第2話 ずっと彼氏のことを考えている私

「やっぱりはしゃぎ過ぎだったかしら」


 少し落ち込んでしまう。

 昨日、幸久ゆきひさと恋人になれてからというもの。

 彼のことばっかり考えている。


 もっと一緒にいたい。

 触れ合いたい。

 おしゃべりしたい。


 そんな熱に浮かれた気分だった。

 でも、智子さとこさんの微妙な表情を見てふと我に返った。

 

(もうちょっと自制しなきゃ)


 冷やかされるだけなら、と思っていた。

 でも、目の前であんまりイチャつかれると快く思わない人だっている。

 もっと普通のお付き合いをしなきゃ。


(でも、やっぱり男の人の身体って全然違うのよね)


 今朝、幸久と腕を組んでいて実感したこと。

 ごつごつしているというか。

 昔はもうちょっと違った気がするとか。

 そんな何でもないことで、自分が女で彼が男なことを実感する。


「湯川。聞こえているか?」

「……」

「おい。湯川?」

「……」


 ヴヴヴ。ポケットから振動音。

 慌てて目の焦点を合わせると、数学教師の不審そうな顔。


「すいません。昨夜寝不足で、少しぼーっとしていました」


 バツが悪すぎる。

 慌ててごまかしてから、そつなく問題を解いた私。


【大丈夫か?ぼーっとしてるけど】


 そう。私を気づかせてくれたのは彼からのメッセージ。

 大丈夫だろうか。そんな表情で私を見ている。


【ごめんなさい。ちょっと考え事をしてただけだから】


 それだけを返して今度こそと桃色な妄想を振り払う。

 私がぼーっとしたせいで幸久に迷惑をかけたくはない。


(よし!ちゃんと集中しよう)


 そう決めたのだけど。

 結局、お昼休みになるまで、


(放課後はどこか一緒に遊びにいけるかしら)

(キスは……唐突過ぎ?)

(そういえば、作ってきたお弁当渡すの忘れてた)


 そんな雑念のせいで大変だった。


 キーンコーン、カーンコーン。

 ようやく昼休みのチャイムが鳴る。

 幸久のいる席に駆けていこうとしてふと気づく。


(って、自制しないと)


 ただでさえ今朝から教室で悪目立ちしている。

 こんなんじゃ、ダメダメだ。

 落ち込みながら、彼の様子を見ると、廊下を指してのジェスチャー。


(教室の外で、ってことかしら)


「なんかぼーっとしてたけど、やっぱ今朝の件か?」


 誰も居ない化学教室で二人っきりの私たち。

 気を利かして、誰かに見られることが少ないこの場所を借りてくれたんだろう。


「それもあるの。でも……」

「それ「も」?」


 あ。しまった。

 幸久は今朝の件できっと私が落ち込んでると思ってる。

 でも、問題はそっちじゃなくて。


「そ、その。恋って難しいなって。そんな感じのこと」


 ずっと、あなたのことを考えてしまう。

 さすがにそれを直接言うのは恥ずかしすぎる。

 だから、遠回しになんとか言い換えてみた。


「まあ、そりゃ色々難しいこともあるけど」


 だけど、あまりピンと来ていないらしかった。

 

「そ、その。色々考えてしまうってこと」

「まあ。イチャイチャし過ぎとかは注意、しないとな」


 半分当たってるけど、半分違う。

 

「……気が付いたら幸久のこと考えてるって言ったら、笑う?」


 仕方ないので正直に白状する。

 まともに目を見て話せないから、俯いたままで。


「笑うわけないって。俺もお前のこと目で追ってしまってるし」


 知らなかった。そんな風に思ってくれてたなんて。


「恋は心の病っていうけど、本当なのかもしれないわね」


 熱に浮かされたような、てよく見るけど本当にその通り。

 

