第11話


 暫く歩いていると海岸沿いのエリアに到着した。


 日曜日だからか人の数は多いが、ご飯を食べる場所はまだ混み合ってはいない様子だ。時間がまだお昼時には少し早いからだろう。もしかすると、先輩はそれも考えての提案だったのかもしれない。


 幾つかお店がある中で、海鮮丼のお店に入る。


「ここはね、安くて美味しい海鮮丼が食べれるお店なの。しかも量も多いから学生には人気あるんだよ」


「へえ」


 ちらほらと見えるお客さんは確かに学生くらいの歳の人が多い気がする。これから家族連れのお客さんも増えるんだろうけど。


 僕はマグロ丼、千波先輩は三色丼を注文する。暫くすると料理が運ばれてきた。確かに見ただけでも多いと分かる。ご飯の量が多いのかと思っていたけど、具の量もしっかりある。それでこの安さは破格だ。


 よく考えると提供スピードも速い。これはもはやファーストフード店と遜色ない。安い、速い、多いと来たら確かに学生の味方だ。それに加えてしっかり美味しいのだからもう国民の味方と言ってもいい。


「美味しい!」


「気に入ってくれて安心したわ」


 海鮮丼で昼食を済ませた後、どこに行くのかと思ったら水族館へと案内された。さっきの海鮮丼のお店から徒歩五分のところにある施設で、そこまで大きくはないようだ。


「水族館ってすごく久しぶりな気がする」


「今更だけど、水族館でいい?」


 ハッとした先輩が不安そうに聞いてくる。そんな顔をされると断りたくても断れないぞ。いや、そもそも別に嫌だなんて微塵も思っていないけれど。


「あ、それは全然。何なら久しぶりなんで楽しみです」


 本当に小学生の時に行ったかな、と思うくらいには来ていない。

 中に入ってチケットを買う。水族館にしては良心的な価格だったのは、この広さと関係しているのかな。


「ここはね、子供の時によく連れてきてもらった場所なの」


 水瀬先輩は昔を懐かしむような視線を水槽に向けながら言った。


「そうなんですか。そんな場所に来れて、嬉しいです」


 水族館は照明の作りも、海の中にいるというのを表現しているのか、若干青がかっていることが多い。薄暗い照明の中で魚を見る雰囲気は割と好きだという印象があったけれど、改めて歩いてみるとその印象通りだった。


「先輩は好きな魚とかいるんですか?」


「んー、好きな魚……というよりは魚は基本的には好きかな。楽しそうに、自由に泳いでいるところを見るのが好きなの」


 先輩が見ている方向を見ると、そこでは魚たちがあちらこちらで楽しそうに泳いでいた。楽しそうに見えたのは、先輩がそう言ったからかもしれないが、しかしそうだと思って見てみると確かに魚たちは生き生きしている。


 自由に泳いでいる姿が好き、と言っていたけれどそれは憧れのようなものなのだろうか? だとするなら、先輩は自由に泳げていないと言っているようなものだけど、それは僕の考えすぎなのかな?


 ただ単純に、自分と同じように楽しく自由に泳いでいるところが好きという意味だったのかもしれない。


「透真は? 何か好きな魚はいる?」


 聞かれて、僕は少し考える。

 こんなことを考えるのは申し訳ないが食べることに関して好き嫌いを考えたことはあるけれど、鑑賞という目的で魚を見たことがないので好きという感情はなかった。


「魚と言われると、僕は逆にぱっと出てこないかな。でも、考えてみるとくらげとか好きかも」


「くらげ?」


 先輩の言葉に僕はこくりと頷く。


「何となく、なんですけど。ぷかぷか浮いてて半透明で綺麗だし、じーっと見てても飽きないかもって思ったくらいで」


 僕が言うと、先輩はぷっと小さく吹き出した。え、僕何かおかしなこと言っただろうか?


「ごめんなさい。何だか面白くって」


「何か変なこと言いました?」


 しかし、先輩はかぶりを振る。


「そんなことないわ。ただ、そんな見方もあるんだなって思って」


「それだけでそんなに笑いますかね?」


 何だか誤魔化されたような気がしたけれど、それ以上聞いても何も答えてはくれなかった。だとするとこのもやもやはどうあっても晴れないので忘れることにする。


 いろんなエリアを見た。


 魚たちのエリアの先にはくらげや珍しい生き物もいて、さらには海の生物を触れるコーナーなんかもあった。僕たちは水族館を隅々まで堪能した。


 隣で楽しむ先輩の姿が、何だかいつもと違って可愛らしく見えたのは気のせいじゃないだろう。いつもは先輩として振る舞っているから少し大人びているというか、クールに見えるけれど、今日は年相応な女の子って感じだ。


 僕の前で、そこまで楽しんでくれていることに僕は嬉しさを感じた。


「あー、楽しかった! 案内することすっかり忘れて楽しんじゃった」


 水族館を出たところで、先輩はぐっと体を伸ばしながら言う。

 楽しかったけど、結構歩いたり立ちっぱなしだったから疲れたな。僕はこんな感じだけど、先輩はまだまだ行けるのだろうか? だとしたら、いやそうじゃなくても、先輩の前で格好悪いところは見せたくないし、見栄を張るけど。


