第18話
帰り道、僕はバスに揺られながら窓の外をぼーっと眺めていた。
何かを考えようとしても他の思考が邪魔をして、上手く考えがまとまらない。でも考えなきゃならない。これから僕はどうするべきなのかを。
「……」
千波先輩のお母さんに言われた一言。
それは僕にとってというより、千波先輩にとってとても重要で大変で、そして辛い現実だったから。僕はそんな彼女にどう接すればいいのか、どうしていいのか、どうしても分からなかった。
きっと千波先輩が僕らと会いたがらないのはそれが理由だ。
だって、僕なら耐えられないだろうから。
家に帰って晩ご飯の準備をする。いつも父さんが帰ってくる時間には何とか間に合わせたけど、その日は珍しく父さんの帰りが遅かった。
いつもより一時間ほど遅く帰宅した。
「悪いな、待っててくれたのか」
食欲もなかったので、僕は父さんの帰りを待っていた。誰かと一緒ならばご飯も喉を通るだろうと思ったから。父さんの前だし、気丈に振る舞わないとと思うと、ご飯を食べることはできた。
でも、いつものような会話はできなかった。父さんも僕のおかしな空気を察してかいつものように絡んでは来なかった。
けれど。
「透真よ」
沈黙を破って、父さんが僕の名前を呼んだ。
名前を呼ばれて、僕は顔を上げる。
「ひどい顔をしているな」
「そ、そう?」
自分では気づかなかったけれど、僕の今の顔はそこまでひどいのか?
「お前がそんな顔をしていてどうする。彼女に合わせる顔が、そんな顔でいいのか?」
分かっていることを言われると、少しだけイラッとした。
父さんは何も知らないから、そんなことを言えるんだ。もしも、あのことを知ったら、知って千波先輩のことを思えば普通は笑えない。
「父さんは何も――」
「千波ちゃんのことは聞いたぞ」
僕の言葉を遮るように父さんは言った。
その言葉の意味が分からなくて、僕は言葉も動きも止まってしまう。
「今日、病院に行ってな、千波ちゃんのお母さんと話してきた」
「なんで」
僕が聞くと、やれやれと父さんは鼻を鳴らす。
「息子が迷惑かけていないかとか、父親にはいろいろと気にすることがあるんだぞ。仕事終わりに少しだけな」
だから今日は帰ってくるのが遅かったのか。
でも、先輩のお母さんと話したって何を……。
「千波ちゃん、足が動かないんだってな」
父さんの言葉を聞いた瞬間、心臓がドクンと大きく跳ねる。
どうして父さんがそのことを知っているのか、と思ったけれど普通に考えれば千波先輩のお母さんに聞いたのだろう。きっと僕に話したから、父さんにも話したんだ。僕だけに話したとなると抱え込んでしまうと心配されたのかも。
今日、病院に行ったときに聞かされた千波先輩の現状。
交通事故の影響で足が動かなくなったそうだ。いろいろと難しい説明があったんだろうけど、先輩のお母さんが僕に話してくれたのはその事実だけだった。足が動かなくて、もうどうしようもないということ。
その現実に、先輩が塞ぎ込んでしまっていること。
先輩のお母さんの言葉が届かないこと。
「ずっと水泳をしてきて、周りからも期待されて、それに応えようと必死に努力してきた彼女にとって、その現実はあまりにも残酷だろう。それだけじゃない。今までのような生活ができなくなるんだ、感じる絶望は計り知れない」
今の千波先輩と比べると、僕の骨折なんて大したことないけど、それでも今まで当たり前のようにできていたことができなくなる辛さは知っている。
手ではなく足で、それも一時的にはなく永続的にとなると、きっと僕の感じたものよりずっと大きくて暗くて重い絶望のはずだ。
その話を聞いて、僕はどうしていいか分からなくなったのだ。
「お前は最近、毎日顔を出していたそうだな」
「うん、まあ。それくらいしかできることはないから」
でも、それもどうしていいのか分からない。
先輩のお母さんはああ言ってくれたけど、もしかしたら先輩はもう僕を見たくないのかも。目の前で普通に動ける人を見るのが苦しいと感じているのかもしれない。
だとしたら、僕は。
「いいじゃあねえか。それしかなくてもできることがあるんだから。やっぱり、お前は俺の息子だよ」
「どういう意味?」
ふうっと父さんは小さく息を吐いた。
「母さんが病弱だったことはお前も知っているな」
「うん」
「それは何も大人になってからってわけじゃあない。母さんは子供の頃からずっとそうだったんだ。病弱で、よく学校を休んでいた。時には入院していたときだってある。母さんの入院は珍しいことじゃなかったんだよ」
「へえ」
父さんは母さんの話はするけれど、昔の話はあまりしたがらなかった。それは同時に自分の若い頃を晒すことになるから、恥ずかしかったのかもと思っていた。
「高校生の頃、ちょうど今のお前くらいの歳の時だな。母さんがいつものように入院してな。当時、いろいろあって塞ぎ込んでいた母さんは、誰とも会おうとしなかったんだ」
「なんで塞ぎ込んでいたの?」
「それは言えん。母さんの名誉もあるからな」
何でだよ。
「その時はまだ恋人じゃなくて、ただのクラスメイト。まあ強いて言えばサッカー部の選手とマネージャーだな。つまり、それだけの関係でしかなかった俺だが、母さんのことが心配で仕方なかった。でも、お見舞いに行っても母さんは会ってくれなかった」
それはまるで、今の僕と千波先輩のようだった。
だから父さんはその話を僕にしてくれているのだろう。不器用で、大事な時には口下手だから真剣な話はロクにしないのに。
僕に何かを伝えようとしてくれている。
それだけは何となく分かった。
「でも諦めきれなかったし、何よりじっとしていられなかった。部活もあったから、その後の短い時間だけど、俺は毎日病院に顔を出した。止めろと何度も言われたけど、それでもしつこく通い続けた。そしたら、いつだったか母さんは呆れ果てて顔を合わせてくれたんだ。きついビンタを浴びせられたけどな」
「美談なの、それ」
笑いながら言っているけど、少し間違えればストーカーだと思うんだけど。
僕が呆れてツッコむと、父さんは「でもな」と話を続ける。
「その後だぞ、父さんと母さんが付き合ったのは」
「嘘でしょ……」
「嘘じゃねえよ。今のお前を見ていると、その時のことを思い出したよ。そのしつこさと忍耐力は間違いなく俺の息子だなってな」
そして、ニカッと笑った。
父さんは塞ぎ込んで病室に引きこもっていた母さんを無理やり連れ出すのではなく、諦めて立ち去るわけでもなく、ただ待ったのだ。母さんが自分の意志で、その殻を破って出てきてくれるのを。
父さんが何を言いたいのかは何となく分かった。
結局、自分の選んだ道を突き進めということなのだろう。
僕の選んだ道……。
そうだよね、自信を持って突き進もう。
その道が、間違っていないんだって証明するために。
「父さん」
僕が言うと、父さんは眉をぴくりと動かしてこちらを見た。
「ありがとう」
「オウ」
そして、やっぱり父さんは笑うのだった。
あのときの選択が正しかったと信じているから、父さんは今もこうして笑えているのだろう。
だったら僕も大丈夫だ。
何故なら、僕はこの人の息子だから。
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