第3話
「俺さ」
いつものようにお見舞いに来てくれた陽介が、何やら真剣な顔つきで話し始める。僕は何事かと思い、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「ナース衣装の真髄ってナースキャップにあると思うんだよ」
陽介の斜めすぎる発言に僕の思考は一瞬停止した。
僕のリアクションを待っているのか、陽介もそれ以上発言はしない。結果、病室の中に沈黙が起こる。
「急にどうしたの?」
何とか脳が反応してくれたようだ。といっても平凡な返事だと思う。これが僕が平凡と言われる所以なのかもしれない。もっと奇抜というか、異質というか、変わったリアクションができれば周りからの印象も違ってくるのかもしれないけれど、やることなすこと全てが普通なのが良くない。
「いや、今までナース衣装ってそう見ることがなかったんだけどさ」
「そうだね。病院とかに来ないと見れるもんじゃないしね」
ましてや水都町の方には大きな病院がないので休憩中に出歩くナースさんを見かけることも当然ない。小さな診療所はあるらしいけれど、聞くところによればそこの医者はおじさんらしい。
「お前のお見舞いに来ることでそのナース衣装をまじまじ見る機会が増えたんだ」
「まじまじは見ちゃダメだよ、多分」
「ナース服って何なんだろうってふと思ったときに、最も大事なのはナースキャップなんじゃないかなって」
「いや、ナース服でしょ」
「普通そう思うだろ? でもな、それは安直な考えなんだよ。仮に学校の制服を着てナースキャップをつけていたらどうだ? ナース服だろ?」
「制服じゃないかな?」
「逆にナースが衣装を着ているにも関わらずナースキャップをしていなければナース服とは言えないだろ?」
「ナース服としか言えないような」
今日の陽介はどうにもテンションが変な方向に向いているな。
僕が水都町に来てから少し経つけど、この五分はダントツで不毛な時間だ。くだらない話をすることはあるけど最もくだらないと言ってもいい。時たま、陽介はよく分からない話をするけれど、この話題ほどよく分からないものはない。
結論、今日の陽介はちょっとおかしい。
「結局何の話なの?」
ナース服で最も重要なのはナースキャップだっていう話なんだろうけれど。
僕が溜め息混じりに聞くと、陽介はまたしても真剣な顔つきになる。もう騙されないぞ。この後どうせくだらないことを言うに決まっている。
「ん? いや、だから大事なものは何かって話だよ。一見最も重要に見えるものがそうであるとは限らねえって話だ」
「そんな話してた!? ナースキャップの重要性についてしか語ってなかったよ!?」
「似たようなもんだろ。価値観はそれぞれ違うんだ。大事だと感じることなんて人それぞれなんだよ。俺とお前がナースキャップについての認識が違う時点でそれはよく分かっただろ?」
「……腑に落ちない納得のさせ方をされてる気がする」
陽介の言うことは最もだけど、それをナースキャップで例えるというのはどうなのだろうか。難しい話をされても中に入ってこないから分かりやすく馴染みのあるもので例えるという手法はよく使われているけど、それとこれとは別だろう。
そもそもナースキャップ馴染みないよ。
「そんな話をしてたらもう時間だ。俺はバイトに行くとするよ」
「そっか、もうそんな時間か」
時計を見るともう五時だった。一人の時は長く感じるというのに誰かと一緒にいる時間はあっという間に過ぎていく。いつも思っていたことだけれど、入院して改めてそれを感じるようになった。
友達の大切さをこんなところで実感することになるとはね。
「それじゃ、またな」
陽介が明るい調子で病室を出て行った。
彼がいなくなると途端に部屋の中が静まり返る。さっきまでが騒がしかっただけにいつにも増して寂しさのようなものを感じるのだ。僕はこの感覚が嫌いだった。
早く退院したいなあ、なんてことを考えているとドアがノックされた。
「こんにちは」
陽介が帰って少しした時、つまり時刻が五時を回った頃、僕の部屋に訪れるのは水瀬先輩だ。
いつものようにポニーテールで髪を纏め、ここまで歩いてくるのにじんわりと汗をかいている。病院の中が心地よく涼しいのか、それが表情に出ていた。
「さっきそこで菊池君に会ったわよ」
「陽介にですか?」
「ええ」
「先輩って陽介のこと知ってるんですね?」
陽介が先輩のことを知っているのには納得ができる。水瀬千波という存在がこの町でどれだけ人気者なのかは僕も重々理解したことだからだ。