「僕も楽しかったです」


 僕は疲れていませんよという顔を必死に作る。もしかしたら、その必死さでバレてしまっているかもしれない。そのことにツッコんではこなかったので、上手く見栄を張れていればいいんだけど。


「いい時間になったね。バスの時間もあるし、そろそろ……」


 日は沈み始めており、赤々とした夕暮れが町を染めていた。辺り一面が暗くなる一歩手前の景色に包まれる。この光景は一日の終わりを感じさせる。だから、僕はあまり好きじゃなかった。


 今までこんなこと思ったことなかった。

 この町に来て、先輩と出会って、みんなと仲良くなって、毎日が楽しくなったからそう思うようになった。


「ねえ、透真」


「はい?」


 僕は先輩を振り返る。


「最後に一箇所だけ行ってもいい?」


 そう言った先輩の顔はどこか名残惜しそうに見えた。そう見えたのは僕がそう思っ

ているからで、先輩もそう思っていてくれればなという気持ちがそう感じさせているのかもしれない。


 でも、確かに僕にはそう見えたのだ。


「もちろん」


 それ以外に答えはない。

 先輩に連れられ、僕が向かった先は海岸沿いの展望台だった。

 少し長めの階段を登っていくと、少し狭いが広場がある。そこから海が一望できる。反対側を見れば町が見渡せる。暗くなり始め、明かりが灯り夜景とまでは言えないが綺麗な景色が広がっていた。


「ここは?」


 海の方にある手すりに手を当てて、先輩は僕の方を見た。


「私が一番好きな場所なの」


「そうなんですか?」


 僕が聞くと、先輩はこくりと首を動かした。

 手すりを両手で持って、先輩は海の方に視線を向けた。身を乗り出せばそのまま落ちてしまいそうだが、そんな危ないことは流石にしない。


「子供の頃、お父さんとお母さんが連れてきてくれたの。ここでお父さんがお母さんに告白して、プロポーズもしたんだって。ここは二人の思い出の場所なんだよって教えてくれたの」


 まるでその時の景色でも見ているように、先輩は懐かしむように話してくれた。


 僕の母さんは体が弱く、入院してばかりだったからあまり一緒に出掛けるということはなかった。もし母さんが元気だったら、僕もそんな感じで思い出話を聞かされていたのだろうか。


 その時があればきっとうざったいと思いながら聞いていただろうけど、今ならば真剣に聞きたいと思う。といっても、父さんに聞くつもりはないけれど。僕の中の母さんとの思い出はそのほとんどが病室の中だったから、そういう思い出が羨ましいと思う。


「一度連れてきてもらってからは、私もここが気に入って一人でも来るようになったんだ。嫌なことがあったときとか、不安なときとか、ここから大声で叫んだりしたらすっきりしたんだよ?」


「先輩でもそういうことするんですね」


 高いところで何かを叫ぶというのは青春の一ページにありそうな光景だけれど、それを先輩がしているところは想像ができなかった。だから、少しおかしく思えたのかも。


「さすがに今はしないよ? もう少し小さい時にね」


 なんだ、と僕はちょっとがっかりしてしまう。そんなことをする先輩も見てみたかったな。


「叫んだりはしないけど、ここから海をぼーっと見るのが好きで今でもたまに来るんだ」


「今日はどうして?」


 こっちの方まで来たから見ておきたかった、とかだろうか?


 今日の案内は先輩に一任していたので、僕にはどうこう言う権利はなかった。いや、あっても文句なんて一文字も出ないくらい満足した一日だったけれど。


「透真に、この景色を見てほしかったの」


「僕に?」


 何で、と聞こうとしたけど言葉が出てこなかった。

 夕日に照らされた先輩の顔が綺麗で、文字通り言葉を失ったのだ。そんな些細なことなどどうでもよくなるほどに、僕は彼女に見惚れてしまった。


 ああ。



 きっと、僕は先輩のことが好きなんだ。


 父さんや母さんに向ける好きでも、陽介や日奈子先輩に向ける好きとも違う、特別な好き。異性に向ける、ずっと一緒にいたいと思う、そんな気持ち。


「ダメだった?」


 僕をからかうように先輩はそう言った。そう言っても、きっと 僕が否定しないことを分かっているのに、わざわざそんなことを言ってくるとは中々意地の悪い人だ。


「いいえ、嬉しいです。先輩の特別な場所を知れて」


 僕も正直な気持ちを口にする。


 とはいえ、今はこれが精一杯だ。

 いつか、この気持ちが伝えれるように頑張ろう。


 先輩は誰もが憧れるスターのような存在で、みんなの人気者で、誰からも期待を寄せられる実力者でもある。そんな彼女に、好きだと伝えるのは中々に困難だ。そうはいっても気持ちの問題だけれど。


 今はまだ、このままでいいや。

 この時間を楽しいと思うから。

 この瞬間が愛おしく思えるから。


「この景色も見せることができたし、そろそろ帰ろっか」


 先輩はそう言って、僕に笑顔を見せた。


「そうですね」


 こうして、長い一日が終わる。

 一日の終わりをこれほどまでに名残惜しいと思ったことはなかった。

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