みやびも重症だな」

幸久ゆきひさは軽症そうでズルい」


 私よりも幾分か余裕があるのは間違いない。

 私と同じくらい夢中でいてほしい。

 そんなワガママなことさえ思ってしまう。


 そうだ。キス。

 昼休みのここなら誰も見ていない。


「キス、してみない?」


 堪えきれず、想いをそのまま口にしてしまう。


「ええ?いいけど……今、ここで?」


 思った通り、目を真ん丸にしている幸久。


「うん……」


 つかつかと歩いて、ぎゅっと抱き着く。

 本当に変になってしまった。


「その、初めて、だよな?」

「それはそうよ」

「悪い」


 少し見上げて目を閉じて、唇を合わせる。

 そんなそれだけの行為。

 くちゅ、と小さい水音がする。


「キス……どうだった?」

「……よかった」

「そう。私もよかった」


 今の幸久は凄く照れている。

 それがわかって、なんだかとても満ち足りた気分。

 

(でも、昨日の今日でいきなりキスなんて)


 心の中の冷静な自分が、暴走してる、と告げる。

 初日でこれなんて、一体どうなっちゃうんだろう。


「なんかさ。キスのせいで俺も重症になりそう」

「私だけ重症なのは嫌だったの」

「これだったら、俺も授業がロクに頭に入らないぞ」

「一蓮托生よ」


 今朝は少し自制しようと思っていた。

 でも、もし同じように思ってくれているのなら。

 心が赴くままに恋愛してしまっていいのかもしれない。


「って。そういえば、幸久はお昼ご飯どうするの?」


 忘れるところだった。危ない、危ない。


「いつも通り学食に行こうかと思ってたけど?」


 不思議そうな幸久。良かった。


「あの……これ、作ってみたんだけど。はい」


 付き合った男女がどうするのかなんて知識はロクにない。

 ただ、彼女の手料理を喜ぶ彼氏は多いらしい(ネット調べ)。

 だから、今朝は早く起きてはりきって作ってみたのだ。


「ひょっとして、お昼作ってきてくれたのか?」

「そう。もし要らないのなら、別にいいけど」


 恥ずかしくて、ついそっけない言い方になってしまう。


「いや、むしろ嬉しすぎるくらいだぞ。ここで食べるか?」


 言うなり実験室の椅子に腰を下ろす幸久。


「うん……」


 果たして喜んでくれるだろうか。


「お。明太子ご飯。俺、好きなんだよなー」

「良かった。学食でよく頼んでるから」


 笑顔を見てほっとする。

 物語で彼氏に手料理を振る舞うヒロインが緊張する気持ちがわかった気がする。

 おかずはどうかな?


「なんか、他のも俺の好物で揃えてるんだけど。狙った?」


 焼き鮭に野菜炒め。

 鳥の照り焼き。

 彼のことを色々考えてみたおかず。


「濃い目の味付け好きでしょ?あんまり健康には良くないけど……」

「いや、助かる。ありがたくいただくな」

「いただきます」

「いただきます」


 少しドキドキしながら、まずは野菜炒めを口に運ぶ。

 うん。普通に出来てるはず。


「どう?」

「美味い。なんかお前の気持ちが凄く伝わってくるというか……」


 心なしかいつもより声が小さい気がする。


「ひょっとして、照れてる?」

「聞かないでくれよ」

「聞きたいの」

「照れてるよ、そりゃ。契約書にはこんなこと書かれてなかったぞ?」

「何言ってるのよ。手料理を作ってこないこと、なんて書いてないでしょ?」


 契約書を持ち出して話を逸らそうとしてるのが丸わかり。


「そりゃ書いてないけどさ。ところで、箸に持ってる鮭だけど……」

「あーん、ていうの。やってみたかったの」

「マジか」

「本気よ?」

「わかった。それじゃ……あーん」


 こうして、誰も居ない化学教室でたっぷりイチャイチャした私たち。


「これは俺もちょっとお返ししないとな」


 一緒に教室に戻る道すがらぽろっと口にした言葉。


「べ、別にお返しなんていいわよ!」


 私のワガママで作っただけだもの。


「カノジョに押されっぱなしってのも嫌なんだよ」


 どこか不貞腐れた様子はいつか見たもので。


「じゃあ……期待して待ってる」


 きっとそれは手の込んだお返しをしてくれるだろう。

 そう断言してしまえるくらいには信頼している。


(でも……何かしら?)


 あんまり変なことしてくると少し困るのだけど。 

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