でも、陽介は別に人気者というわけではない。悪い意味で名前が広まっている可能性はあるけれど、それでも三年生のところにまでいくものだろうか。
「まあ、校内で見かけるしね。話す機会は今までなかったわよ? ただ、こうして病院に来るとたまにすれ違うのよ。それで少し話すようになったわね」
「ああ、そういうこと」
僕のお見舞いに来てくれる二人が、この病院でたまに顔を合わせるのか。二人のお見舞いの時間はちょうどズレている。陽介はバイトの開始時間の都合で五時頃帰り、水瀬先輩は練習の都合で五時過ぎにやって来る。
タイミング的にすれ違うことがあってもおかしくはない。
「それに、うちは生徒数が少ないから学校の生徒はみんな知り合いみたいなものなんだけどね」
「一学年一クラスですもんね。東京じゃ考えられないですよ」
生徒数が少ない分、それぞれの繋がりが濃い。僕はそれも悪くないと思う。
東京の学校ではクラスの数は四はあった。中学でそれだから高校になるとそれ以上だっだろう。その代わり、クラスメイト以外の顔は知らないものばかり。部活に入りでもしない限り関わることはない人だらけだ。
でも、僕がここに来て通うようになった水連高校は同じ学年の人じゃなくても何となく知っている顔ばかりになる。それって素敵なことだと僕は思う。
「だから、君のことも知っていたのよ? 話す機会はなかったけれど」
「そう、なんですか?」
僕と先輩が初めて顔を合わせたのは入試の日だ。
道に迷った僕に手を差し伸べてくれたのが先輩で、同じ学校に通うようになって、こうして二人で話すようになった。きっっかけは些細なものだったが、運命というのは不思議なものだ。
「ええ。でもあれよね、初めて会ったのは迷子の君と話した日よね?」
何気なく言った先輩の言葉に、僕はドキリと心臓を高鳴らせる。
驚いて思わず先輩の顔を見てしまうが、ハッと我に返ってすぐさま自分の手へと視線を落とす。
「覚えてたんですね」
「うん。この辺で道に迷う人なんて珍しいし」
そりゃそうだ。
めちゃくちゃ観光地ってわけでもないから、他県から旅行で押し寄せてくるひとはあまりいないし、その辺歩いているのは九割が地元民。そりゃ道に迷う人はいないか。
「校内で見かけるようになって、あの人受かったんだ、とか思ってた」
「声かけてくれればよかったのに。お礼も言いたかったし」
「声かけて私のこと覚えてなかったら恥ずかしいし。それに、何ていうか声をかけづらかったと言うか……」
あはは、と先輩は笑いながら言う。
僕ってそんなに声かけづらいタイプに見えたのかな? 校内で見かけるということは廊下とかだろうけど、陽介とかと歩いていることがほとんどだし、そういう意味でってことなのかな?
「僕、知らない間にそんな一匹狼感出てたんですかね?」
冗談めかして言うと、先輩は慌てて否定してくる。
「あ、そうじゃなくて。私の方に問題がね」
「どういう意味ですか?」
僕ではなく先輩に理由があって話しかけづらい、というのがあまりピンとこなくて僕は頭上にクエスチョンマークを大量発生させる。それを感じたのか、先輩は少し難しい顔をしながら話してくれた。
「私ってほら、自分で言うのも何だけど結構みんなに知られてるじゃない?」
「そうですね」
謙遜したように言うがそれは事実だ。
陽介も言っていたが、彼女のことを知らない人間は水都町にはいないと言われているくらいには有名。実際にそれが誇張表現だったとしても、そう誇張されるくらいには名が知れ渡っているということだろう。
「だから、みんな私に対して一歩引いた関わりを持つんだよね、基本的に」
「えっと」
僕は先輩の言っていることを完全に理解できてはいなかったと思う。だから少し戸惑うようなリアクションをしてしまった。それだけで察してくれたのか、先輩はさらに言葉を重ねてくれる。
「話していると距離を感じているというか、あんまり私に話しかけないようにしているのが伝わってくるんだよね。嫌われているとかじゃないんだろうけど、自分が話しかけたせいで何かあっても困る、みたいな」
「何かあるんですか?」
「ないよ」
そう言った先輩は少し寂しそうに俯いた。
気を遣われている、ということなのだろうか。
それはまるで芸能人を見るような目なのかもしれない。どこか雲の上のような存在のような気がして、話しかけるのを躊躇うような。自分とは生きる世界が違う人間に対して自分が話しかけていいのか迷っているような。あるいは、そのどれにも当てはまらない何かか。僕には想像がつかない。
自分とは生きる世界が違う、というのがそうだとすれば何となく僕にも分かる。
