第14話


 毎日が楽しかった。


 教室では陽介と馬鹿な話をして盛り上がる。


 廊下で日奈子先輩とすれ違えばくだらない話で笑い合う。


 部活では大亀や部長さん達と他愛ない話をして過ごし。


 帰り道は千波先輩と二人で帰る。


 そんな日々が愛おしくて、楽しくて、こんな毎日がずっと続けばいいのにな、と眠るときにふと思う。


 何もかもが順調に進んでいる。


 順風満帆というのは、こういう日々のことを言うんだろうなあ。


「鳴海、この問題を解いてみろ」


 ぼーっと外を眺めながらそんなことを考えていると、先生に当てられてしまう。僕は何とか答えようとしたけれど、あんまり話を聞いていなかったのでダメだった。


 座るよう言われて僕は再び外を見る。

 体育の授業をしている生徒がグラウンドを走っている。こんな暑い中走らされるなんて大変だな、と思っていると日奈子先輩の姿を発見した。どうやら、二年生のようだ。


 ということは千波先輩もいるのだろうか、と思い探してみるが見当たらない。見逃しただけだろうかと思って何度も探したけどやっぱり千波先輩の姿はなかった。


 怪我とかかな?


「鳴海! この問題を解くんだ」


 僕が授業に集中していないことに再び気づいてしまった先生が僕を名指しする。しかし、もちろん問題は解けなかったのでその後こっぴどく怒られてしまった。


 ようやく授業が終わる。


 僕は何気なく大亀の席へと向かった。


「どしたの?」


 僕の接近にいち早く気づいた大亀がこちらを振り返った。


「千波先輩って最近ケガとかした?」


「してないよ。鳴海も練習見てるじゃん」


 以前と同じように僕はよく水泳部の練習を見に行っている。でも以前に比べるとその頻度は少しだけ減った。別に深い意味はないけど、補習とかいろいろ立て込んだのだ。


「まあ、そうだけど、ありがと」


「どうかしたの?」


「ううん、何でもない」


 心配そうな声をかけてくれた大亀に僕は何でもないよとかぶりを振った。

 大亀の席から自分の席に戻ると陽介が待っていた。


「今日昼飯どうすんの?」


「んー、学食かなあ」


 用意はしてきてないから何かしら手配しなければ空腹を満たすことはできない。購買でパンを買うなら昼休みの開始と共に走らなければ間に合わない。人気のパンはすぐになくなって、よく分からないパンだけが残るのだ。


 大亀と話していたこともあって、今日はそのスタートダッシュをし損ねた。


「よっし、そういうことなら行きますか」


 そう言って、陽介は立ち上がる。


 その時だ。


 ガタン! と大きな音が鳴る。教室の扉に何かがぶつかったような音だった。僕らは何事かと音がした方に視線を移す。


「透真くん!」


 そこにいたのは日奈子先輩で、彼女は僕の名前を呼んだ。

 さっきまで体育の授業を受けていたからまだ体操着のままだった。何か用事なんだろうけど着替えてからでもよかったのに、と僕は日奈子先輩の元へと向かう。


 近づくと、日奈子先輩の表情がいつもと違うことに気づいた。

 温和で落ち着いていて、余裕のある表情を見せるいつもの日奈子先輩と違って、今は焦りと不安と恐怖に満ちあふれているようだ。


 何かあったことは、さすがの僕も察した。


「どうかしたんですか?」


 日奈子先輩の焦り方は尋常じゃない。今まで彼女がここまで感情を表に出しているところを見たことはなかった。


 そして、日奈子先輩が僕の元までこうしてやって来ているということは、恐らく千波先輩が関係していることは何となく察した。


「ここじゃ何だから、ちょっと来てくれる?」


 ここまでよほど全力で走ってきたのだろう。まだ息が整っていないまま、日奈子先輩は僕を連れて教室を出る。


 陽介と大亀が僕を心配そうに見ていることに気づいた。日奈子先輩がここまで焦って僕の元へ来たということは千波先輩が関係している、ということを二人も察したのだろう。


 けど、ついてくることはせずにただ、教室を出ていく僕を見送るだけだった。

 腕を引っ張られながら階段の踊り場までやって来た。


 この上は屋上で、屋上は閉鎖されているのでここにやって来る生徒はいない。いたとすればせいぜいひと気のないところでイチャイチャしたいカップルくらいだろう。


「……」


 ぜえぜえと肩で息をする日奈子先輩は膝に手をついて息を整える。


「あの、日奈子先輩?」


 僕が名前を呼ぶと、ふうっと大きく息を吐いてようやく顔を上げた。その時の表情は少しだけ落ち着きを取り戻していた。

 それでも、まだいつものようだとは言えないけれど。


「透真くん、落ち着いて聞いてね」


 日奈子先輩はガシッと僕の肩を掴む。


 その手は微かに震えていた。大きく震えるのを必死にこらえているように思えた。

 嫌な予感が体の奥底から込み上げてくる。


「は、はい」


 きゅっと唇を噛んだ日奈子先輩は意を決したように顔を上げる。


 そして、衝撃の言葉を口にした。






「千波が、交通事故に遭ったって」






 一瞬理解出来なかったけれど、その言葉が四肢を巡って脳に行き渡り、僕はようやく日奈子先輩の言った言葉を飲み込んだ。けれど、意味を理解しただけであって、決して受け入れることができたわけじゃなかった。


「それって、どういう」


 日奈子先輩が狼狽えるわけだ。

 いつも冷静沈着な彼女がここまで冷静さを欠いて動揺するのだから、それが普段から揺れまくりの僕が聞いたら混乱するに決まっている。



 その瞬間、まるで世界が崩れていくような錯覚に襲われ、目の前が真っ暗になった。

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