第4話
僕はリハビリを頑張った。
それはもう体力と時間が許す限りがむしゃらに頑張った。
と言えば格好いいのかもしれないけれど、その理由の半分は退屈凌ぎだ。今まではベッドの上から動くことができなかったので時間を潰すのも一苦労だったけれど、リハビリが許されてからは割と退屈しなかった。
動ける、というのはとても素晴らしいことだと改めて実感した。
とはいえ、その理由のもう半分の理由は間違いなく先輩との約束だ。
多分これから大会が近づくにつれて忙しくなるだろうから、もしかしたらずっと先の話になるかもしれない。それでも、そう約束してくれたことが嬉しくて、僕はつい舞い上がってしまっていた。
それもあるんだけど、練習風景を見に行くことを許されたり、そういう約束をしてくれたりと、入院生活が終わっても先輩と会うことができる、というのが何よりも嬉しい。
「……お前、水瀬先輩のこと好きなの?」
そんな話をお見舞いに来てくれた陽介にしてみたら単刀直入に言われたので、僕は思わず飲んでいた飲み物を盛大に吹き出してしまった。
「べ、別に好きとか、そういうのじゃ、ないよ」
「そうか? 俺から見たら、どう考えても好きだと思うけど」
「……そう見えるの?」
あんまり考えてなかったけど、そこまで反応に出ていたかな。今までこういうことがなかったからいまいち振る舞い方が分からないのだけれど。
「ああ」
「うわあああ、恥ずかしいいいい」
僕は顔を抑えてベッドの上を転がる。
ベルトが外れたので、僕はついにベッドの上で転がることができるのだ。いや、そもそも恥ずかしくて転がるようなことをするなという話だけれど。
「てことは、認めるのね?」
「んー、まあ、そうだね。好きというか、何というか」
僕が歯切れの悪い返事をすると、陽介は盛大に溜め息をついた。
「あんな綺麗な人と二人きりで二週間近く話してたんだ。惚れるのも無理はねえよ。何なら惚れてない方が心配になるね。ホモを疑う」
「失礼な」
誰がホモだよ。せめてバイにしてほしいものだ。
と、そんな反論は的外れでしかなく、僕は陽介に言い当てられたことを未だに恥ずかしがる。短いツッコミは照れ隠しのようなものだった。
僕は恋愛経験がない。
どころか、人を好きになったことさえないかもしれない。
クラスで女子と話すことはあったけれど、特別仲のいい子はいなかった。基本的には男子と一緒にいることが多くて、極々たまに女子と話す。その程度の関わりしかなかったので、好きになるに至らなかった。
一目惚れ、というケースもなかった。
だから、女の子とここまでたくさん話したのは先輩が初めてだし、そんな彼女に心惹かれることは不思議ではない。これが恋なのかまだ確信めいたことは言えないけど、好きであることは確かだ。
「恋ってなんだと思う?」
「急に何、その恥ずかしい質問。ポエム以外で聞いたことねえよ」
「陽介は恋したことあるでしょ?」
「んー、恋ねえ」
そんなに難しいこと言ったのかな、と不安になってしまうくらいに唸られる。
陽介はクラスでも女子とよく話しているところを見かける。きっと僕よりはそういう経験も豊富なんだと思って聞いたんだけど、意外とそうでもないのかな?
「恋の定義なんて人それぞれだからな、これっていうのはないと思うぜ。まあ、それっぽいことを言うなら、ふとした時にその人のことを考えていたならば恋だ、なんて話はよく聞くな」
「ふぅん」
だとしたら僕はどうなんだろうか。
僕が先輩に向ける気持ちは尊敬というか憧れというか、そういうものに近いような気がする。きらきらと輝いているあの人を見ていたい、とそう思うのだ。
これは恋心とは言えない気がする。
でもその反面、一緒にいてどきどきしてしまうこともある。楽しくて、つい舞い上がってしまう。そう聞くと恋心だと思えなくもない。
結局、答えは出ないままなのだろう。
「難しく考えなくても、好きだと思えば好きなんだよ」
そう言った陽介はこの話は終わりだと言わんばかりに話題を切り変えた。学校の授業の話を聞いていると退院してから追いつくのが大変だな、とか思ってしまう。暇潰しになるから勉強は一応しているけれど、どこまで通用するか不安だ。
そんな感じで毎日が過ぎていく。
リハビリも順調に進み、僕は予定通り退院することになった。いざここを離れるとなると病室が名残惜しいと思ってしまう。でももう一度来たいとは思わないけど。
退院の日を翌日に控えた夕方。
いつものようにドアをノックして先輩が部屋に入ってくる。
「退院、いよいよ明日だね」
先輩は陽介が持ってきてくれたリンゴの皮を向きながらそんな感じで話し始める。
するすると剥く姿を見ると、包丁を使うことに慣れているんだなと分かる。
「やっとこのベッドとお別れできます」
僕が冗談っぽく言うと、先輩はくすりと笑う。
「そう? 私はこうしてお見舞いに来るのも今日で最後だなって思うと、ちょっとさみしいと思っちゃったよ」
「そうなんですか?」
「うん。だって、二週間近く、毎日足を運んでたからね。もうそれが普通になってたし。ぼーっとしてると明日も間違えて来ちゃいそうだよ」
「明日の夕方にはもういないですよ」
そんなことを言って、二人で笑い合う。
最初は遠慮していたこの時間だけれど、今となっては僕の中でとても大切な時間になっていた。先輩の中でも、少しでもそうなっていたとしたらそれは嬉しいことだ。
「そうそう、それでね」
改まった様子で先輩が話し始める。
その様子はどこか緊張しているような、さっきまでと違って表情が少し固くなっているように見えた。今更何かそんなふうになることあるのかな。
「この前の話覚えてるかな」
「この前の話?」
話しすぎてその言葉が何を指しているのか分からなかったので、僕はついオウム返しをしてしまう。
「ほら、町を案内するっていう」
「あ、ああ」
その話か。
苦いものでも口に含んでいるような表情をしている割に、顔が少し赤く染まっているのが何とも不思議な表情だった。差し込む夕日のせいでそう見えるだけなのか。
「あの約束のこと、しっかり考えたから」
「そうなんですか?」
こくり、と頷く先輩は僕の手にそっと自分の手を重ねた。突然感じた温かい感触に僕はどきりと心臓を高鳴らせる。どういう意図か分からずに、僕は緊張も相まって言葉を詰まらせてしまう。
「あの、先輩?」
僕が言うと、先輩はじっと僕の目を見つめて、そしてゆっくりと口を開く。
「だからね、退院して、足が治って自由に歩けるようになったら」
ごくり、と音がする。
それが僕が鳴らしたものなのか、それとも先輩のものなのか、それさえも分からないくらいに僕の思考は停止していた。
「デート、しよっか」
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