第1話


 海が見える町、水都町。


 僕がここに引っ越してきたのは今年の春だ。

 親の転勤が決まったが、時期を僕の高校入学と合わせてくれたらしい。おかげで地元の中学で卒業式を行い、無事水都町の高校への進学を決めた。


 僕が初めて水瀬千波と会ったのは、高校入試の日だった。


 都会に比べると人口が少なく、生徒数も少ないからか、高校入試の為にはるばるやって来た僕はどうやら浮いていたらしい。学校の場所が分からなくて迷っていたところに声をかけてくれたのが彼女だ。


『どうかしましたか?』


 彼女を初めて見た時に抱いた印象は、すごく綺麗な人、だった。


『あ、いや、道に迷ってしまって』


 ランニングの途中だったのか、彼女はランニングウェアだった。薄着の女性にドキドキしてしまいながらも、それを必死に抑える。


『どちらまで?』


『水連高校ってとこなんですけど』


『でしたら、この道をまっすぐ進んで、右に曲がったところにある坂を登るとありますよ』


 丁寧な案内をしてくれた。


『ありがとうございます』


『入試ですか?』


『あ、はい。よく分かりましたね』


『見ない顔でこの時期に学校を探しているので、そうなのかなって。今日が入試だってことは知ってたし』


『そうなんですか?』


『私も、水連の生徒なので』


 じゃあ、と軽く手を上げて彼女は行ってしまった。

 あっという間のことで、少しの間ぼーっと彼女が走っていった場所を眺めていたが、時間に追われていることを思い出して、僕は慌てて学校へと向かった。


 無事合格した僕はこの春、引っ越しと共に水連高校で新しい生活をスタートした。校内で彼女を見かけることはあったけれど、声をかけるのを躊躇ってしまい会話をすることはなかった。


 僕が水瀬先輩の姿を見かけて、何か言いたそうにしていたのか一緒に歩いていた友達の菊池陽介が不思議そうに言ってくる。


『お前、水瀬先輩と知り合いなの?』


『え、なんで?』


『いや、すげえ何か言いたそうにしてるから』


 どうやら、僕は嘘とか誤魔化しの類が苦手らしい。父にも、前の学校の友達にも言われたけど感情が表情に全て出てしまっているんだとか。自分では見えないから分からないけれど。


『いや、知り合いってほどじゃ……陽介こそ、あの人知ってるの?』


 僕がそう言うと、陽介はおかしそうに笑う。


『そっかそっか、都会っ子の透真君は知らないか。この辺じゃあの人超有名だぜ? それこそ、この学校で名前を知らないのはお前くらいだろうさ』


『え、そうなの?』


 まさか芸能人とかいうオチか? 僕はそこまでテレビを観るわけじゃないのでそういうのには疎いけど。いや、しかし言い方的にそういう感じでもなさそうだな。


『水泳部のエース、水連の人魚姫ってのはあの人のことだぜ』


 僕が水瀬千波について知っていることといえば水泳部のエースで有名人、あととても綺麗な人、くらいだった。


 結局それからも話す機会はなく、先日の一件が二度目のコンタクトということになる。


 先輩から初めて会った日の話はしてこないのでもしかすると覚えていないのかも。まあ、地味で大した思い出にもならないものだったので、それくらいが妥当と言えば妥当なのかも。


「おっす、元気してるか」


 そんなことを思い出していると、病室に入ってきたのは陽介だった。

 菊池陽介。茶色に染めた短い髪をワックスで整える、よく言えばおしゃれ、悪く言えばチャラい感じの男。僕が水連高校で最も仲のいい友達だ。


「怪我してるから、元気って言っていいのか分かんないけど、それなりに」


「これお土産。ここ置いとくな」


 適当に買ってきたであろう袋に入ったお菓子を引き出し棚の上においた陽介はベッドの横の椅子に腰掛ける。


「悪いな、こんなとこまで」


 僕が入院するこの病院は、水都町からバスで四〇分ほどかかる場所にある。ここまで出るといろいろと栄えているので休日とかには皆やって来るらしいけど、学校終わりに来るには少し面倒だろう。


