張って、心配かけないくらいに強くなって、先輩を支えれるようになります。そのためだったら、僕はどんな苦労だって乗り越えられる」
「……うん」
先輩は僕から離れて、ベンチに座り直した。
そして僕の瞳をじっと見つめる。僕も彼女の瞳から目を逸らさない。
「今はまだ未熟で頼りなくてダメダメです。でも、必ず先輩を守れるくらいに強くなる。だから、これから先もずっと、隣りにいてもいいですか?」
僕が言える精一杯の告白、のつもりだったんだけど少し続いた沈黙が怖い。
上手く伝わらなかったかな? もうちょっとちゃんと言うべきだったかな、と僕は恐る恐る顔を上げる。
「それは、告白?」
「……はい」
確認された。
やっぱり上手く伝わってなかった。最後まで決まらないとか、僕の人生どうなってんだよ。
「今日、一緒に過ごしてどうだった?」
「楽しかったです」
僕は即答した。
けど、そういう意味じゃなかったのか先輩は小さく溜め息をつく。
「私、自分で歩けなくて、透真にたくさん迷惑かけたよ。暑い中、私は運んでもらってばっかりだったし、バスに乗るときや階段だって、大変な思いさせちゃった」
「関係ないです。僕が好きでやってるんですから」
そうだ。
そんなことを理由に離れられるなんて納得できない。
「私は、大好きな透真に迷惑をかけたくないなあ……」
「僕が嫌いだったら仕方ないって諦めます。でも、そうじゃないなら僕のことを信じて下さい。迷惑だなんて、これっぽっちも思ってないんです。これから先もずっと、僕は先輩を支える覚悟をしています」
先輩は俯き、肩を震わせる。
「私、きっとこの先もいっぱい迷惑かけちゃう。大変な思いをさせちゃう」
「それでもいいんです。僕にも分けて下さい。楽しいことも、嬉しいことも、辛いことも、悲しいことも、全部一緒に感じたいんです」
その時だ。
先輩は手に力を込めて前に飛び出した。
さっきのようにゆっくり抱きついてくるのではなく、勢いよくこちらに飛び込んできた。
「ありがと、透真。私を好きでいてくれて」
「……はい」
僕は先輩が飛び込んできた勢いで倒れそうになるが、何とか堪えて受け止める。ここで倒れるなんて格好悪いにも程がある。最後くらい、何とか格好つけたいもんだよ。
「これからも、よろしくね」
こうして、僕と先輩は恋人になった。
それと同時に、先輩は前を向いてくれた。
彼女を絶望から救い出す。それだけを考えていたけれど、成功ってことでいいんだよね? 僕は、やるべきことをやったんだよね?
不安だったけれど、千波先輩の涙混じりの笑顔を見ると、そんな気持ちは吹き飛んだ。
そうだ。
僕はこの笑顔のために頑張ったんだ。
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