第6話


 じりじりと太陽の日差しが肌を焼く。


 最近温度が急に上がり、いよいよ夏の到来を思わせるとある日、僕は松葉杖をつきながらとある場所へと向かっていた。


 聞くところによると、今日から学校のプールが使えるようになったらしい。授業で使用するのはもう少し先だが、水泳部が部活動で使うために先日掃除を行ったらしい。つまり、水瀬先輩の練習が本格的に始まるのだ。


 家に帰っても特にすることはなく、かと言ってこの足でどこかに出掛けることも出来ないので、僕はいつか約束した練習風景を見学するという約束を果たすためにプールに向かっていた。


「……でも、冷静に考えるとこれってあれだよな、女子生徒の水着見に行ってるみたいに思われるよなあ」


 うちの学校の水泳部は男子がいないらしい。そもそも生徒数が少ないのでそれぞれの部員数も余裕はない。水泳部に至ってはごく少数しか在籍していないらしい。


 その全てが女子なので、男子の僕は本来入るべきではない場所なのだ。


「先輩のことだから、多分事前に言ってくれてるってこともないだろうしなあ」


 なんてことを考えながら歩いていると、いつの間にかプールのすぐ前まで来てしまっていた。別に今日見学に行くとは先輩にも伝えてないし、どうしようかな、やめとこうかなと悩んでいると後ろからぽんと肩を叩かれる。


「何してるの?」


 僕は警察に怪しまれた犯人のような気分で後ろを振り返る。

 そこにいたのは阿澄先輩だった。いつものように髪をローツインテで纏め、メガネを光らせる。紺色を基調とした襟に白のラインが入ったセーラー服は夏服に移行していた。僕もそうだけど、肌が露出しているだけで涼しさを感じる。これは別に変な意味はない。


「あ、阿澄先輩」


「こんなところで……」


 僕がいる場所はプールのすぐ前。

 そして今は部活動の時間。


 さらにそこにいるのは女子部員のみ。

 それらを加味してか、阿澄先輩はハッと何か思いついたような顔をする。


「覗きはよくないよ? そんな回りくどいことしないでも、鳴海くんなら千波は頼めば見せてくれると思うけど」


「そういう理由じゃないですよ!?」


 案の定勘違いされた。

 僕は咄嗟に否定すると、阿澄先輩はくすくすと笑う。


「冗談だよ。それで、本当のところはどうしたの?」


「えっと、実は水泳部の練習風景を見学しようと思ったんですけど……」


「水泳部は女子部員しかいないから変態と思われたりしないだろうか、と悩んでいたわけだね?」


 何だこの人、エスパーか?

 僕の中の気持ち全てを言い当ててしまったぞ。


「まあ、そんなとこです」


「それじゃあ私も一緒に行ってあげるよ。それなら大丈夫でしょ?」


「いいんですか? てうか、阿澄先輩は何でこんなところに?」


 プールに用事でもない限り、こんなところにまで来ることはまずない。だって、この先にはプールしかないから。


「ん? ああ、別に用事はないよ。帰ろうとしたら鳴海くんを見かけたから、どこに向かってるのか気になって尾行してたんだ」


「そんなナチュラルにストーキングをカミングアウトされても」


 僕が言うと阿澄先輩はおかしそうに笑う。

 僕個人としての話だけれど、阿澄先輩は見た目と中身の印象にギャップがある。第一印象では大人しいお淑やかな感じかと思っていたけど、水瀬先輩よりもずっとやんちゃというか明るい。陽介とフィーリングが合うのも頷ける。