「気にすんなよ。こっちの方でバイトあるから、それまでの暇潰しみたいなもんだ」


 にしし、と笑いながら陽介は言った。

 確かに、こっちの方でバイトしているとは言ってたな。

 陽介は部活には入っておらず、アルバイトに励む勤労少年だ。彼曰く、放課後は遊んで夜に働く、だそうだ。


「誰もお見舞いに来ないと悲しむと思ってな」


「余計なお世話だ、と言いたいところだけど正直嬉しいよ。動けないし、暇でしょうがないんだ」


 あまり長い時間はいないんだろうけど、それでも少しでも話せるのは嬉しいことだった。気を抜いて話せる相手がいるというのは有り難いもので、僕は時間を忘れて陽介と話す。


「しかし、お前が飛び出した時は本当に驚いたぜ」


 僕が階段から落ちた時、陽介もその場にいた。二人で学食に行こうと歩いていたときに起こったことなのだ。


「はは、心配かけてごめん」


「あそこまでして水瀬先輩を助けたのは、やっぱりお近づきになりたいからか?」


 陽介はからかうように聞いてくる。


「別にそんなんじゃないよ。ていうか、骨折までしてお近づきになりたいとか思わないだろ」


 確かに先輩は綺麗で、優しくて、いい人だと思う。

 好きか嫌いかで言えばもちろん好きだけれど、それが恋愛感情としての好きなのかと言われるとそうではないと思う。


 多分、憧れとか、そういった類の感情だ。


「いやいや、それくらいでないと普通あそこまで出来ないぜ?」


「あの人は落ちちゃダメだって、そう思ったら体が動いてたんだ」


「くぁー、俺もそんなセリフ言ってみたいぜ。まあ、でもお前の言うことも最もだけどな。もうすぐ夏だし、ここで怪我なんかしたら全部台無しだったろうからな。お前は救世主だったってわけだ」


「人助けが出来たんなら、それでよかったかな」


 僕には何もない。

 だから、そんな僕が凄い人を助けることが出来たのならば、それは嬉しいことだ。

 そう思えるだけで報われるというものだ。


「水瀬先輩はどう思ってんだろうな」


「どうって?」


「体張って助けてくれた相手に対して何も思わないわけねえだろ? 少なからず、思うことはあるはずだぜ」


 思うこと、か。

 入院した日から毎日欠かさずお見舞いに来てくれているけれど、謝罪しかされないんだよなあ。まあ、いろいろとこちらからも言ったから謝罪をしてくることはないだろうけど。


 毎日顔を出すのも、多分責任感じてるからなんだろうなあ。


「どうした?」


 僕がぼーっとしていたからか、陽介が不思議そうに顔を覗き込んでくる。


「あ、いや、何でも」


 先輩が毎日来てくれているというのは、とりあえず黙っておこう。陽介がどんなリアクションをするかは予想できないけど、少なくともうるさくなるのは何となく想像できるから。


「そっか? ならいいけどよ……と、もうこんな時間か」


 時計を見た陽介はそう言いながら立ち上がる。


「そろそろ行くわ。またバイト前に時間あったら来るな」


「あ、うん。バイト頑張って」


 そう言って陽介は病室を出ていく。

 さっきまでうるさくて楽しかった分、急に静かになった病室が何だか居心地が悪かった。手持ち無沙汰になった僕は、陽介が買ってきてくれたお菓子を手に取った。チョコレートとグミが入っていた。


「妙な組み合わせだな」


 一緒に食べるわけでもないので、組み合わせどうこうは問題じゃないが、何となく一緒に口に入れたところを想像してしまった。食べたことはないし、食べることもないだろうけど、きっと不味いに違いない。

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