最初は知らなかったけれど、彼女のことを知れば知るほど僕のような人間が関わっていていいのかと不安になることがある。この時間が練習の時間を割いて彼女に迷惑をかけているのではないかと思うこともあった。
でも、それは全部僕の勝手な想像でしかなかった。
「先輩、話してみたらすごく面白いのに」
すごく気さくで、気を遣ってくれて、優しい。
話さなければ分からなかったことだ。でなければ、僕はずっと彼女のことを勘違いしたままだった。
「そんなこと、ないわ」
僕に言われて、先輩は少し照れたようにぼそりと呟いた。
事故に合わなければこうして先輩と話すことはなかった。こんなことを言っては何だけど、階段から落ちてよかったと思えることもあるもんだ。代償はあまりにも大きかったけれど。
「君は、周りの人のように私を避けたりはしないのね」
「避けられませんからね……」
足折れてて動けませんから。
僕が笑いながら言うと、先輩は少しショックを受けたように表情を崩した。
「足が折れてなかったら避けていたということ?」
「ああ、いや、そうじゃなくて」
しまった。
今の発言はそう捉えられるのか。もうちょっと考えて発言しないといけないな。デリカシーがどうとか言われかねない。
「僕の中にもありましたよ、そういう敬遠する気持ちみたいなの。でも、先輩が話しかけてくれるからなくなったんです」
「そう、なの?」
「はい。だから、学校でももっと先輩から話しかけてみたら、みんな案外普通に話してくれるかもしれませんね」
壁を作っているのは周りではなく自分だった、なんていうパターンはよく聞く話だ。その少しの勘違いやすれ違いで失うものもある。気持ちって、言葉にしないと分からないままなんだよな。
「少し、考えてみるわ」
先輩はそう言って笑った。
その笑顔が美しく、僕は思わず見惚れてしまう。運動ができて、優しくて、勉強もできるらしいし、それでいて美人だ。この人に弱点なんてものはないのかもしれないな。神は二物を与えないというが、あれは多分嘘っぱちだな。
「あ、そうだ」
僕がそんなことを考えていると、先輩は思い出したように呟いた。
どうしたんだろうか、と見ていると先輩は僕の目をじっと見つめてくる。美人な人に見つめられる経験なんて思い返しても、思い返すまでもなくなかったので僕は照れてしまい視線を逸らす。
「あと一週間くらいで退院なのよね?」
「え、あ、そうですね。このまま順調に進めばそんなもんかなって」
リハビリも順調に進んでいる。このままいけば松葉杖でなら普通に出歩けるようになるらしい。骨折というものを初めてしたけど、これは不便で仕方ない。さっきはあんなこと思ったけれど、二度とゴメンだな。
「順調に退院したら、改めてお礼させてもらうね」
「お礼?」
僕が言うと、先輩は少し考える。
「お礼、というかお詫び? でも、助けてもらったわけだし、お礼って言ってもおかしいことはないよね。つまり、そういうこと」
ああ、と僕は納得する。
この一件のちゃんとしたお礼ということか。僕としてはこうして毎日お見舞いに来てくれるだけで十分嬉しいんだけど、それだと多分納得してくれないんだよな。話していて知ったけど、結構頑固なところあるみたいだし。
「そういうことなら、時間あるときに町の案内でもしてくださいよ」
「町の?」
「はい。水都町とか、こっちの方とか。僕、引っ越してきたばっかなんで、この辺のこと全然知らないんですよね」
陽介と遊びに出掛けることはあるけど、だいたいいつも同じ場所だし。こっちの方まで出てきたとしても、ショッピングモールに行くくらいだ。
「……そんなのでいいの?」
拍子抜けな顔で先輩が言ってくる。
「そんなことっていうか、僕からすれば大変有り難いことですよ? 先輩みたいな綺麗な人に町を案内してもらえるなんて、男冥利に尽きるってやつですね」
笑って見せると、先輩は頬を赤くして俯いていた。耳まで赤くなっていて、何か変なことでも言っただろうか、と少し不安になるが、そんなことを考えている間に顔を上げた先輩はいつも通りに戻っていた。
「じゃあ、考えとく」
「え、断られる可能性あるんですか?」
お礼してくれると言うから考えたのに断られるの?
「あ、そうじゃないよ。その、どこを案内するか、とか」
「ああ、そういうこと」
先輩に案内してもらえるなんて光栄なことだな。
退院してからの楽しみが増えると、足が治らないことがじれったくてしょうがない。こうなったら、明日からリハビリはもっと頑張ってやろう。
僕は密かにそんな決意をするのだった。
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