 初めて学食で昼ご飯を一緒に食べてから顔を合わせる機会が増えたけれど、会えば会うほどそのイメージとのギャップに驚いてしまう。


 とはいえ、話しやすく面白い人なのでこうして並んで歩いている時間は嫌いじゃない。


「あ、そうだ。一ついいかな?」


「はい?」


「練習の見学に付き合ってあげる見返りを求めてもいい?」


 いたずらを思いついた子供のような顔だった。

 こういう顔をした人のお願いは多分ロクなことにならない。でも、ここで断ると阿澄先輩は帰ってしまう可能性が高い。冗談で済まさずに本気で帰るに違いない。


「内容を聞いてから考えます」


「そんな警戒しないでもいいのに」


「それで?」


「キミのこと、透真くんって呼んでもいい?」


「え、急になんですか?」


「別に深い意味はないよ。こうして仲良くなったし、そういうのもいいかなって」


 本当にそれだけだろうか、と疑ってしまうのはよくないことだ。

 確かに、現に阿澄先輩とは仲良くなったと思う。友達といってもいいだろう。友達ならば名前で呼ぶことだって別におかしいことじゃないしな。


「まあ、それくらいなら」


「だから、透真くんも私のこと日奈子って呼んでね?」


「ええー」


 僕は露骨に嫌そうな顔をする。

 名前で呼ぶのが嫌なのではなく、そういう経験がないから何となく恥ずかしいのだ。


「そんな嫌がらなくても。ほら、予行練習だと思ってさ」


「何のですか……」


 僕が呆れたように言うと、阿澄先輩はニタリと笑う。


「さあ、何のだろうね。私は日奈子と呼ばれなければ反応しないからね?」


「そんなあ」


 軽い気持ちでオッケーするんじゃなかった、と後悔しながら前を歩いてくれる日奈子先輩について行く。


 僕たちはプールサイドに入る。ばしゃばしゃと水を掻く音が聞こえてくるので部員は頑張って練習しているのだろう。


 日奈子先輩は慣れた感じでテントの下に入る。水瀬先輩の幼馴染だって言ってたし、もしかしたらよく見学に来てたのかもしれないな。


 練習しているのは四人。

 そのうちの一人は水瀬先輩だ。残る三人のうち二人は知らない顔だけれど、一人は同じクラスの生徒だった。あまり話したこともないので、知り合いと呼べるほどでもない。


「頑張ってるねえ」


「日奈子先輩はよく見学に来るんですか?」


「いや、よくってほどじゃないかな。たまにくらい。いや、たまにって言うほど来てないか」


「ほぼ来てないんですね」


 その割には迷わずこのテントの下に入ったな。

 見た感じインドアっぽいし、太陽の光が嫌いなのかな。吸血鬼みたいだな。でも、そうか、だから何となく親近感のようなものがあるのかも。僕も根っからのインドアだし。


「先輩は何か部活入ってるんですか?」


「一応、美術部にね。ご覧の通り、熱心に毎日通っているわけじゃないんだけど」


「その辺はイメージ通りだ」


「どの辺がイメージ通りじゃなかったのか気になる発言だなあ」


「それは、まあいろいろと」


 僕は誤魔化した。

 正直に話すと、何されるか分からない。多分、声を荒げて起こるタイプじゃないだろうけど、その代わりどんなことされるか分からない恐怖がある。これも本人には絶対に言えない。


「いいけどね、別に。そんなことより、どうして透真くんは水泳部の練習を見学に来たの? まさか本当に変態的理由だったとか?」


「だから違いますよ。ただ、水瀬先輩の練習風景見てみたいなって話を以前したことがあって、学校で練習できるようになったって聞いたから」


 断じて、それ以外の理由はない。

 あったとしても、一割とかその程度だ。うん。


「そう言えば、そんなことも言ってたなあ」


 僕の言葉を聞いて、日奈子先輩はしみじみと呟いた。


「どういう意味ですか?」


「ううん、こっちの話。気にしなくていいよ」


「はあ」


 そう言われると逆に気になってしまうのが人間の性というものなんだけど。聞いてもきっと答えてくれないだろうな。


 僕らがそんな話をしていると、プールから上がった一人の部員がこちらに気づく。一人が気づくと連鎖的に次々と部員が僕らを見る。もちろん最終的には水瀬先輩も僕らの存在に気づいた。


 そして、こちらへとやって来た。


「何してるの?」


 水瀬先輩が聞いてくる。そう言われると咄嗟に言葉が出てこない僕の代わりに日奈子先輩が答えてくれる。


「透真くんが千波の水着見たいって言うから」


「言ってない!」


 前言撤回。


「透真、くん?」


 この人は面白がっている。面白くなることしか考えていない。今は完全に僕のことをからかっているのだ。


「違いますよ、先輩! 以前話したように、先輩の練習が見たくて見学に来ただけですから! 日奈子先輩の言っていることは一から一〇まで全部でたらめですから!」


「日奈子先輩?」


 僕は言い訳するのに必死だったが、水瀬先輩さっきから何かぼそぼそと言っていないか? 怒っている、感じじゃないのは何となく雰囲気で察することができるけれど。


「……」


「あの、先輩?」


 難しく考え込む先輩の顔を、僕は恐る恐る覗き込んで見る。そのことに気づいた先輩はハッと我に返った。


「何でもないわ。見ていて楽しいものじゃないと思うけど、好きなだけ見ていって。部員の子たちには言っておくから」


 それと、と戻ろうとした先輩がこちらを振り返る。


「日奈子、後で少しお話があるから」


「はーい」


 日奈子先輩の返事は、まるでそう言われることが分かっていたようなあっさりしたものだった。


「何の話なんですかね?」


「んー、だいたい予想はつくよ」


 やっぱりそうなのか。

 日奈子先輩は隣で楽しそうに笑っていた。


「うふふ、仕込んだ甲斐があったよ。透真くんも、協力ありがとね」


「何もした覚えないんですけど……」

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